Thursday, January 21st, 2021

A GIFT FROM A GENEROUS GOD

神からの贈り物、サミー・デイヴィス Jr.

サミー・デイヴィスJr.に闘ってほしかった人もいれば、和解を望んだ者もいた。
人種問題と格闘する中で、ミスター・ショー・ビジネスは言った。
「私は先導者になりたいとは思っていなかった。私の情熱は、ただ人々を楽しませることにあった」
text stuart husband

Sammy Davis Jr. / サミー・デイヴィス Jr.アメリカの歌手、俳優、エンターテイナー。1925年、ニューヨーク州ハーレム出身。1990年没。アフリカ系の父とプエルトリコ系ユダヤ人の母の間に生まれた。幼少の頃から音楽や楽器、ダンスに才能を発揮し、3歳で初舞台に立つ。フランク・シナトラに見いだされ、シナトラとともに“ラット・パック”を組み、アメリカを代表するエンターテイナーとなる。日本ではサントリーのCMに出演したことで有名。

 1960年代半ばのある夜、サミー・デイヴィスJr.はパームスプリングスのナイトクラブ、“チ・チ”でのショーに出演していた。公演のチケットはソールドアウトし、ショーは終わりに近づいていた。彼の右太もものホルスターには空砲の45口径のピストルが入っていた。サミーは、ハリウッドで最も優れたガンマンのひとりで、ショーのフィナーレを飾るのは、目にも留まらぬ早撃ちであることが多かった。

 しかし、この日の夜は、ちょっとした手違いがあり、ピストルはすでに撃鉄が引かれた状態だった。彼がピストルを引き抜こうとしたとき、火薬がホルスターを通り抜けて彼のモヘアのタキシード・トラウザーズに飛び散り発火した。煙が上がり始め、彼のふくらはぎの皮膚が丸く焼け始めた。観客の中には悲鳴を上げる者もいた。しかしサミーは踊り続けた。最前列の客席には焼けた肉の匂いまで漂ってきたが、彼はまだ舞台袖でおどけてみせていた。

 デイヴィスにとって、ショーはどうしても続けなければいけないものだった。ショーはタップダンス、トランペット演奏、歌謡、そして間に挟まれるコメディトークで構成され、それは3時間半にも及ぶこともあった。彼はこう言ったことがある。

「墓石に刻んでほしいのは、サミー・デイヴィスJr.という名前と日付、そしてその下にはエンターテイナーとひと言。それだけだよ。それが僕のすべてだからね」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 37
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