From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

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沖哲也さん

沖哲也さん

 ACATEブランドディレクター、FER BLEU代表取締役

 text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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新ブランドACATEディレクターの沖哲也さんです。沖さんは、もともとセレクトショップ、バセットウォーカーのPRをなさっていたので、ご存知の方も多いと思います。今回初めて知ったのですが、沖さんのご出身は、東京・墨田区押上だとか。

「スカイツリーのたもとで生まれました。もう、ものすごい下町です。家の周りには、メリヤス問屋がたくさんありました。私の母親はお洒落が好きな人で、私が小学校の頃は、よくイッセイ ミヤケなんかを着ていましたね。その影響で私もファッションが好きになりました」

 

その後、文化服装学院に入学し、オートクチュールを学びます。

「ところが当時の下町では、家業を継がず“文服”なんて、と思われていた。しかもその頃はDCブーム全盛で、私も金髪でスカートを履いていました。もう押上では、塩をかけられる存在でした(笑)」

 

バセットウォーカーに入社されてからは、まず販売を担当されました。

「入社当時は、いくら接客しても、まったく服が売れませんでした。“お客様の財布と自分の財布は違う”という当たり前のことに気付いてから、少しずつ売ることが出来るようになりました」

 

それからPRも掛け持ちするようになりましたが、予算はゼロだったそうです。

「いろいろと考えたあげく、私は編集者やスタイリストの『三河屋さんになろう』と思いました。つまり、彼らの御用聞きということです。自ら企画やウケそうなネタを作って、彼らのところへ持っていきました。私自身の自宅に雑誌編集者を呼んで、編集会議をやったこともあります」

 

こうして生まれた大ヒットが、シューズ・イン・ソックスです。

「当時は夏になると、誰もが裸足でシューズを履いていました。でも、すぐ臭くなるし、衛生上よくなかった。そこで、ローファーの内側に履けて、外からは見えないソックスのアイデアを思いつきました。ですが、そのアイデアをメーカーに持っていっても、相手にしてもらえなかった。そんな時にイタリアのマレルバ社に、冷え防止のためのインナーソックス(靴下の下に履くソックス)があることを発見しました。これがローファー用としてぴったりだったのです。靴を履くと外から見えなくて、まるで素足のようでした。『これだ!』と思って、ぜんぶ買い占めました。すると懇意にしていたスタイリストの浅野康一さんが気に入ってくれて、雑誌メンズ・イーエックスの巻頭で紹介してくれた。そうしたら、もうバカ売れで、ついには“お一人様一足しか売れません”と貼り出す始末となりました」

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 スーツはオラッツィオ。

「マットなベージュなのに、ウール素材というところが気に入って」

 

シャツはバルバ。

「最近はバルバの“ブルーノ”というモデルが気に入っています。襟の形がいいし、エッジぎりぎりにステッチが入っているところが好きなんです」

 

タイはマリネッラ。

「ちょうどいい茶色。フレスコタッチが気に入って」

 

チーフはエルメス。

「シルクチーフはエルメスのみ。レギュラー品も購入しますが、パリの蚤の市クリニャンクールなどでも買い集めています」

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時計はチュードル。ちょっと小さめのMINI SUBですね。

「この時計は14歳のころから愛用しています。昔、香港で祖父に買ってもらったものです。第二次大戦中に中国へ出征していた祖父は、かの地をもう一度訪れたいという希望があり、なぜか私を伴って二人で中国旅行へ出かけたのです。祖父は大正モダンを感じさせる粋な人でした。それ以降も時計はいろいろと買いましたが、結局これだけが残りました」

 

シューズはクロケット&ジョーンズ。

「みんなタッセル履いているから、嫌だなーと思いつつ・・(笑)」

 はい、当日の私もクロケットのタッセルを履いていました。

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 そしてクラッチバッグはACATEです。

「日本のみならず、世界で売っていけるカバンを作りたい、とクライアントであるGRADYsrlの赤石社長より依頼がありスタートしたブランドです。工場探しから始めて、何回もサンプルを作って、ようやく満足のいく形となりました。あえてバッグデザイナーは使いませんでした。なぜならデザイナーが作ると、どうしてもバッグ自体が主張してしまうからです。われわれがやりたかったのは、コーディネイトの中に自然と取り入れられる目立たないバッグでした。ファースト・コレクションは4型8色のみ。しかも売れ筋(35〜40cmのブリーフケース)はあえてやりませんでした。その方がかえってコンセプトが伝わると思ったからです」

 

6月のピッティにも出展され、国内外30社以上の受注を得ました。

「今までのレザーブランドにはないものを作ろうと思っています。セカンド・コレクションでは、“ロングホーズ・ケース”を作ろうと思っています。旅行中などに長靴下を収納するためのものです。でも、そんなもの誰も見たことがないから、どういう構造にしようかと、いま思案中なのです(笑)」

 

この自由な発想から生み出されるACATEに、ぜひ注目して下さい!

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ACATEのバッグ、左:H35×W50×D18cm 右:H35×W48×D14cm

Acate

http://acate-borsa.it/

清水宗己さん

清水宗己さん

 編集者、ライター、コピーライター、放送作家、スキッパー、超兄貴

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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さまざまな肩書きを持つ、清水宗己さんのご登場です。

私が清水さんと初めてお会いしたのは、今から20年以上前のことです。当時は雑誌メンズ・イーエックスの創刊スタッフとして活躍されており、圧倒的なパワーと造詣で、編集の現場をグイグイと引っ張っておられました。その頃の私はまだ20代のぺーぺーで、清水さんに言われるがままに駆けずり回るばかりで、その圧巻の仕事ぶりを、目を丸くして眺めていたものです。

 

清水さんは、海外を転戦するような本格的なレースにも参戦する、プロのヨットマンでもありました。いつも真っ黒に日焼けした肌と、筋肉隆々の体、そして豪快な性格から、皆に“超兄貴”と呼ばれていました(兄貴を超えた兄貴ということで)。今回久しぶりにお会いしましたが、その超兄貴っぷりに、いささかの衰えもありません。

