From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

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松井雅美さん

松井雅美さん

アクス代表取締役

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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空間プロデューサーの松井雅美さんのご登場です。かつてバブルの頃には、まさしく“時代の寵児”だった方ですね。“ナバーナ、レッドシューズ、タンゴ、インクスティックなど、80年代を代表する名店の数々を手掛けてこられました。空間プロデューサー”や“カフェバー”という言葉は、彼がいなかったら、生まれてはいなかったでしょう。意外なことにご出身は、東京の下町でした。

「もともとは上野桜木、寛永寺のすぐそばの出身です。浅草が目と鼻の先だったので、よく映画を観に行っていました。当時はウエスタンに憧れていましたね」

 

松井さんは、若い頃から相当な遊び人で、華麗なる交友関係をお持ちです。

「中学、高校と暁星学園に通いました。当時はJUNを着ていましたね。16歳頃からレースに夢中になって、船橋サーキットを走り始めました。当時の親友の実家だった川口アパートメント(直木賞作家・川口松太郎さんが手掛けた文京区春日の高級マンション。かつては加賀まりこさんや安井かずみさんなど、錚々たる顔ぶれが住んでいた)のプールでカフェを始めました。これが初めて手掛けた飲食かな(笑)」

 

ファッション・ブランドの経営も、学生時代から。

「通っていた赤坂のディスコ“ムゲン”の地下で、モデルの青木エミさん(マックスファクターモデル、井上順さんの元妻)と組んで、自分たちで作ったシャツや革ジャンを売り始めたのが最初かな・・・その後、73年に事故死したレーサー中野雅晴が、元エドワーズと組んで自由が丘でやっていたブティック“アップル”を引き継ぎました」

「DCブームの頃は、すごかったな。佐藤孝信さん(アーストンボラージュのデザイナー)やドン小西さんなど、知り合いのデザイナーたちが売れまくって、実に景気がよかった。そういえば青山のかおたんラーメンの向かいにあった、ジョルジオ アルマーニ初の路面店も手掛けましたね・・・」

 

松井さんの話を聞いていると、キラ星のごとき人々が、次々と登場します。この方は東京という街の中心にいて、ずっと時代をリードしてきたのだ、ということがわかります。

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 ジャケットはフランスのヴィコント アー

「友人がインポートを手掛けているので、最近はここのものを着ることが多いです。ディテールに遊びがあって面白い」

チーフのように見えるのも、実は裏地を引っ張り出したものです。

 

シャツは、新宿伊勢丹でパターンオーダーしたもの。

「同じ生地で一度に3〜4枚作ります。藤村俊二さんには『シャツはシワがあっちゃダメ』と言われてましたね」

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時計はフランク ミュラー

「15年ほど愛用しています。ふざけて偽物をしていたら、ある方から『そんなものするな』と言われて、本物を頂きました(笑)」

 

ジーンズは、ディースクエアード

「ジーンズはほとんどここのものです。でもシルエットは必ず直してから着ます。実は私は、白金・広尾にキューズという洋服のお直し屋も経営しているんですよ。もう20年になります」

 

スエードのシューズはトッズ。

 

「基本はフレンチトラッドです。いつもネイビーブレザーにブルー系のシャツ、そしてジーンズの組み合わせ。靴とベルト、バッグの色を合わせるのがルールです」と。

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松井さんが若かりし頃は、まだ仕事と遊びの区別が曖昧だったようです。面白い人の周りに面白い人が集まり、自然と新しいことが始まっていったのでしょう。なんでも四角四面になってしまった現代から見ると、羨ましい時代です。

 

「今まで200件以上の店を作ってきました。最近もいろいろ手掛けていますが、民泊とかキャビンホテルみたいなものに興味がありますね。お洒落なヤツを作りたいと思っているんです」と、その創作意欲は衰えを知りません。

 

いま80年代のヒーローたちが、再び注目を集めつつあります。その代表格である松井雅美さんも、これから、さまざまな媒体で取り上げられていくことでしょう。

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撮影は松井さんがオーナーを務める “ジョイス ヴィンテージ”にて。骨董通りの隠れ家的レストラン。オーガニックな材料にこだわった、ヘルシーなフュージョン・フレンチが評判です。

東京都港区南青山5-8-5 Gビル南青山02B1

TEL.03-6433-5557 http://joyce-vintage.co.jp/

並木孝之さん

並木孝之さん

アイネックス 商品戦略部 部長

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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ネクタイメーカー、アイネックスにおいて、商品企画の要となっているのが、今回ご登場の並木孝之さんです。

「かつてネクタイの企画といえば、生地を“選ぶ”のが仕事でした。しかしそうすると、他と同じようなものばかりになる。そこでわれわれは生地を“作る”ことにしました。イタリアやイギリスの機屋と、年に何回も打ち合わせをして、オリジナルの生地を充実させています」

そんな並木さんの情熱が、同社をネクタイ業界ナンバーワンの座に押し上げました。

 

