Wednesday, May 24th, 2017

THE DUKE OF BEVERLY HILLS

ビバリーヒルズの公爵

アドルフ・マンジューは、無声映画から発声映画へうまく移行した数少ないハリウッドスターのひとりだった。
知識人であったことはもとより、彼の名を何よりも知らしめたのは、その粋な装いだった。
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Adolphe Menjou / アドルフ・マンジュー1890年ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。映画の上映会を機に俳優を志し、24歳で演劇の世界に入る。その後『シーク』(1921年)や『巴里の女性』(1923年)、『モロッコ』(1930年)まで数々の名作に出演し、50年代まで演じ続けた。アメリカ一の洒落者であったことでも知られる。

天才で知識人のファッション評論家 俳優が役を獲得するうえで、鍵となる要素はさまざまだ。ある者にとっては自分の声が、またある者にとってはランウェイでのウォーキングが足がかりとなる。

 無声映画が衰退期を迎えた1920年代に、優雅な足跡を残したアドルフ・マンジューにとってのそれは、ワックスで完璧に整えた口髭と、シミひとつない礼服からなる装いに他ならなかった。登場人物の状況を、まるで歌舞伎のように外見と仕草で伝えた時代に、「口髭は都会ずれした金持ちや、異国の貴族といった悪役の特徴だった」とマンジューは自伝『It Took Nine Tailors』(1948年)にて記している。

 ピッツバーグで生まれ、フランス人とアイルランド人の血を引く彼は、ロシアの貴族、イタリアの侯爵、人当たりはいいが評判のよろしくない恐喝犯など、あらゆる悪党を演じた。陽気で退廃的な役柄で定評を得たことを彼は心底喜んでおり、1926年の『サタンの嘆き』では魔王にすら扮した。また、繰り返し与えられる“アメリカのベストドレッサー”の称号も、諸手を挙げて歓迎していた。

 マンジューの自伝の序文で、友人のクラーク・ゲーブルはマンジューを褒め称え、彼を経済の天才であり、1910年代のバルカン半島の政治などの難解なテーマについて語れる知識人であり、話術の達人であると評しているが、最も肝心なのは、彼をファッション評論家としてこんな風に賛美していることだ。

「彼は好ましくないスタイルの人を見ると、辛辣で軽蔑的な形容詞を口にしながら、その人の服を引き裂きかねない。また、他人のズボンを批判的な目で一瞥し、まるでダブダブのオーバーオールでディナーに来たような気分にさせることもある」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 16
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