 

撮影現場にTシャツと短パンに現れた清水さんは、開口一番、

「いやぁ、沖縄でレースに出て来たばかりなんだけど、いろいろやっちゃってさぁ・・・手首をひねって手がパンパンになっちゃったよ」と破顔一笑。

見れば左手は大きく腫れており、膝小僧には大きなバンソウコウが貼ってあります。まるでガキ大将(失礼!)のようなお姿です。しかしこれで御年70歳なのですから驚きです。

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コットンのスーツはバタク。生地は昔のハリソンズを使って、アメトラ風に仕上げてあります。

「いつもはTシャツに短パンばかりだけど、ヨット関係はパーティも多い。そういう時には、スーツも必要なんだ。しかし胸板が厚くて骨太なので、既製品だと合わない。そこで友人から薦められたバタクで、一着誂えてみることにしたんだ。実際に作ってみたら、オーソドックスで着やすくて、すごくよかった。今ではスーツ3着に、ブレザーも持っているよ」

 

ボタンダウンのシャツもバタク。素材はギザのロイヤルオックス。

 

メガネはルノア

「ヨットに乗りすぎて目が焼けてしまった。だからいつもサングラスが必要なんだ。ルノアはシュツットガルトにある工房へ取材に行ってからファンになった。これはグローブスペックスの岡田哲哉さんに作ってもらったもの。彼は検眼が上手だから安心して任せられるね」

実は私も、岡田さんに作ってもらったルノアを愛用しています。

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 時計はジラール・ペルゴのトノータイプ。

「買ったのは90年代前半かな。当時のメンズ・イーエックスの時計担当に薦められてね。前社長のルイジ・マカルーソ氏とは何度も会ったことがある。もう死んじゃったけど、いい人だった・・」

 

シューズはジェイエムウエストン。90年代にずっと通っていたジュネーブで買ったもの。

 

「若い頃はVANの影響で、アメリカン・トラッドが流行っていた。昔はアメ横へ行って、ハナカワや小池といった店でよく買い物をしたな。今でも基本的にはアメトラが好きだ」

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清水さんは、学生時代からコピーライターとして仕事を始め、スタヂオ・ユニ、サン・アド(元サントリー宣伝部)、ブルータス、ターザンなど、超一流処を渡り歩いて来られました。

「サン・アド時代に、オーストラリアからハワイまで回る、大きなヨットレースに出場できるチャンスがあって、どうしようか迷っていたら、当時の上司に、『そんなもの簡単だ。今すぐ辞表を書け。滅多にないチャンスなんだろ』と言われた。それが開高健さんだった」

 

その後、1980~90年代にかけて、日本の広告・マスコミ業界が、最も輝いていた時代を駆け抜けました。

「80年代には、毎月のようにロサンゼルスへ行っていた。当時は円が強かったから、日本でロケするより、その方が安かったんだ。札束を抱えていって、外国人スタッフ全員に、毎日現金でギャラを払っていた。パタゴニアのイヴォン・シュイナードと知り合ったのもその頃。ベンチュラの本社は肉屋の建物をリノベしたもので、近くには社員のためのアウトレットがあった。そこでずいぶんと買い物をしたよ」

 

小さくまとまってしまった今の編集者と違って、清水さんの時代は何もかもが豪快です。

「南米のインディオの結婚式を取材することになったんだ。ところが直前になって、『カネがなくて、式が挙げられない』という。『どうすればいいんだ』と聞いたら、『とりあえず牛一頭あれば、なんとかなる』ときた。だから本当に牛一頭買ってプレゼントしたんだよ。その牛を丸ごと焼いて食べたんだが、中の方は生焼けで、アレには閉口したなぁ(笑)」

 

こういったエピソードは、枚挙に暇がありません。

 

さらに清水さんは、横浜の伝説のライダース・クラブ“ケンタウロス”のオリジナル・メンバーでもあります。

「ボスの飯田さんは、もともとは関内の本屋の息子なんだ。東洋大の哲学科を出たインテリでね。そこで声をかけられてケンタウロスに入った。だからイメージとは違うかもしれないけど、ケンタウロスはとても知的なクラブで、メンバー13人のうち4人はクリエイターだったんだ。雑誌“ライダース クラブ”の創刊を手掛けたのも、ケンタウロスのメンバーたちだった」

 

昔の雑誌は面白かったと言われますが、それは清水さんのような人たちが手掛けていたからでしょう。

「面白い人が作る本が、面白い」

現代のサラリーマン編集者としては、反省することしきりです。

 

超兄貴! また、いろいろと教えて下さいね!

中寺広吉さん

中寺広吉さん

バタク代表取締役、モデリスト

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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 ビスポークテーラー、バタクの中寺広吉さんのご登場です。撮影と取材は、新宿御苑に臨む、バタクのビスポーク・サロン“batak NAKADERA”にて行ないました。

室内にはアイリーン・グレイやジオ・ポンティの名作、および北欧のアンティーク家具が並び、その上にラリックのオブジェが飾ってあります。アキュフェーズのアンプで鳴らされるB&Wのスピーカーからは、静かにバッハやビル・エヴァンスが流れています。花瓶に活けられているバラの花の赤と、ビロードのカーテンの濃紺が、美しいコントラストを成しています。そして窓外には、御苑の緑が一面に広がっています。

 

私もいろいろなテーラーへお邪魔しましたが、こんなに素敵な空間は見たことがありません。ここのインテリアに接しているだけで、オーナーの中寺さんが並々ならぬ感性の持ち主であることがわかります。

「建築やインテリアは大好きです。もしかすると服より好きかもしれない(笑)。でも、そういったことは大切だと思うのです。日本のテーラーの技術は、確かに高くなりました。しかし、洋服しか知らない人が多過ぎる。キレイに縫ってはあるけれど、雰囲気がないのです。その点、まだまだヨーロッパには見習うべきところが多いと思います」