「とにかくネクタイが、好きで好きで仕方ないのです。私のキャリアのスタートは、フェアファクス コレクティブでした。学生時代から、ここのネクタイの大ファンだったのです。社長の慶伊道彦さんは、今でも日本一カッコいい人だと思っています。フェアファクスに入社したくて、募集もしていないのにいきなり電話をして、会社へ押しかけたこともあります。便箋4枚にびっちり自分の思いを綴って、社長宛に手紙を出したこともあります。そんな熱意を汲んでくれて、最終的には働かせてもらえることになりました」

 

並木さんは、ガッツの人です。

「ネクタイに関しては、誰にも負けたくありません」

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スリーピース・スーツはソブリンハウスのオリジナル。

「このテラコッタ調の差し色が入ったグレンチェックが、実に今の気分です」

 

タイはアイネックスのオリジナル、ロバート フレイザー

シャツは私も愛用しているアヴィーノ

カラーピンはエリザベス パーカー

「カラーピンはよくしますね。今シーズンらしさを演出するのにぴったりです」

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ゴールドのブレスレットは、サン ローランボッテガ ヴェネタ

私が「意外ですね」というと、

「洋服やカバン、革小物などは眺める程度ですが、ハイブランドのアクセサリーには、好みに合うものが多いんです」と。なるほど、ブランドに対する視点が、普通の人とは違いますね。

 

リングは、ロンドンのアンティーク屋で買った24金製。

 

時計は、60年代のヴァシュロン コンスタンタン。ゴールドの文字盤とアンティークならではの薄さが、購入の決めてです。

 

「今とにかく、ゴールド×ブラウンの組み合わせに惹かれています。従来はアクセサリーといえばシルバーでしたが、この秋冬はゴールドばかりでした。コーディネイトも以前は、ネイビーやグレイが多かったのですが、今季はブラウンをベースに、ボルドーなどを差し色にしています」

シューズはエンツォ・ボナフェ

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本日のタイは大柄のペイズリーですが、並木さん曰く、究極のタイは無地だといいます。

「無地のタイって、最も男らしいタイだと思うのです。ウチでは、織りや組織の違いで、数多くのバリエーションを用意しています。無地タイを、どれだけカッコよく締められるかが勝負です」

 

そんな並木さんには、ネクタイ以外にもう一つ夢中になっているものがあります。それは“ニクタイ”です。

「月曜日の朝は、必ず5時に起きて、ランニングをします。月に150〜200kmくらいは走りますね。年に3、4回はマラソン大会に出ます。体脂肪率は、今でも10%以下ですよ。ファッションと肉体は、切っても切れないものだと思います。吊るしの洋服を、きちんと着られることが重要です」

ああ、2年連続で、すべてのパンツをお直しに出した私にとっては、なんとも耳の痛いお言葉です。

 

まさにストイックな情熱の人、並木さんですが、ひとつ不思議なのは、ウチのチャランポランで怠惰な人、ユーコー藤田ととても仲がいいことです。正反対のほうがウマが合うのかな? ユーコーには、彼の爪の垢を煎じて飲んで欲しいものだと、心から思います。

鏡陽介さん

鏡陽介さん

 三越伊勢丹 カスタムメイド バイヤー

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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 昨今「洋服が売れない」という声を、そこかしこで聞きます。しかしTHE RAKEが扱っているような、超高級テーラードの世界は真逆です。私の周りにいるテーラーたちは、「注文が多すぎて、もう作るのが追いつきません!」と皆嬉しい悲鳴をあげています。

 

そこで今回のご登場は、三越伊勢丹のオーダーメイド部門にてバイヤーをなさっている鏡陽介さんです。新宿の伊勢丹メンズ館は、ルビナッチ、ヘンリープール、チフォネリなどの大御所テーラーや、イタリアの“知る人ぞ知る”サルトとコラボを連発し、いま実に元気がいいのです。また専属テーラーの山口信人氏によるラ スカーラも好評です。それらの仕掛け人が、鏡さんなのです。

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スーツは、ラ スカーラ。ヴィンテージ風の生地は、伊勢丹オリジナルです。

「ウール×リネンを原料の段階で混ぜて、4プライのS強撚をかけたモノです。そもそも・・」さすがに生地の話になると、弁舌がぜん熱を帯び、止まりません。

 

タイは、ドレイクスとリッドテーラーのダブルネーム。

シャツはイセタンメンズのオーダーでアメリカラインと呼ばれるもの。

「アメリカ風のレギュラーカラー・シャツです。往年のラルフ ローレンとかブルックス ブラザーズなどが作っていたようなシャツをイメージしました。ジャンニ・アニエッリが着ていたような・・」

 

チーフはブルックス ブラザーズ。

サウペンダーはアルバート・サーストン。

「ベルトはしません。伸び縮みする素材だと、サスペンダーでも肩が凝りませんよ」

 

メガネはオリバーピープルズ。

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 時計は、ブライトリングのスーパーオーシャン。奥様から結納返しとして貰ったものだそうです。

「以前違う時計をしていたら『無くしたの!?』と怒られました。一生これ以外つけられません・・」

クロムハーツのリングも、結婚前に奥様からプレゼントされたもの。

鏡さんは結婚してもうすぐ12年になるそうですから、愛妻家の鑑(鏡?)ですね。

 

ウォレットチェーンはアンドレア ダミコ。先端にはご自宅のカギがつけられています。

「酔っ払って、しょっちゅうカギをなくしていたのです。だから、こうすれば落とさないと思って・・まるで中学生ですね(笑)」

 

