From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

吉澤祐輔さん

Sunday, November 10th, 2019

吉澤祐輔さん

フィルム コマーシャルディレクター

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

 アルフォンソ・シリカ、オリアン、セッテフィーリ・カシミアなどのインポートを手掛けるフィルムのコマーシャルディレクター、吉澤祐輔さんのご登場です。吉澤さんは、現在ではファッション業界におられますが、その前は、イタリア・ミラノにて、カメラマン木村金太さんのアシスタントをされていました。金太さんは、ストリート・スナップの第一任者で、『スナップ・レオン』の撮影を担当していることで知られています。

「ファッションを勉強するためにミラノへ留学していた頃、金太さんに“アシスタントをやってみない?”と誘われたのです。その時まで、写真の経験はまったくなかったのですが、とりあえずお手伝いをさせてもらうことにしました。半年くらいしてから、私も徐々にスナップを撮影させてもらえることになったのですが、まぁ最初は難しかったですね」

 

ストリート・スナップとは、お洒落な人々(ファショニスタ)をピッティなどの展示会場や街角で撮影した写真のことです。通常は望遠レンズを使って、遠くから被写体を狙います。

「画角いっぱいにして撮るので、枠からはみ出してしまったり、歩いている最中を狙うので、足がクロスするタイミングを掴めなかったりして、始めた頃はずいぶんと苦労しました。でもファッションを勉強していたので、誰がお洒落なのかは判断することができました。不思議なことに、一流のファッショニスタは、100m先からでもすぐにわかるのです。別に派手な色を着ているわけではありませんが、独特の存在感を放っているのですね」

現在、ピッティやミラコレへ行くと、大勢のストリート・フォトグラファーがいて、ファッショニスタの周りに群がっていますが、吉澤さんが撮り始めた頃は、そんなことをしている人は誰もいなかったそうです。

「最初は撮りたい放題でした。そのうちスコット・シューマン(有名なストリート・フォトグラファー)がブレイクして、場所争いが起こり、撮りづらくなりました。望遠で狙っていると、間に他のカメラマンが割り込んできたり・・」

 

結局、金太さんのアシスタントは、5年間ほど務めました。

「もう何万枚とストリート・スナップの撮影をしました。おかげでカッコいいか、そうではないか、一瞬で判断する能力が身につきました。その経験は今に生きていると思います」

 太畝のコーデュロイ・スーツは、ティト・アレグレット。イザイアやアットリーニ、ラルフ・ローレンなどのVMDを務めた同名のデザイナーがクリエイトするブランドです。

「マシンメイドなどですが、その作りは昔ながらのナポリのサルトのよう。お求めやすい価格も魅力です」

 

ニットは、セッテフィーリ・カシミア。

「ここのニットは、職人がヴィンテージの織機を、手で動かして織っています。ですから生地に絶妙のテンションがかかっていて、着ていてストレスがありません」

 

かけている黒縁メガネはアイヴァン、胸に挿しているほうはトム・フォード。

「怖くてコンタクトが入れられないのです。だからメガネしかしない(笑)。ふたつ持っているのは、気分によってかけ替えるためです。調光レンズを入れていて、外光に当たると黒くなるんですよ」

 時計はオメガ スピードマスター。

「イタリア限定のモデルです。アンティーク調のデザインですが、比較的新しいものです」

最近、スピードマスターをしているファッショニスタが、本当に多いですね。

 

アクセサリー類は、すべてプロジェットフェデ。

「旅行好きなふたりのオーナーが始めたブランドで、シルバーと天然石を組み合わせたアクセサリーを作っています。いつのまにかハマって、こんなに集めてしまいました」

 

シューズは、リカルド フレッチャ ベステッティ。

 

今日の格好は、全身真っ黒ですね、というと

「今まではクラシックだと、全身ブラックはあり得なかったのですが、今年は黒が注目されています。ティト・アレグレット本人も、モノトーンでまとめていましたしね」と。

 吉澤さんは、長野県・駒ヶ根市のご出身。

「学生時代からファッションには興味があったのですが、まわりには何もなく、東京までバスで4時間かけて洋服を買いに行っていました」

 

イタリアへ行くきっかけは、お父さまのスーツだったそう。

「銀行員であった父は、いつも仕立ての良さそうなスーツを着ていました。ある日そのラベルと見てみると、イタリア製だったのです。確かキートンかゼニア・・それで、イタリアへ行こうと決心しました」

 

しかし、最初にミラノへ到着したときは、喋れるイタリア語は、「ピザとスパゲッティくらい」だったそうです。

「通っていたファッションの学校では、授業はイタリア語で行われていたので、言葉では本当に苦労しましたね。しかし周囲の人は、皆本当にお洒落でした。イタリア人は、何が自分に似合うか、わかっているのだと感心しました」

 

今ではイタリア語は、毎日イタリア人と(もちろんイタリア語で)口喧嘩をするほど上手になりました。ケンカのタネは、納期や品質など。

「もうとっくに出荷した」

「本当か?」

「すまん、やっぱり違う客だった・・」

などというやりとりは当たり前だそうです。

「平気でウソを付くし、実に困った人たちなのですが、それを含めてのイタリア愛です・・(苦笑)」

 

「100m先からでもわかるファッショニスタになりたい」という吉澤さん。その存在感は、もう十分一流といえると思います。

 

 

 

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