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 バタクの創業は1994年。今でこそ、日本にはたくさんのお洒落系テーラーがありますが、当時はテーラーといえば、敷居の高い老舗か町の仕立屋しかなく、バタクは孤軍奮闘といった有様でした。ちなみに私の古巣メンズ・イーエックスの創刊は1993年ですから、同じような時期に、同じようなことを始めたのです。中寺さんとは年齢も同じなので、昔の話をすると、共通点がとても多いのです。

「小学校の頃、ドラマ『傷だらけの天使』を見て衝撃を受けました。主演の萩原健一さんのスーツがとにかくカッコよかった。作っていたのは、タケ先生(デザイナー、菊池武夫さん)率いるメンズ・ビギでした。その後のDCブームを経て、私もメンズ・ビギへ就職することになりました。パタンナーをやっていましたが、その頃はすでに自社の服には興味がなく、英国の1930〜40年代の古着ばかり着ていました。デザイナーになろうとも思いましたが、どうしても実際のモノ作りをやりたくて、モデリストの道を選びました」

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スーツはもちろんバタク。シャークスキンの生地はゴールデンベール(希少な羊毛原糸)を使ったテーラー&ロッジ製で、バタクのオリジナルだそうです。

シャツもバタク・オリジナル。生地はトーマス メイソン製。

タイもオリジナル。7センチ幅のナロータイです。

 

時計はヴァシュロン・コンスタンタンのアンティーク。1930年代製だそうです。

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タッセル・シューズは英国フォスター&サンズのビスポーク。

「やはり英国の靴が好きなのです。最近はフォスター&サンばかりですね。日本に定期的にトランクショーに来るので、その時にオーダーしています」

 

「今日のコーディネイトは、地味な50年代の感じを意識しました。ファッションにおいては“足す”よりも“引く”ほうが好きですね。シャツは9割は白、靴も8割は黒です」

とクールに仰います。

 

うーむ、これまた完璧なスタイリングですねぇ。ここまでいろいろと完璧だと、ちょっとイジワルな質問もしてみたくなります。

「中寺さんというと、ストイックなスーツのイメージですが、カジュアルは着ないのですか?」との質問には

「いえ、もちろん着ますよ。アメカジが基本です。休日はリーバイスの501やフレンチラコステのポロ、コンバースのジャックパーセルなどを愛用しています」とのお答え。

さらに突っ込んで、「私には、いま6歳になる息子がいるんですが、保育園時代は、チャイルドシートのついたママチャリで送り迎えをしていました。中寺さんにも娘さんがいらっしゃいますよね? まさか、ママチャリは乗ったことありませんよねぇ?」と問うと、

「いえ、実は乗っていましたよ。アレは本当にダサイんですが、他に方法がなかったので。『誰かに見られたら嫌だなー』と、いつも思っていました(笑)」

ああ、なんとなくそれを聞いて安心しました。ママチャリをこいでいる中寺さん、見たかったです。

 

P.S.さて、ずっと近しい世界にいた中寺さんと私ですが、実は洋服をお願いしたことはなく、今回初めてビスポークのオーダーをさせて頂きました。フォックスブラザーズのフランネルで、ネイビーのチョーク・ストライプ、ダブル・ブレステッド。さて、どんなスーツが出来上がるか、今から楽しみで仕方ありません。完成したら、またリポートさせて頂きます!

 

batak NAKADERA

東京都新宿区新宿1-3-4 Gyoen R 6F

TEL 03-5919-6682

http://batak.jp/

 

福田洋平さん

福田洋平さん

 シューメーカー

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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靴職人の福田洋平さんのご登場です。今や、日本を代表する靴職人の一人と言えるでしょう。北青山にあるショップには、世界中から人が訪れます。顧客の半数以上が外国人だそうです。

「フランスとアメリカ、そしてイギリスからの方が多いですね。あとはシンガポールと香港。ブログやSNSなどで知って、来られるようです」

なるほど、こういう話を聞いていると、雑誌屋としては「時代は変わったなぁ」と思います。

「先日、ロンドンでスーパートランクショーという催しがあって、各国の職人たちが集まったのですが、外国人が皆、口を揃えて『日本のモノは世界一だ』と言ってくれました。これは嬉しかったですね」

そうです。今や日本は職人大国です。大勢のリッチな外国人たちが、日本へスーツや靴を作りにやって来ます。日本人は手先が器用でマジメなので、英国やイタリアで学んだ技術に磨きをかけ、本家よりさらにいいモノを作ってしまうのですね。

福田さんも、

「どうがんばっても1カ月に7足が限度なのですが、注文はそれ以上に入ります。納期がどんどん伸びてしまって、申し訳ない」

 と嬉しい悲鳴を上げています。

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スーツは、近藤卓也さん率いるヴィックテーラーで、8年ほど前に作ったもの。

「ヴィックテーラーでは、もう5着ほど作りました。トレンドを追わず、いい意味で普通な服作りをされているところが好きなのです。今日はスーツですが、普段はジャケットスタイルが多いですね。ボウズにヒゲでスーツだと、初めて会う人に怖がられてしまうので(笑)」

あ、私もスーツを着ていると、いつもその筋の人に間違えられます。

 

シャツは、水落卓宏さんのディトーズでオーダーしたもの。

「シャツって一番ビスポークのメリットが、わかりやすいものだと思います。既製品のシャツは、どこかが合っていると、どこかが合わないでしょう?」

 

タイはドレイクス。

「実はドレイクス当主のマイケル・ヒルさんにも靴を作らせてもらい、東京に来ると必ず寄ってくれるのです。その際ドレイクスのタイを、2本ずつお土産に持って来てくれるんです」

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シューズはもちろん、ヨウヘイ・フクダ。ヘリテージ・コレクションの“セレスト”というモデルです。さすがに美しいですね。