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シューズはオールデン。ミラノのERAL55で買ったユーズド品です。

「いわゆるB品で、ライニングの処理が悪くて、足に刺さるのです。履くたびに出血していました(笑)。修理して、ようやく直りましたが」

 

コーディネイトには、日本、イタリア、アメリカ、英国が、すべてバランスよく取り入れられています。

 

「あまりひとつのテイストに固執しないで、それぞれのモノのよさを紹介していきたいですね。例えば、ナポリのハンドメイドのスーツはとてもいいけれど、アメリカ製のマシンメイドだって、また違った魅力がある。私はどちらも素敵だと思います」

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そんな視点は、長かった海外生活で培われたもののようです。

「2〜6歳までロンドン、9〜12歳までシカゴで暮らしました。モデルのデヴィッドの故郷の近くです(笑)。現地校だったので、クラスにはアフリカ系、アジア系、ユダヤ系など、いろいろなバックグラウンドの生徒がいました。例えばインド人の友人は、算数がよくできるんです。アジア系の友人は絵を描くのがうまい人が多かった。それぞれの科目によってクラスが変わり、皆それぞれのよさを認め合っていました。その経験から、Aはよくて、Bはダメだと、決めつけず、物事をフランクに考えられるようになりました」

 

ただし、アメリカでは一つだけNGがあったそうです。

「のび太くんのような、短めの半ズボンは、現地では絶対に穿かないのです。アメリカ人はバミューダなんですね。『男のくせにホットパンツを穿いている』と笑われました。ですから、インターナショナルなルールを知ることも大切です」

 

なるほど、自由な視点とルール、男のお洒落にはどちらも不可欠ということのようです。

 

大西慎哉さん

大西慎哉さん

ハケット ジャパン セールスマネージャー

text kentaro matsuo photography tatsuya ozawa

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 ハケット ジャパンの大西慎哉さんのご登場です。184cmの高身長に、ブリティッシュ・トラッドが、いつもよくお似合い。いま日本で“ミスター・ハケット”といえば、彼ですね。

「学生時代から洋服は大好きで、DCやイタリアンなど、いろいろなものを試していたのですが、男の服は突き詰めていくと、どうしても英国になる。しかし、当時の日本で手に入る英国ブランドは、どれもライセンスばかりで、私が本や雑誌で接していた英国物とは全然違ったんです。そんな時にハケット ロンドンと出会って、『これぞ本物だ!』と思いました」

 

以来、ずっとハケット一筋かと思いきや、アクアスキュータムやドン小西さん率いるフィッチェ・ウォーモなどに在籍されており、ハケットのスタッフとなったのは、ハケットジャパン社設立メンバーとして、2008年からだそうです。

「ついに、念願叶ってハケットという感じですね。パッと見は普通なんだけど、よく見ると歴史を感じさせるディテールが堪らない・・この良さを、多くの人に伝えたいです」と意気軒昂です。

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スリーピース・スーツは、もちろんハケット ロンドン。

「オーダー品で、フォックス・ブラザースの“レジェンズ・イン・フランネル”というコレクションで仕立てています。これはウィンザー公やフレッド・アステアなど、歴史上の洒落者が愛していた柄を復刻したもので、私がいま着ているのはチャーチルの復刻ファブリックで仕立てたものです」

1つボタン、ターナップカフ、2個ずつ配された袖ボタンなど、見どころいっぱいのスーツです。

 

タイとカフスもハケット ロンドン。チーフはターンブル&アッサー。

シャツはジャーミン・ストリートのヒルディッチ&キーでオーダーしたもの。

「背が高くて、手が長いので、オーダーでないと合わないのです」

うらやましいですねぇ。

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2つのシールリングは、RUST。日本人による在英国ブランドで、デザイナーの内海さんと初めての出会ったのは、ポートベローのマーケットだったそうです。

「家族と私のイニシャルを図案にしたものが彫られています。例えば、大西→O(オー)→OAK→樫の木といった具合」。なるほど、素敵なアイデアですね。

時計はアスプレイです。

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 シューズはジョージ・クレバリー。

そしてご自慢のバッグはグローブ・トロッターです。

「もう10年くらい使っています。内側にペンや小物を収納できるようになっているので便利です。ハケットやグローブ・トロッターのレアなステッカーが貼ってあります」

 

すべてのアイテムが英国ブランドでした。流石です。

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取材当日にわかったのですが、大西さんと私は二人とも1965年生まれ、同じ年でした。大学時代はバブル真っ只中で、ブリトラに落ち着く前は、フィッチェ・ウォーモ、アーストン・ボラージュ、ルナ・マティーノ(知っていますか?)、そしてヴェルサーチやアルマーニなどを愛用していたそうです。

大学時代には六本木で、学生を集めて大規模なパーティを企画したりもしていたそうですから、当時は相当な遊び人ですね。

(ちなみにその頃の私は古着を着て、家で一日中テレビゲームをしていました。六本木がどこにあるのかも、よく知りませんでした)。

 

