June 2017

The view from the mountaintop

史上最高のグループ―“ラット・パック”

text james medd

もの思わしげなピーター・ローフォード(1960 年)。

 ただし、彼らが時代を先取りした、平等主義者だったわけではない。やり取りの辛辣さは、並外れていた。マーティンは常に酔っぱらっているという設定で「皆様、バーから直行してまいりました」というジョークで紹介されるのがお決まりだった。しかし多くの人の話によると、彼が舞台上で飲んだウイスキーのほとんどは、実はリンゴジュースだったという。

 シナトラとマーティンは舞台上で「イタリアンマフィア」と呼ばれたし、ビショップも「ジューのジュージュツ(ユダヤ人の柔術)を見たことがあるかい?」など、悪趣味なジョークを浴びせられた。

 しかし、デイヴィスに対する扱いはもっとひどかった。彼らが(「煙色の」を意味する)スモーキーと呼んだデイヴィスに関するジョークは、ほとんどが人種差別をネタにしていた。例えば、デイヴィスのパフォーマンス中にスポットライトが消され、シナトラが「スモーキー、皆に見えるように笑顔のままでいてくれよ」と大声で言うこともあった。

女性に“好ましからぬ”存在 そんな彼らは、女性に対しても“好ましからぬ”存在だった。

 シナトラは、尊敬するボガートの妻であるバコールと関係を持ったうえ、売出し中の若手女優であるマリリン・マクスウェル、女優のラナ・ターナー、16歳のリタ・マリットらと次々に不倫した。マーティンもどっこいどっこいで、ディキンソンや、ギャングの娘と寝て、すったもんだを起こしていた。

 一番たちが悪かったのはローフォードで、リタ・ヘイワース、エヴァ・ガードナー、ジュディ・ガーランドといったハリウッド女優らと関係したのち、パトリシアとの離婚後は若い女と結婚を繰り返し、最後には61歳で18歳の女性と一緒になった。

 大勢のストリッパーや売春婦が集まるパーティーも開かれた。この怪しげな集まりにて紹介されたのが、グループに栄光と破滅の両方をもたらすこととなる、ジョン・F・ケネディだった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 16
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