「私の靴の特徴は、英国の第一次大戦前の靴をモチーフにしているところでしょう。今では英国靴というとエドワード・グリーンの202のような、ぽってりとしたラストを思い浮かべる方が多いと思いますが、それは第一次大戦が始まって、靴の大量生産が必要になってからです。それ以前のエドワーディアン時代(エドワード7世在位時代=1901~1910年)は、スマートなスクエアトゥが主流でした。私はこの時代が、靴作りにおける、ひとつの頂点だと思っています。数えきれないほどの職人たちが工房を構え、互いに腕を競っていたのです」

 

福田さんが靴職人になるきっかけも、この時代に作られた一足の靴だったそうです。

「英国ノーザンプトンの靴博物館で見た、一足の黒いストレートチップに目が釘付けになりました。『人って、こんなに綺麗なものを作れるんだ』と感動したのです。その瞬間に靴職人になることを決心しました。その靴は今でも、たまに見に行くんですよ。作り手は“アンノウン(わからない)”となっていますが」

 

そして作った渾身のサンプルは、英国で当時通っていた靴学校の先生を驚嘆させ、「お前はこの道を行くべきだ」と言わしめたほど。その実力が認められ、本場の一流処クレバリーやグリーンのビスポークのアウトワーカーなどを務めました。6年後に帰国して、中野に工房を構えます。しかしそのスタートは、決して順風満帆ではなかったようです。

「最初の工房は中野・鷺宮の自宅アパートの一室で、4畳半しかありませんでした。そこで接客をし、靴を作っていました。でも、ぜんぜん注文がないので、一日中寝ていることもありました(笑)」

 

しかし、いいモノを作っていれば、必ず評価してくれる人はいるもの。ビジューワタナベという時計店の店頭にサンプルが置かれたことがきっかけで、評判が評判を呼び、前述のような大盛況へと至ったわけです。

 

さて、ここでオマケ話をすると、福田さんは決して、若い頃から本格靴職人を目指していたワケではなかったそうです。そこにはいろいろな運命のイタズラがあったようで・・・この話は面白いので、もし行かれる機会があったら、採寸の際に突っ込んでみて下さいね!

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Yohei Fukuda

Mater Styling ¥280,000〜

Bespoke ¥430,000〜

東京都北青山2-12-27 BAL青山2F

Tel.03-6804-6979

https://www.facebook.com/yoheifukudashoemaker/

https://www.instagram.com/yoheifukudashoemaker/

檀正也さん

檀正也さん

 サルト代表取締役 檀正也さん

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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日本に“高級お直し店”という存在を広めた、サルトの社長、檀正也さんです。

高身長にスリムな体型。オーダーメイドのスーツがよくお似合いです。

「高校生の頃は、もっと細かった。身長180cmに対して、体重は50kgちょっとしかなかったのです。だから、どんな服を買っても、ダブダブになってしまう。そこで買った洋服は、すべて直してから着ていました。どこをどう直すか、いつも自分で工夫していました。その頃から“お直し”が大好きだったのです」

大学卒業後、アパレルメーカーへ就職し、企画を担当するも、どうしても興味は、“作る”ことよりも“直す”ことへ向いていってしまったそうです。

「せっかく大枚叩いて買った洋服なのに、1シーズンで着られなくなってしまうのは、おかしいと思っていました。ヨーロッパなどでは、当時からお直しの文化がありましたからね。また私は実は、サルトの前に一つ会社を立ち上げているのですが、そこでは環境にやさしい洗剤や香り、防虫剤などを扱っていました。若い頃から、そういったことに関心があったのです」

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スーツは、韓国のB&テーラーによるもの。サルトのショップでも扱っています。

「スーツ職人だった父親と、イタリアで修行した息子2人がやっているテーラーです。サルトの支店をソウルに開く際に、たまたま見つけて惚れこみました。とにかく柔らかくて着心地がいい。また、すごい数のパターンを持っていて、デザインがとてもいいんです。決まり切った形しかやらない普通のテーラーとは、全然違います」

 

シャツは、サルトのオリジナル・オーダーメイド。カラーピンは後付けです。

 

タイは、加賀健二さんが手がけるフィレンツェのセブンフォールド。最近いろいろなところで見かけます。

「加賀さんとは、10数年のお付き合いになりますね。今回もいいコレクションでした」

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時計はアンティークのブローバ。かつては非常にメジャーだった、アメリカの時計メーカーです。

「なんでも古いものが好きなのです。クルマもそうで、現在の愛車は、フィアット1200カブリオレという1965年式のイタリア車です。これがもう、壊れる壊れる。この間は走行中に、ドアノブが落ちました(笑)。現在も修理中です」

もう、なんでも直すのがお好きなのですね。

 

 シューズは、やはりフィレンツェの深谷秀隆さんのイル・ミーチョ。このブランドも、もはや世界中の洒落者の定番ですね。

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「サルトを立ち上げたのは、2000年のことでした。当時はセレクトショップがこぞってイタリア製の服を扱っていました。しかし今と違って、その作りはひどかった。イタリア人が作る服はいい加減で、袖がねじ曲がっていたり、マニカ・カミーチャの雨の分量が左右で違っていたり、そんなことはしょっちゅうでした。そこで、ビジネスを立ち上げるなら、そこを狙うしかないと思ったのです」

サルトが登場するまでは、お直しは “町のお直し屋”に持ち込むしかありませんでした。しかし、そういった店はお洒落とは無縁だったので、納得いく仕上がりからは、ほど遠かったのです。そこへ檀さん率いるサルトが現れて、「いい服を、少しずつお直ししながら長く着る」ということが、ようやく一般的になったのです。

現在では発祥の地、福岡をはじめ、東京、名古屋、札幌、そして韓国ソウルなど、各地にショップを展開されています。

 

