From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

山木和人さん

Wednesday, January 20th, 2021

山木和人さん

シグマ代表取締役

text kentaro matsuo  photography natsuko okada

 中央自動車道を稲城インターで下り、多摩丘陵のなだらかな道を10分ほど走ると、川崎市肝いりの工業団地、マイコンシティに到着します。時代を牽引するエレクトロニクス、通信、ソフトウエアなどの会社が集うハイテク企業集積地です。世界的レンズ&カメラメーカー、シグマもここに本社を構えています。里山の面影を偲ばせる丘陵地に、スタイリッシュなビルがそびえています。その代表取締役、山木和人さんのご登場です。

 

 実は私・松尾は中学生の頃、写真部に所属していました。当時、お小遣いを貯めて買ったカメラはオリンパスのOM10(大場久美子が水着で宣伝していたから)。最初は付属品の50mm標準レンズを使っていましたが、そのうちどうしてもズームレンズが欲しくなって、買い足したのがシグマ社のレンズでした。

  今では当たり前ですが、当時、ワイドにも望遠にもできるズームは憧れの1本だったのです。普段の見慣れた風景が、ズームレンズを通してみると、実に新鮮に見え、夢中でシャッターを切ったものです。今でも、昔のアルバムを開くと、シグマで撮影した写真がたくさん貼ってあります。

  さて、そんなシグマは昔から優良で廉価なレンズを作る良心的メーカーというイメージでしたが、今回久しぶりに同社の製品を手にして驚きました。他にはない高級感に溢れているのです。ボディは精巧な金属製で、ダイヤルのクリック感もカチリカチリと小気味よく、まるでパテック フィリップのリュウズを回しているようです。シグマはいつのまにか、ラグジュアリー・ブランドに生まれ変わっていたのです。そしてその立役者が、山木さんというわけです。

「2012年に父が他界し、あとを継いで代表取締役になったのですが、経営者としてまず考えたのは、“ウチがキヤノンやソニーより大きくなるなんてことはありえない。だったら、そこそこのモノを安くではなく、大手よりも圧倒的にいいモノを作ろう”ということでした。そこでイチから、デザインや規格を見直しました。われわれはメイド・イン・ジャパンを貫く唯一の光学メーカーで、工場は福島・会津にあるのですが、そこから世界最高の製品を送り出そうと思いました」

 そのこだわりは、細部にまで及んでいます。

「最近のミラーレスは金属製のボディが多いので、レンズも金属製のものがいいと思いました。ただし加工は時間がかかるし難しい。例えばこの絞りリングを見て下さい。ふたつのリングの二つのリングの外径が完全に揃っている、いわゆる“ツライチ”の状態になっています。普通は精度をごまかすために、あえて段差をつけるのです。しかしデザインを鑑みると、どうしてもここをフラットにしたかった。私はいつもエンジニアには、『サラリーマンにはならないように。“こうしたい”という思いを大切に』と言っているのです」

 そんなこだわりの集大成が、同社のカメラfpです。フルサイズセンサーをコンパクトなボディに収めた意欲作ですが、なんといっても目を惹くのは、その素晴らしいデザインです。

「デザインは岩崎一郎さんに監修をしてもらっています。もう随分前のことですが、インテリアショップでミューテックという韓国のメーカーの電話器を見つけ、その斬新なデザインに感銘を受けました。聞けばデザイナーは日本人だというので、さっそくネットで検索してメールを出し、知り合いになりました。ただし当時は父が外部デザイナーの起用に対して反対でしたので、そのまま7〜8年は単なるワイン仲間でしたね。イタリアンレストランで飲むだけ(笑)」

 

 本誌おなじみ、香港ジ・アーモリーのマーク・チョーさんも、fpを愛用しています。現代最高のファッショニスタの一人にして、写真マニアでもあるマークさんは、その性能もさることながら、このカメラの持つデザイン性を高く評価していました(彼はfpに宮崎光学のゾンネタール50mmF1.1という知る人ぞ知るレンズを付けていました)。

shot by Mark Cho

 

「世の中にあるカメラって、みんな同じような形をしているじゃないですか。それはマーケット・リサーチの結果、そうなってしまうのです。しかし私は、デザイナーが当初思い描いたものを、なるべくそのまま形にしたいと思いました。岩崎さんにdp Quattroシリーズのデザインを依頼する際に、『大衆車じゃなくて、ロータスみたいなモデルを作って下さい』とお願いしたのです。するとしばらくして電話がかかってきて『すみません、ロータスじゃなくて、F1を作ってしまいました。公道は走れないけど、いいですか?』と言われてしまいました(笑)。それでもデザインにはこだわりたい。カメラ・ボディに印刷する文字フォントや会社の名刺などは、(これまた有名デザイナーの)佐藤卓さんにお願いしています」