現在では、どこから見てもブリティッシュ・ジェントルマン然とした大西さんですが、その中身は、意外と“ちょいワル”かも知れないと思った次第でした。

黒岩真治さん

黒岩真治さん

FCAジャパン 広報部長

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カメラマンの小澤君が、ある日息急き切って言いました。

「松尾さん、ものすごくカッコいい人がいるんです。ぜひブログで取材して下さい!」

彼にはずっとこのブログの撮影を担当してもらっていますし、他のファッション誌でも活躍している売れっ子カメラマンですから、お洒落な人は飽きるほど見ているはず。その彼がそこまで言うなら、よっぽど素敵な人に違いない・・そう期待しつつお会いしたのが、今回ご登場の黒岩真治さんです。アルファロメオ、ジープ、フィアットなど、5つのカーブランドを擁するFCAジャパンの広報部長をなさっています。

アルファ ロメオ4C スパイダーを駆って、颯爽と現れた実物は、ウワサ以上のカッコよさでした。

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スリーピース・スーツは、ガブリエレ パジーニ。ご購入は六本木のエストネーションにて。

「パンツのシルエットが気に入っています」と。

 

タイはフランコ・バッシ、シャツはルイジ・ボレッリ。

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 時計はアップル・ウォッチの初期ロット。

「発売と同時に買いました」

 

シューズは、トッズ。

「トッズの靴は、ドライビングに適していますね。これもラバーソールに突起があって、クラッチを繋ぎやすい」

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それにしても手足が長い。撮影場所のイチョウ並木をバックに立つ姿は、モデルそのままです。

「私はアメリカで生まれたので、アメリカのベビーフードを食べて育ちました。日本のものと比べて繊維質が少ないため、腸が過剰に成長することなく、胴が短く、手足が長くなるそうですよ」と。

自ら“珍説”と仰っていましたが、黒岩さんのプロポーションを見ていると、あながち間違いでもないような・・

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「私はいつも自分が“人にどう見られているか”を意識しています。広報マンは黒子に徹していてはダメだと思うのです。自分自身が“媒体”にならなければ」

 

そういう黒岩さんは、まさにセルフ・プロデュースの達人です。

 

「私は小学生の頃から、『国際的なビジネスマンになる』ということを公言してきました。そしてその絵に従って、人生を歩んできました。慶應義塾大学に入ったのも、“わかりやすいプレミアム感”を求めてのこと。学生時代は、ラルフ ローレンやバーバリーなど、いかにも慶應ボーイな格好をしていましたね。青山に住んで、メルセデス・ベンツやカッシーナでキャリアを重ねて来たのも、計算づくでした」

 

「18歳の頃から、一日も欠かさずに日記をつけています。月一年一でまとめて振り返り、次の目標を定めて、それに向かって努力します。声にコンプレックスがあったので、8年間ボイス・トレーニングを受けました。今度は通訳試験にチャレンジしようと思っています」

 

なんとなく流されるままに生きてきた私とは、正反対の人生です。

「そんなことばかりだと、疲れてしまいませんか?」と尋ねると、

「いいえ。逆にこうしているほうがラクなのです。目標のない人生なんて考えられません」ときっぱり。

 

こう書くと、ちょっと嫌味に聞こえるかも知れませんが、そんな感じが全然しないのが、黒岩さんの不思議なところです。むしろ話していて、とても楽しいし、人間的な温かさも感じます。こういうタイプの人には、初めてお会いしました。

 

しかしそんな黒岩さんにも、人生初の“想定外”な出来事が起こります。

「実は昨年結婚し、今年2月には子供が生まれるのです。これは計算できなかった(笑)」

 

さーて、パパ業の先輩として言えることは、“子供ほど思い通りにならないものはない”ということです。オンザレールだった黒岩さんの人生に、これからどんなハプニングが起こるのか、ちょっと楽しみにしているのです。

 

渡辺新さん

渡辺新さん

 壹番館洋服店 代表取締役社長

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壹番館洋服店の社長、渡辺新さんのご登場です。創業、1930年。三代に亘って続く、銀座を、そして日本を代表する老舗テーラーです。

「つい先日も、90歳を超えるお客様が、60年以上も前のコートを修理にお持ちになりました。彼が28歳のときに、私の祖父がお納めしたものです。こういうことがあると、われわれの商売は、単にモノを売っているのではなく、“時間”そのものを扱っているのだと思い知らされます」

 

うーむ、さすがに壹番館ですね。昨今は本場英国やイタリアで修業し、帰国した若手テーラーたちに注目が集まっており、私自身もそういった服を好んで着ていますが、歴史まで含めて考えると、壹番館に敵うテーラーは皆無だと言えましょう。

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スーツはもちろん壹番館で仕立てたもの。生地は昔のフィンテックスです。

「打ち込みがしっかりしていて、まるで“ブリットプルーフ(防弾チョッキ)”のようです。ヘビーウエイトな生地の方が、仕立て映えがして、個人的に好きなのです。弊社では、もちろん薄い生地も扱えますが、本当にテーラードを愛している方々には、こういった生地を好まれる方が多いですね」

 