さぞや、もうかっているでしょう、と聞くと、

「全然もうかりません」とのお答え。

「この仕事は、高いものを扱っているので、決して手は抜けない。そして、凝れば凝るほど、もうからないのです。洋服なら安いラインも作れますが、お直しでは、そうはいかないでしょう?」

なるほど、確かに。

しかし、そういう檀さんの顔は実に嬉しそうです。この方、根っから「直す」ことが好きなのですねぇ。クレイジー・ダイヤモンドみたいです。

 

<サルト銀座店>

東京都中央区銀座2-6-16 第二吉田ビル2F・3F

Tel.03-3567-0016

11:00-19:30(日・祝11:00-19:00)最終受付は18:30(日・祝 18:00)

http://www.sarto.jp/

 

板倉赫さん

板倉赫さん

KAKUコーポレーション代表、ファッション・プロデューサー

text kentaro matsuo

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日本ではあまり知られていないけれど、欧州では広く知られている日本人がいます。例えばGPライダーの原田哲也さんなどはその代表格で、イタリアで「最も有名な日本人は?」と聞くと、皆「ハラダ、ハラダ!」と叫ぶそうです。

ではファッション界では誰かといえば、もしかしたら今回ご登場の、板倉赫(かく)さんかも知れません。

 

ミラノ在住の板倉さんは、1983年のマーレ・モーダ・サンレモでの受賞を皮切りに、四半世紀以上にも及ぶイタリアでのデザイン活動の中で、さまざまな受賞歴を誇ります。特に権威ある“アルテ・エ・イマジネ・ネル・モンド2005(世界の芸術とイメージ賞)”の受賞は、日本人初の快挙でした。

 最近では、バーニーズ ニューヨークのコンサルタントや、雑誌MADUROで連載をなさっているので、日本での知名度も急上昇といったところでしょうか。

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さてそんな板倉さんは、デザイナーなのかというと、これがちょっと違っていて、本人曰く「サルトであり、モデリストであり、MDであり、スティリスタであり、ファッション・プロデューサーなのです」とのこと。とにかくファッションに関連する事を手がけてきています。装いにも、そんな多様性が表れています。

 

ジャケットは、板倉さんのマエストロでもあるブルーノ・ディ・アンジェリス。1981年頃に仕立てた思い出のある一着です。なんと30年以上も前の1着ですが、まったく古さを感じさせません。

「ブルーノは私のマエストロだったのです。彼はフランコ・プリンツィバァリーの兄弟子で、その先生はマリオ・ドンニーニ。さらにその先生がドメニコ・カラチェニです」ということで、そのスジに詳しい人なら、思わずひれ伏してしまうような系譜に連なっています。

 

シャツはミラノのザ・ストアで入手したジャンネット。

「シャツだけは新しいものを買います。すぐに黄ばんでしまうからね」

チーフはロダ。

 

 メガネはミラノのマルケーゼという工房兼小売店で買ったもの。

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パンツはやはりミラノのクランという店で買ったモノですが、なんと日本製だったそうです。

「イタリア人の店員が『ズボン、ズボン』というから何だろうと思ったら、実は日本で作られたものでした(笑)。でも履きやすい。ブランド名は“丈”と書いてありますね」

 

ベルトはオルチアーニ。

 

時計はフランク・ミュラーのトノウ カーベックス。1995年に入手されました。

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 カードケースはイタリアのフォンタナ社製で、自らデザインし、自らの名を冠した”KAKU”コレクションのもの。

 

シューズはジェイエム ウエストンで、購入したのは、やはり30年以上前の1983年だったそうです。

「いいものは古くなっても、ずっと履けるし着られます」

 

さまざまな国で、さまざまな年代に作られたものを組み合わせているのに、完璧にまとまっているのは流石です。

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「買い物はミラノですることが多いですね。モノマルカ(=ひとつのブランドしか置いていない店)にはほとんど行きません。行きつけの店はセレクトショップで、店員たちと相談しながら洋服を選びます。彼らは私の好みとワードローブを把握していて、次々とおすすめを持ってきてくれます。そして『コレにはコレ、アレにはアレ』とコーディネイトの提案も忘れない。ジョークを交えつつ、服選びをしていると、すぐに3〜4時間は経ってしまいます。お直しも細かくする。例えばパンツの裾を上げるのも、裾幅が変わらないよう、膝下全体で詰める。しかも来店しているのは、ある程度の経験を積んだ大人ばかりで、若者はいないのです。こういう文化は日本にはないですね」

 

板倉さんの父上はテーラーで、小さい頃から「布キレにまみれて育った」そうです。アパレルメーカーにデザイナーとして務めた後、1973年に初めて訪れたイタリアで、人生の転機を迎えました。

「ミラノ、そしてフィレンツェへ行きました。フィレンツェでは、ちょうど第1回目のピッティをやっていましたね。そしてそこで見た本場の男の装いに、衝撃を受けたのです。日本とはまさに“月とスッポン”ほど違いました。遊園地へ行った子供が夢中になるのと同じように、イタリアという国に夢中になりました。私はイタリアに一目惚れしてしまったのです」

 

以来40数年、いまでもその情熱は続いているようです。

「私はいわゆる団塊の世代なのですが、同輩が定年を迎えて輝きを失っていくなか、私は年齢を重ねるごとに元気になっています。とにかく毎日がチャレンジです」

ファッションは“ライフ”と言い切る板倉さん。こんなにカッコいい先輩に出会えるからこそ、私も編集者稼業はやめられませんね。

 

岡田哲哉さん

岡田哲哉さん

グローブスペックス代表取締役

text kentaro matsuo  photography natsuko okada

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日本におけるお洒落系メガネショップの草分け、グローブスペックス代表、岡田哲哉さんのご登場です。実は私はすでに老眼なのですが、その私のメガネをお願いしているのも岡田さんです。

