Wednesday, February 7th, 2018

THE ROARING TWENTIES

ベントレー・ボーイズの伝説

プレイボーイで、クルマを豪快に乗り回し、毎日飲み騒いでいた特権階級の一団。
ふたつの世界大戦の狭間に自動車レース界を支配し、
イギリス中を虜にしたベントレー・ボーイズの伝説とは?
text andrew hildreth

左から:バーナード・ルービン、ウルフ・バーナート、サー・ヘンリー・バーキン、フランク・クレメント、ジョセフ・ダッドリー・ベンジャーフィールド。フランス、ル・マンにて、1928年。

英国車史上、最も輝いていた男たち ベントレーのワークスカー(愛称「オールド・マザー・ガン」)が1929年のル・マン24時間レースでゴールを決めた瞬間は、英国がそのレース史上で、最も輝いた一瞬でもあった。ベントレーが1位から4位までを独占したのだ。

 私たちが現在自動車レースに感じる魅力や楽しさのほとんどは、歴史を遡れば、ベントレーのクルマでレースに参戦し、ザ・サヴォイで遊び狂っていた英国特権階級の子弟たちが始めたことといえるだろう。ドライバーたちは特に肩書きを意識していたわけではなかったが、いつの間にか「ベントレー・ボーイズ」と呼ばれるようになった。

ベントレー・ボーイズの誕生 ベントレーモーターズが世間に広く知られるようになったのは、フランス西部で6月に行われるル・マン24時間レースへの出場がきっかけだった。創業者W.O.ベントレーは当初、24時間もレーシングカーを運転し続けるなんて「クレイジー」だと思っていが、ジョン・ダフ、フランク・クレメント組のプライベートのベントレーが1923年に4位に入り、1924年には優勝を収めた。

 W.O.ベントレーは、天才的なエンジニアだったが、ビジネスマンとしては問題があった。クルマはレースカーとしては素晴らしかったが、製造コストがかかりすぎたのだ。役員たちはベントレーの経営に批判的で、会社はキンバリーで巨万の富を築いたダイヤモンド王の2代目、ウルフ・バーナートに売却された。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 20
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