ベストも壹番館。生地はヴィンテージのフォックス ブラザーズ。

「昔のフォックスは、こんな、ちょっと黄色がかったグレイで有名でした」

びっくりしたのは、背中部分。なんとホルスタイン柄のフェイクファー地で出来ています。

「オーダーメイドは、決してコンサバだけではありません。オーダーだからこそ、もっと遊ぶべきだと思います。最近では、そういった注文も多いのです」

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シャツも壹番館オリジナル。ここではシャツのオーダーも出来るのです。ボタンダウンのダブルカフスとは珍しい。

「カフスのターンナップ部分を見て下さい。ほら、曲線を描いているでしょう? 昔の宮廷衣装からインスピレーションを得て、作ってみました」

こんな遊びも、オーダーならでは、です。

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シューズはエドワード・グリーン。他にジョン ロブもお気に入り。

ポイントのレッドのソックスは大阪の専門店にてオーダーしたものです。

「ソックスは葬式以外、いつも赤なのです。以前見たバチカンの写真に、真っ赤なソックスをはいている人がいて、『ちょっと、いいな』と」

私の知る限り、希代の洒落者、故・桃田有造さんも、いつも赤のソックスを愛用されていました。お洒落を極めた人は、赤靴下に至るのでしょうか?

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「テーラーの世界は日進月歩。ただ昔からの技術をなぞっているだけでは、ダメなのです。テーラー自身も、進化していかないと」

 

老舗のテーラーの跡取りとして生まれた渡辺さんですが、大学卒業後ヨーロッパに渡り、そこでずいぶんと新しい体験をしたそうです。

「最初は英国のテーラーリング学校へ入ったのですが、当時はミラノ・ファッションの全盛期。アルマーニ、ヴェルサーチ、ジャンフランコ・フェレといったデザイナーたちが大活躍していました。そこで、私もミラノへ移り、フェレが教授をしていたデザイン学校へ入学したのです。そこでは本当にいろいろなことを教わりました」

「当時フェレが言ったことで印象深かったのは、『クリエーションは天から降ってくるものではない。そんなものが通用するのは、せいぜい1、2年だ。もしファッション・ビジネスを10年続けたいなら、大切なのは、とにかくリサーチをすることだ』という一言でした」

 

つまり、一見ひらめきがすべてのように思えるモードの世界も、実はロジカルかつ綿密な調査の積み重ねによって成り立っている、その事実に気付かされたということです。その経験は、老舗テーラーを背負って行く立場になってからも、大いに役立っているといいます。

 

「人間は、一人一人がオーダーメイドの人生を歩んでいます。それぞれの状況を踏まえて、さらにその人を輝かせるにはどうしたらいいか、を考えるのがテーラーの仕事だと思います。だから、この仕事にクリエーションは欠かせないものなのです」

 

「進化する老舗」という言葉は、まさに壹番館と渡辺さんのためにあるものでしょう。

 

 

綿谷寛さん

綿谷寛さん

 イラストレーター

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

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イラストレーターの綿谷寛さんのご登場です。業界では親しみを込めて“画伯”と呼ばれています。

 

「とにかく幼い頃から、絵を描くこと、そしてお洒落をすることが好きでした。しかしお金がないから、実際に洋服を買うことはできなかった。そこで兄が持っていたメンズクラブを横において、いろいろなコーディネイトを考えながら、ひたすらファッション画を描いていました。あの時の経験が、今でも役に立っています」

 

その後、一時はマンガ家を志したこともあったそうです。

「実家が池袋にあって、近くには手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生などのスタジオが集まっていました。そこで彼らのところへ、自分の作品を持ち込んだりしていましたね。懸賞へも応募しましたが、いつも“佳作”止まり。どうも自分には、ストーリーテラーの才能はないのだと気付かされました」

 

しかし「一枚絵なら勝負できる」と考えて、イラストレーターの道を選んだそうです。

「穂積和夫さんや小林泰彦さんのようになりたいと思い、セツ・モードセミナーへ入学しました。穂積さんには、よく絵を見てもらったものです」

 

そして21歳のときに、当時創刊したてだったポパイへ売り込みに行って、見事採用。それからはずっと、メンズ・ファッッション・イラストレーター一筋だそうです。

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スーツは、バタクの中寺さんに作ってもらったもの。

「私はどうしてもアメトラのイメージがあるのですが、職業柄いろいろなものも試すんですよ。これも一見アメトラですが、サイドベンツだったり、ベルトレスだったり、ちょっとウエストを絞ったりして、“大人っぽい感じ”にしてもらいました」

 

ベストもバタク。

「白蝶貝のボタンが、タッタ—ソールに似合うでしょう? 往年のブルックス ブラザーズのカタログなどを見ると、昔は皆、この組み合わせだったようですね」

 

シャツはスキャッティオーク。

「ラウンドカラーのシャツが欲しかったのですが、ちょっと前まで、なかなか売っていなくて。これはネットで探して買いました」

 

ニットタイはフェアファクスコレクティブ。

 

チーフは大好きなラルフ ローレン。

「彼も私も末っ子だし、彼の父はペンキ職人で私の父は左官屋、それに彼の生まれたブロンクスって、なんとなく池袋に似ていませんか?」

いや画伯、それは全然違うような・・・

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時計はジャガー・ルクルトのレベルソ。奥様が「家のローンが終わって、ご苦労さん」と買ってくれたそうです。

「でも裏に自分のイニシャルを彫ろうかと思ったら、『あなたに何かあったとき、売れなくなるから止めて』と言われました(笑)」

 