「ファッションとしてのメガネ、そして医療としてのメガネ、どちらも全力でやっています」との言葉通り、視力矯正具としてのメガネを、安心してまかせられるのが理由です。私はいくつかリーディンググラスを持っていますが、岡田さんに作ってもらったものは、圧倒的に見やすく疲れず、そればかりかけるようになりました。

スーツはKolor(カラー)。デザイナー、阿部潤一さんが手掛けるジャパン・ブランドです。

「Scye(サイ)、エムズ ブラック、マンドなど、日本のクリエイターが作るブランドが好きですね。日本人が作っているので着やすいし、サイズも直さないで済む。デザインにヒネリがあって面白いけれど、皆ベーシックをよく知っているので、大きくハズさない安心感もあります」

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シャツはNYのアダム キメルとカーハートのコラボ。襟に付けているピンはラルフ ローレンです。

「以前、ラルフ ローレン表参道店のすべてのディスプレイで、このピンを使っていたのです。『アレを買いたい』と言ったら、非売品だといわれた。でもどうしても欲しかったので、しつこく迫ったら、なんとタダでもらえたんですよ(笑)」

ベルトもラルフです。

 

タイはニューヨーク、ブルックリンのザ・ヒルサイド。

「ニューヨークで買いました」

実は岡田さんは、小学校と20代の頃にNYに住んでいたことがあります。日本では南青山が地元で、母校はフロムファースト向かいの青南小学校だとか。根っからの都会っ子です。

 

メガネはザ・バラックス。ご自分でデザインしているコレクションです。

「コンセプトは“ミリタリー”です。ケースはフライトジャケットのMA-1のような素材ですし、メガネクロスには1940年代の軍隊をモチーフにしたコミックがプリントしてあります」

フレームカラーは、一見黒に見えますが、実はネイビーです。

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時計はIWCのポルトギーゼ。ナイロン・ストラップに替えてあるのは、ファッションではなく、抜き差しならない理由があるのだとか。

「実は私は、レザーアレルギーなのです。革製のものを身につけていると、皮膚が赤く水ぶくれのようになってしまう」

そんなアレルギーがあるとは、初めて知りました。

 

シューズはおなじみ、コンバースのジャック・パーセルです。

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なぜメガネ業界に入られたのですか? と聞くと意外な答えが返ってきました。

「私の生家は非常に堅く、父をはじめ親族は皆、金融系や弁護士ばかりだったのです。そこで私も大卒後の就職は銀行を選びました。しかしこれが、まるで向いていなかった。数字ばかりカウントして、『こんなにつまらないことはない』と思いました。そこで昔から好きだったファッションの世界に入りたかったのですが、100%ファッションというのは、家系のせいか抵抗があった。だから、半分ファッション、半分医療というメガネ業界へ入ったのです」

岡田さんが元・銀行員だとは知りませんでした。

 

「それから医療としてのメガネはみっちり勉強しました。しかしファッションのほうは、まるで理解してもらえなかった。海外からアンティーク・フレームを輸入しようとしたら、とんでもないといわれました。当時は、まだまだメガネは、視力矯正具だったのです」

 

満を持してグローブスペックスを開いたのは、38歳の頃。

「“目が悪いからメガネをかけるのではなく、かけたいからかける”というコンセプトの店を作りたかった。しかし他店が1〜2万円のものを揃えるなか、私の店は5〜6万円が中心でした。しかも当時はビルの3階だったということもあり、最初の3ヶ月間はまったくお客さんが来なかった」

 

ところが、一人のライターの尽力によって、ブレークスルーが訪れます。

「ライターの山口淳さんが、メンズ・イーエックスをはじめ、三つの雑誌に見開きの記事を書いてくれた。タイトルは“日本にも本格的なメガネ店登場”というものでした。その記事が世に出て以来、もう爆発的に人が来ました」

(故・山口淳さんは、私も大変にお世話になった方です。素晴らしい目利きでしたが、残念ながら、2013年に急逝なさいました。二人ともしばし彼のことを思い出し、しんみりしました)

 

「はじめの頃は、メガネというものと格闘していましたが、いまでは自分の人生の重要なパートナーとなりました。面白くなってきた仲間ともいえるでしょうか。どんどんメガネが好きになりますね」

ここにもまた、自分の好きなことを生涯の仕事にし、幸せを掴んだ方がいました。

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グローブスペックス代官山店内。同店は、去る2月にミラノで開催された世界最大規模のメガネ展示会MIDOにて、世界一のメガネ店を選出するBESTORE AWARDにて、最優秀賞を受賞しました。日本はおろかアジアでも初の快挙だそうです。

 

グローブスペックス代官山店

〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町14-12A
Tel:03-5459-3645
OPEN 11:00 – CLOSE 20:00
定休日:なし(年始を除く)

http://www.globespecs.co.jp/

山神正則さん

山神正則さん

 シャツ職人

text kentaro matsuo  photography natsuko okada

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ストラスブルゴが擁する、ハウス テイラーズ ラボにて腕をふるうシャツ職人、山神正則さんのご登場です。いつお会いしても、ビシッとしたスーツ姿でキメている、素晴らしいファッショニスタです。

「私は一年中ほとんど毎日スリーピースを着ています。たまの休日、家で過ごす日も、タイを締めて朝食を食べています。これは祖父の影響です。彼はどこへ行くにも身だしなみを整えており、それがとてもカッコよく見えました」

 

スリーピースは、ストラスブルゴのオリジナルパターンオーダー。生地はコットンソラーロです。

「コットンや麻は、よく着る素材です。最初は硬かったのですが、着込んでいくうちに、ほどよい柔らかさになってきました。こういうものは、丸めて壁にぶつけたり、クシャクシャにして放っておいたりしたほうがいいのです」

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シャツはもちろん、山神シャツ。生地はイタリアのボンファンティです。

「カルロリーバから独立した人が興したメーカーです。その生地は、古い織機を使ってゆっくりと織られていて、フワッと柔らかい。こことスイスのアルモが、ウチの素材の軸となっています」