シューズはオールデンのサドル。素材はコードバンです。

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 さて綿谷画伯と言えば、雑誌Beginなどでおなじみの、マンガのようなコミカルなタッチと、正統的なファッション・イラスト=自称“マジタッチ”の二つを使い分けることで知られています。

「デザイナーズ・ブランドに人気が集まるようになってから、日本独自のファッションが増えてきました。それらを表現するには、海外をお手本とせず、むしろ日本ならではの、マンガチックなタッチのほうが相応しいと思ったのです。仕事は、それぞれ半々くらいですが、景気がよくなると、なぜかマジタッチの注文が増える。今またマジタッチの注文が増えてきているので、日本の景気は上向いているのかもしれません」

そういう綿谷さんご自身の景気も、相当よさそうです。

 

ご自宅にて、画伯自らサーブした英国風ミルクティーを頂きながら、お話を拝聴するのはとても楽しかったのですが、「きっとこの瞬間にも、イラストのアガリを、今か今かと待っている、かつての私のような編集者が大勢いるに違いない」と気付いて、早々に退散したわけでした。

尾作隼人さん

尾作隼人さん

 パンタロナイオ

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 パンタロナイオの尾作隼人さんのご登場です。この“パンタロナイオ”という言葉は、尾作さんによって世に広まりました。もとはイタリア語で、日本語だと“パンツ職人”の意味です。

多くのテーラーでは、ジャケットのみを製作し、パンツは下請けに出すのが習わしです。ですから昔からパンツ職人はいたのですが、あくまでも“縁の下の力持ち”的存在であり、十年ほど前までは、パンツ職人そのものにスポットが当たることは、ほとんどありませんでした。

「もともとは、普通のテーラーを志していましたが、パンツ職人になろうと決めたのは、テーラーの上木規至さんに出会ったからです。ナポリ仕込みの彼の作るジャケットを見て、『これは、敵わないな』と素直に思いました。その瞬間、『それなら私は、パンツ一本で行こう』と閃いたのです」

 

しかし先達のいない試みだったので、すべてが手探りでした。この道で食べて行けるのか、不安の中でのスタートだったそうです。

「下請けの仕事を続けながら、自分なりに工夫を重ねました。私のパンツの特徴は、ベルト下を作り込んで腰回りにボリュームを出し、後ろ身頃を長く取って、裾が跳ねないよう落ち着かせることです。しかし一歩間違うと、カッコ悪いシルエットになってしまう。ずっと試行錯誤の連続でした」

その努力が実り、受注は少しずつ増えて行って、今では日本中、いや世界中のファッショニスタが彼のパンツを欲しがるまでになりました。

「ありがたいことに50本以上のバックオーダーを抱えています。納期が延びてしまって、ご迷惑をかけています」と嬉しい悲鳴を上げています。

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ジャケットは、リベラーノ&リベラーノ。タイは昔のブルックス ブラザーズ(こちらはヤフオクで手に入れたそうです)。シャツは南シャツで作ってもらったビスポーク。南さんとは、お互いに品物を購い合っているそうです。

 

シューズは昔のマスタ—ロイド、「もう10年以上も愛用している」重厚なダレスバッグもロイド製です。

「こういうものは若いうちに買って、使い込んでいくのがいいと思って」

いまだにピカピカの革鞄に食指が動いてしまう私には、耳の痛い言葉です。

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そしてトレードマークでもあるウールのグレイパンツはもちろん自分で作ったもの、と思いきや、縫ったのは見習いで、練習用だったとか。

「自分が着る服って、本当に持っていないんですよ。パンツですら、ウールとコットン合わせても、10本もありません。お客さんをお待たせしているのに、自分のものを作るわけにはいかないじゃないですか」

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 尾作さんのパンツはすべて手作りですので、1本作るのに30時間もかかるそうです。月産はどうがんばっても8本が限界だとか。

「毎日夜遅くまで仕事をしています。週に100時間働くこともあります。しんどいけれど、でも辛くはないですよ。パンツを作るのが好きだし、お客さんの喜ぶ顔を見るのが、一番嬉しいですから。パンツ作りは私にとって、コミュニケーションの手段なんです」

 

そのがんばりをきちんと見てくれているのは、今年6歳になるお嬢ちゃん。

父親の仕事は、服を作ることというのは理解していて、先日、

「パパって、ウデがいいから人気者なんだね!」と言ってくれたそうです。

「これは嬉しかったですね〜」と尾作さんもデレデレです。

 

私にも同じ年の息子がいるので、彼の気持ちはわかります。親って子供にホメられるのが、一番嬉しいんですよね(ウチの子も先日、私のことをホメてくれましたが、その理由は「パパはカメを触れるから」というものでした・・・)

 

「一生パンタロナイオとして生きて行こうと決めています!」

そんなお父さんの背中が、お嬢ちゃんには、ひときわ頼もしく見えていることでしょう。

 

※撮影協力=コラボレーションスタイルTEL.03-5579-9403(尾作さんのパンツは、ここでオーダー可能です)

加藤勝信さん

加藤勝信さん

 

一億総活躍担当、拉致問題担当、女性活躍担当、

再チャレンジ担当、国土強靭化担当、

内閣府特命担当(少子化対策および男女共同参画)大臣

 

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今回このブログをご覧になっている方は、わが目を疑っていると思います。なんと加藤勝信大臣のご登場です。ここでは、数多くのお洒落な方々を取材してきましたが、現役の大臣にご降臨頂くのは初めてです。

加藤大臣は、その長い肩書きからもわかるように、ご担当されている分野が幅広く、非常にお忙しい方です。その中でお時間を割いて頂いたことに、心から感謝致します。

 

議員会館の事務室には、われわれの取材の前後にも、陳情らしき人々が列を成していました。皆さん切実な訴えを抱えているのでしょう。その目は真剣そのものです。その中で、私とカメラマンの岡田ナツ子は、あまりにも「浮いた」存在でした・・・

 

さて、私が「もっとお洒落をして欲しいな」と思う職業の筆頭は、政治家の方々です。たまに国会中継などを見ると、どう見ても安物の、しかもサイズの合っていないスーツをお召しの方が多いのです。

日本国内だけだったら、それでいいのかもしれません。しかし、国を代表して海外に行かれる場合は、もう少し何とかして欲しいと思ってしまいます。名刺社会である日本と違って、さまざまな人種が交錯する欧米では、まずその人の着ているもので、人となりを推し量る習慣があるからです。

ですから欧州の政治家は、必ず一流処の仕立て服を着ています。サミットの記念撮影で、ずらりと並んだ各国首相のなかで、日本だけが「あーあ」ということにならないよう、頑張って頂きたいと思うのです。

 

その点、本日の加藤大臣のような着こなしなら満点ですね。

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 スーツはタキザワ シゲルにてオーダーメイドしたもの。いかにも高級感のあるグレイッシュ・ネイビーの生地は、ドーメルの看板素材“アマデウス”です。緩やかに絞られたウエスト・シェイプが、注文服であることを物語っています。

「昔から滝沢さんの服が好きで、銀座のバーニーズ ニューヨークでよく買っていました。家族をはじめ、周りからの評判もよかったですし。オーダーしたのは初めてですが、ちょっとタイトめで、きちんと体に合っていて気持ちがいい。若返ったような気分になりますね。これ以上太ることができない、という抑止力にもなります(笑)」

 

シャツもタキザワ シゲルのオーダー品。

「私は体に対して首が太いので、シャツはオーダーでないとダメなのです」

ちなみにタキザワ シゲルを愛用されている政治家の方は、加藤大臣以外にも多いのです。

 

タイはマリネッラ。かつてのナポリ・サミットの際に、お土産として配られた名品ですから、政治家の方がするにはぴったりです。

「マリネッラでは数本のタイを買いました。普段締めるのは、黄色や赤系が多いですね。家内が私に、その日のラッキーカラーを教えてくれるんです。風水なのでしょう。それを参考にすることもあります」

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メガネはシャルマン。こちらは福井県・鯖江の逸品です。お求めは地元・岡山にて。

「日本には伝統的なモノ作りのよさがあり、素晴らしい職人たちがいる。しかし、皆さん年配となってきている。これを次世代へと、継承していかなければならない。それには、まず需要がなければなりません」

まったく仰る通りです。今こそ官民挙げて、日本を“ファッションと職人の国”としてアピールするべきだと思います。

 

時計はシチズン アテッサ エコ・ドライブ GPS衛星電波時計。

 

「いつも時間ギリギリで仕事をしていますから、正確な時計は欠かせません。その点これは電波時計ですから、絶対に狂わない。この手のものとしては、薄型なところも気に入っています」

 

シューズは、ジョン ロブのシティ。ストレートチップの傑作です。こういったオックスフォードタイプの紐靴は、地位ある方が履くと、本当にカッコいいですね。

「私は甲高幅広でなかなか合う靴がないのですが、これは足に馴染みます。時間があれば、靴磨きも自分でしますよ。靴墨とブラシを使ってね」

 

さすがと唸ったのは、大臣がロングホーズを穿かれていたこと。足を組んだ時に、スネ毛が見えてしまうのは、欧米では最低のマナーとされていますから。

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「政治家にとって、服装は大きなファクターだと思います。もちろん一番大切なのは政策内容なのですが、それを受け入れて頂けるような雰囲気を醸し出す、ということは必要です。ですから皆様に、なるべく好印象を与えるような装いを心がけています」

政治家の方々は、いつも衆目に晒されているのですから、本当に大変ですよね。

 

「ご自身のほかに、お洒落だと思う政治家はいらっしゃいますか?」との問いには、

「やはり図抜けているのは、麻生(太郎)副総裁・財務大臣でしょう。テーラーメイドの洋服を、いつも自然に着こなしておられます。われわれは国会答弁の時など、立ったり座ったりが多いのですが、他の人のズボンがしわくちゃになっても、麻生さんのパンツは、いつもピンとしている。不思議に思って尋ねたら、パンツの返しの中に、オモリを入れているのです。『オイ、触ってみろ』と言われて触ったら、本当に入っていましたよ(笑)」

 