薄いベージュの生成りカラーも、山神シャツの代名詞となりつつあります。

 

タイは10年ほど前のピエール・カルダン。

「昔のデザイナーズのタイを探して、着用しています。サンローランが多いですね。芯材がペラっとしていて、生地もしんなりしており、好みに合うのです」

注目してほしいのは、ノットです。

「タイを結ぶ時、普通は大剣を小剣に巻つけますよね。しかし私の場合は逆で、小剣を大剣に巻きつけるのです。当然巻き終わりは小剣が上に来てしまうので、最後に上下逆にヒネリます」

結び目が小さな独特のノットは、通称“山神ノット”と呼ばれています。もしその名前が定着したら、ウィンザー公以来でしょう。

 

チーフはムンガイ。

メガネは金子眼鏡店

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時計はセイコーのクォーツ。

「これは祖父からもらったものです。時計はいつもカフの上からして、カフスボタンでずり落ちないように留めています。こうすれば汗をかいても、時計やストラップが痛みません」

 

9金とホワイトゴールドのブレスは、HUM(ハム)。日本のブランドです。

「クロムハーツとティファニーのちょうど真ん中、の感じでしょうか」

 

コンビのシューズはエドワード・グリーンのマルヴァーンです。

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「今日のコーディネイトのテーマは“お花見”です。桜の幹を意識した色合わせ。私は花見が大好きなんです。ただ酒が飲みたいだけですけれど(笑)」

実はこの撮影は、東京の開花宣言の翌々日に行われました。

 

日本には、世界的に名の通ったテーラーや靴工房がたくさんありますが、カミチェリアは、まだまだ数が少ないのが実情です。もともとデザイナーであった山神さんにとって、シャツ職人への転身は冒険でした。

「私がシャツ職人になると宣言したら、まわりからは止められました。なぜなら、日本ではシャツは消耗品とされていて、お金をかける人などいないと思われていたからです」

 

しかしシャツ作りへの思いは断ちがたく、33歳にて山神シャツを立ち上げます。

「多くの方に、喜んでいただきました。体型に合わないシャツをガマンして着ていた人や、海外でオーダーするしかなかった人が、顧客となってくれました」

 

山神さんのシャツは、20か所以上の採寸をはじめ、緻密な作り込みで知られますが、いちばんこだわっているのは、ボタンつけだとか。

「実は幼いときから、ボタンつけが大好きだったのです。母親の裁縫箱のなかにあるさまざまなボタンを、ひたすら生地に縫いつけていました」

小学校低学年のときから、ボタンつけが暇つぶしだったというから驚きです。

「ボタンつけは、シャツに命を吹き込むことだと思っています。アスリートと同じで、1日休むとカンを取り戻すために3日かかる。だから出張に赴くときも必ずシャツとボタンを持っていきます。今まで何万個というボタンを縫いつけてきましたが、ぜんぜん苦になりません。むしろ、もう楽しくて楽しくて」

まさに、シャツ職人になるために生まれてきたようなお方です。

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<ハウス テイラーズ ラボ>

ストラスブルゴのフラッグシップショップ3階に位置する、オーダーメイドの殿堂。スーツ、ジャケット、シャツ、パンツと、すべての紳士アイテムがオーダーできる。まるで劇場のような設えで、職人たちが作業する様を眺めることができる。アポイント制なので、来店前に必ず電話連絡を。

東京都港区南青山3-18-1 3F
Tel.03-3470-6367
営業時間/平日12:0020:00
土日祝:11:002000

http://strasburgo.co.jp/blog/tailor/

中村哲彦さん

中村哲彦さん

 HIKO取締役会長

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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いま話題の超高級セレクトショップ、銀座HIKO(ひこ)のオーナー、中村哲彦さんです。この店で驚くのは、置いてある商品が、あまりに高額なことです。百万円、2百万円は当たり前。中には1千万円以上のプライスタグが付いているブルゾンがあったりします。もう洋服屋というより、外車ディーラーの世界です。ここにいると、だんだん感覚が麻痺してきて、例えば10万円のニットを見つけたりすると、「安い!」と思ってしまいます。

 

HIKOの創業は1986年、もともとは熊本のお店です。九州男児といえば、質実剛健なイメージですが、熊本はちょっと違うのだとか。

「熊本はファッション好きが多いのです。飛びつくのも早いが、飽きるもの早い、それが熊本県人ですね(笑)」

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 スーツはジリー。「世界最高のものしか作らない」というコンセプトを掲げるフランスのブランドです。素材はウール×シルクで、うっすらと上品な光沢があります。

タイもジリー。

「初めてジリーの商品を仕入れたのは、もう25年くらい前になります。カシミアのコートでした。品質が他のものとは全然違うので、びっくりしました。値段も倍以上して、こちらにも驚きました」

 

シャツは日子のオリジナル。

 

ラペルに挿したピンは、特注のホワイトゴールド製。「魚座なので、イルカをモチーフにしました」と。

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時計はアンティークのヴァシュロン コンスタンタン。20年ほど前にパリで購入されました。

 

シューズはイタリアのバレット。

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「がちがちにキメるのは嫌いなのです。どこか、抜けている部分がないと、粋じゃない。例えば私の場合は、スーツを着る時などは小物やシューズで少し遊びを入れています。

 

中村さんは、バブル期には、フェレ、ミッソーニ、フェラガモなどのイタリアン・ブランドを、いち早く九州に入れました。その後、自らの店HIKOを立ち上げ、しばらくはうまくいっていました。

「しかし、バブルがはじけて、売り上げが急にダウンしました。それまでは問屋から回してもらった商品を、そのまま陳列し、売れた分だけお金を払うというやり方でした。でも、そんな商売は続けられなくなった。そこで、自ら海外へ行って、自分がいいと思ったものを、直接仕入れることにしたのです。当時、われわれのような小さな店で、そんなことをやっているところはありませんでした」

 