ほとんどの日をスーツで過ごされる加藤大臣ですが、たまの休日や散歩の時には、ジーンズもお召しになるそうです。

「私の地元である岡山は、ジーンズとその生地で世界的に有名ですからね。ジーンズだけではなくて、デニム生地のスーツも3着持っているんです」

デニム・スーツ姿の加藤大臣、拝見してみたいですねぇ。

 

ちなみに大臣は東京・杉並のご出身で、高校は私服だっだそうです。

「当時は、ジーンズにTシャツという格好ばかりでした。ベルボトムのパンツに、髪の毛はロン毛。でも髪質が堅いから、ライオン丸みたいになってしまうのだけれど(笑)」

 

最近のお悩みは忙しすぎて、ショッピングに時間を割けなくなってしまったこと。

「羽田空港の中に、三越伊勢丹があるのです。以前は飛行機を待っている間に、そこを見て回るのがちょっとした楽しみでした。しかし大臣になってから、別の通路を使わなければいけなくなってしまったのです」

 

そんな大臣の、いま一番の楽しみは、4人の娘さんと食事に行くことだとか。

「私は代々木上原に住んでいるのですが、家のそばの『まんぷく』という焼き肉屋へよく行きます。ええ、美味しいですよ。それから『ふく』という焼き鳥屋も好きですね。ただし、こちらのほうは、なかなか予約が取れなくなってしまって・・・」

なるほど一国の大臣をもってしても、人気店の予約って、難しいものなのですね。

 

素敵なファッション・センスと飾らないお人柄が、加藤大臣の最大の魅力だと申せましょう。

 

 

俣木昌己さん

俣木昌己さん

イン アンド ヤン代表取締役

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PR会社であるインアンドヤンを経営なさっている俣木昌己さんのご登場です。お会いするなり開口一番、

「松尾さん、ひどいなぁ。私にはタイドアップを要求しておいて、自分はその格好ですか!」

取材時に私が着ていたのは、Tシャツに短パン。まるで裸の大将です。いやぁ、本当にすみません。暑かったものですから・・・

 

俣木さんは24歳で独立してから、ありとあらゆる会社・商品のPRを手掛けてこられました。かつてはラッキーストライク、レミーマルタン、NTT、ナムコ、ゼニア、トッズ、スカーゲン、最近ではスタインウェイ、クラブツーリズム、阪急メンズ、某メガバンクなどなど・・その数は枚挙に暇がありません。

「私が手がけてきたのは、商品ローンチの仕事が多いのです。誰も知らないモノを、たくさんの人に知ってもらうのが楽しいですね。売り上げが伴なうと、もっと嬉しい(笑)」

 

本日はご自分自身をPRです。

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スーツは、広尾のセレクトショップ、ピッコログランデでオーダーしたもの。

フランネル調の素敵な生地はカチョッポリ。素敵なご夫婦お二人でやっている、知る人ぞ知るお店です。

「以前の事務所の真向かいだったので、通うようになりました。プライベートでもお付き合いがあって、食事に行ったり、ゴルフに行ったりしているんです。今日のコーディネイトもアドバイスしてもらったんですよ」

 

タイとシャツは、サルヴァトーレ・ピッコロ。 チーフは、ロジ&ゲッツィ。

やはりピッコログランデにて購入したもの。

「これは、今回の撮影のために新調したんです」

すいませんねぇ・・

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時計はパテック フィリップのカラトラバ ポインターデイト。日付を示す赤い針が特徴です。文字盤の色に合わせて、ストラップもネイビーになっているところがミソだとか。

 

シューズはサントーニ。リザード遣いが上品でお洒落。これもピッコログランデで買ったもので、

「お店の人には、『ちゃんと靴下を履いてくださいね』と言われました(笑)」

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東京生まれの俣木さんですが、幼い頃は喘息がひどく、キレイな空気を求めて、鹿児島・指宿へ移住されたそうです。

「ファッションは大好きだったんですが、指宿には学生服を売っているような店しかない。しかしホテルや旅館はたくさんあったので、バイトしまくって、そのお金を全部洋服へつぎ込んでいました」

 

そのお陰もあって、ある日鹿児島の街を歩いていたら、雑誌ホットドッグプレスの街頭スナップに声をかけられて、写真を撮られました。掲載号を見てみたら、なんとグランプリになっていたそうです。

「これが嬉しかったですね。初めて自分の服を人にホメられた」

 

それから俣木さんのバブル時代が始まります。

「東京に戻って、空間プロデューサーの山本コテツさんの下で働くことになりました」

山本コテツさんは、かつてエムザ有明やADコロシアム、トゥーリアなどのクラブを手がけた、まさにミスターバブルのようなお方です。

「もう毎日すごかったですよ。当時は皆現金じゃないですか。1日の営業が終わると、机を挟んで座っていた前の人の顔が、札束の山で見えなくなった(笑)」

 

すごいなぁ。実は俣木さんと私は同い年なのですが、バブル真っ盛りの頃、私は傾きかけた出版社におり、「バブルって何だろう?」と思いながら、手取り11万円の月給で必死に働いていました。あ、ちなみにボーナスは5万円でしたよ(笑)

 

全く違う人生を歩んできた二人ですが、同い年というだけで、なんとなく安心できますね。今度は私もタイドアップしてきますから、また飲みに行きましょう。そしてファッションの話をしましょうね!