海外へ出てみると、今まで見えていなかったものが、見えるようになったといいます。

「われわれが知らなかったいいものがたくさんありました。それらをお客様に紹介したいと思い、ひたすらやってきたら、こんな品揃えになったのです。でも最初に超高額商品を仕入れたときは、ドキドキしましたね。確か200万円のアストラカンのコートだったと思います。『売れなかったら、どうしよう』と何日か迷いました。しかし、どうしても頭から離れなかった。今だったら、なんとも思いません。仕入れは度胸ですね(笑)」

 

銀座に進出したのは、昨年の10月です。そのきっかけは熊本地震でした。

「あの地震で店は半壊し、何日も車中泊をするはめになりました。自然の力の前では、人間は無力だと思い知らされましたね。『人の命なんて、いつどうなるかわからない。だから、やりたいことはやっておこう』と思い、かねてから考えていた、東京進出を決めました」

 

現在では、娘の響子さんと二人三脚で店を切り盛りされています。

「娘はまだまだですね。面白い発想をすることもあるけれど、もっと経験を積まないと、経営者としては生きていけない。点数をつけるとすれば、60点くらいでしょうか」

となかなか手厳しい。しかし、その目は愛情に溢れていました。

 

世界中から選び抜かれた超一流品を見に、ぜひHIKOへ足を運んでみてください。

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 現在最も高額な商品は、ヘッタブレッツのクロコダイル・ブルゾン。価格は驚愕の1,400万円!

ヒコ店内

 HIKO銀座:東京都中央区銀座2丁目8-17
ハビウル銀座Ⅱ 2階  TEL.03-6264-4450

松井雅美さん

松井雅美さん

アクス代表取締役

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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空間プロデューサーの松井雅美さんのご登場です。かつてバブルの頃には、まさしく“時代の寵児”だった方ですね。“ナバーナ、レッドシューズ、タンゴ、インクスティックなど、80年代を代表する名店の数々を手掛けてこられました。空間プロデューサー”や“カフェバー”という言葉は、彼がいなかったら、生まれてはいなかったでしょう。意外なことにご出身は、東京の下町でした。

「もともとは上野桜木、寛永寺のすぐそばの出身です。浅草が目と鼻の先だったので、よく映画を観に行っていました。当時はウエスタンに憧れていましたね」

 

松井さんは、若い頃から相当な遊び人で、華麗なる交友関係をお持ちです。

「中学、高校と暁星学園に通いました。当時はJUNを着ていましたね。16歳頃からレースに夢中になって、船橋サーキットを走り始めました。当時の親友の実家だった川口アパートメント(直木賞作家・川口松太郎さんが手掛けた文京区春日の高級マンション。かつては加賀まりこさんや安井かずみさんなど、錚々たる顔ぶれが住んでいた)のプールでカフェを始めました。これが初めて手掛けた飲食かな(笑)」

 

ファッション・ブランドの経営も、学生時代から。

「通っていた赤坂のディスコ“ムゲン”の地下で、モデルの青木エミさん(マックスファクターモデル、井上順さんの元妻)と組んで、自分たちで作ったシャツや革ジャンを売り始めたのが最初かな・・・その後、73年に事故死したレーサー中野雅晴が、元エドワーズと組んで自由が丘でやっていたブティック“アップル”を引き継ぎました」

「DCブームの頃は、すごかったな。佐藤孝信さん(アーストンボラージュのデザイナー)やドン小西さんなど、知り合いのデザイナーたちが売れまくって、実に景気がよかった。そういえば青山のかおたんラーメンの向かいにあった、ジョルジオ アルマーニ初の路面店も手掛けましたね・・・」

 

松井さんの話を聞いていると、キラ星のごとき人々が、次々と登場します。この方は東京という街の中心にいて、ずっと時代をリードしてきたのだ、ということがわかります。

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 ジャケットはフランスのヴィコント アー。

「友人がインポートを手掛けているので、最近はここのものを着ることが多いです。ディテールに遊びがあって面白い」

チーフのように見えるのも、実は裏地を引っ張り出したものです。

 

シャツは、新宿伊勢丹でパターンオーダーしたもの。

「同じ生地で一度に3〜4枚作ります。藤村俊二さんには『シャツはシワがあっちゃダメ』と言われてましたね」

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時計はフランク ミュラー。

「15年ほど愛用しています。ふざけて偽物をしていたら、ある方から『そんなものするな』と言われて、本物を頂きました(笑)」

 

ジーンズは、ディースクエアード。

「ジーンズはほとんどここのものです。でもシルエットは必ず直してから着ます。実は私は、白金・広尾にキューズという洋服のお直し屋も経営しているんですよ。もう20年になります」

 

スエードのシューズはトッズ。

 

「基本はフレンチトラッドです。いつもネイビーブレザーにブルー系のシャツ、そしてジーンズの組み合わせ。靴とベルト、バッグの色を合わせるのがルールです」と。

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松井さんが若かりし頃は、まだ仕事と遊びの区別が曖昧だったようです。面白い人の周りに面白い人が集まり、自然と新しいことが始まっていったのでしょう。なんでも四角四面になってしまった現代から見ると、羨ましい時代です。

 

「今まで200件以上の店を作ってきました。最近もいろいろ手掛けていますが、民泊とかキャビンホテルみたいなものに興味がありますね。お洒落なヤツを作りたいと思っているんです」と、その創作意欲は衰えを知りません。

 

いま80年代のヒーローたちが、再び注目を集めつつあります。その代表格である松井雅美さんも、これから、さまざまな媒体で取り上げられていくことでしょう。

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撮影は松井さんがオーナーを務める “ジョイス ヴィンテージ”にて。骨董通りの隠れ家的レストラン。オーガニックな材料にこだわった、ヘルシーなフュージョン・フレンチが評判です。

東京都港区南青山5-8-5 Gビル南青山02B1

TEL.03-6433-5557 http://joyce-vintage.co.jp/