 カメラに入れる文字の書体にまでこだわっているとは、シグマという会社、そうとうなものですね。

「弊社はマーケット・リサーチというものを、まったくしないのです。新商品は、次の3つからしか生まれません。商品企画部のアイデア、エンジニアが作りたいもの、そして私の“思いつき”です。fpは、もともとは私が“海外に行った時、気軽に持ち歩けるカメラが欲しいな”と思ったのがきっかけです。例えば昼間パリの街をブラついて、そのまま夜の会食にも持っていけるような・・」

 自分たちが欲しいものを作るというコンセプトは、どこかイタリアのファッション・ブランドにも通じるところがありますね。そんな山木さんの着こなしは・・

ジャケットは、ストラスブルゴでオーダーしたもの。

「関西をベースにしているテーラー、大島崇照さんに作ってもらいました。生地はドラッパーズのカシミア製。ベースはクラシックですが、程よいモダンさもあるところが気に入っています。何より彼の人柄がいいのです。話していて楽しい。私はエンジニアをはじめ、モノ作りをする人が大好きなのです」

 

 ニットは、クルチアーニ。

 チーフは、タイ・ユア・タイ。

 パンツは、やはり大島さんに作ってもらったもの。

 メガネは、オリバー・ピープルズ。

  時計は、ジョージ・ジェンセン。

「男の趣味として、カメラ、時計、クルマ、釣具、自転車あたりは好まれますよね。男の子はハードウエアが大好きですから。私も昔はロードレーサーに乗っていたのですが、右折してきたクルマにぶつかって顔面から落車し、歯を何本も折る事故を起こしてからは遠ざかってしまいました。しかし、いまちょっと欲しい時計があるのです。それはランゲ&ゾーネのランゲ1。昔ハッセルブラッドの社長がしていたのがカッコよくて・・」

 ランゲ1、お似合いになりそうです。会社のイメージともぴったりですね。

 シューズは、ストラスブルゴでビスポークしたフィリップ アティエンザ。フランス国家最優秀職人賞を受賞した名匠です。

「ジョン ロブのフィリップⅡが好きで何足か持っているのですが、そのデザインをしたのがアティエンザ氏だということです。オーダーしたのは、もう2年も前ですが、コロナで行き来ができなくなってしまい、ようやく昨年秋に納品されました」

 愛用のカメラは、もちろんfpです。後ろにずらりと並ぶのは、シグマが誇る最新レンズIシリーズ。35mmF2や65mmF2など、ファン垂涎の品々です。ところが、カメラに取り付けられているレンズはライカでは? 他社のものでいいんですか?

「いいんです。こういうのも、ぜんぜん“あり”です。これはライカのオールドレンズ、ズマロン35mmF2.8です。Mマウントにアダプターを介して取り付けています。マニュアルでのピント合わせを楽しんでいます」

 ミラーレスが一般的になってから、往年の名作レンズをデジタルカメラに取り付けることが可能となりました。これで写真の楽しみは大きく広がり、オールドレンズの人気が高まっています。実は私もfpを買って、父の形見のレンズを取り付けて、写真を撮りたいと思っているのです。

 組紐を使ったストラップは、日本のアルティザン&アーティスト。カメラ本体のデザインがいいので、どんなアクセサリーとも相性がいいですね。

 

 ファッションのポリシーは? との問いには、

「押し出しが強くない、自然なスタイル」とのお答え。そのベースは、中学時代にまで遡ります。

「私は小・中学校と和光学園という学校へ通っていたのですが、そこは制服がなく私服通学でした。アイビーが好きで、ボートハウスやミウラ&サンズ、クルーズ、プレッピーといったお店に通っていましたね。私は野球少年だったんですが、なぜか野球部はアイビー、サッカー部はサーファー風、バスケと帰宅部はメンズ・ビギなどのDCという派閥がありました。高校生の頃にはスタイル・カウンシルにハマって、ホワイトジーンズやタッセルローファーばかり履いていました。もうポール・ウエラーだったら、体を許してもいいというくらい好きでした(笑)」

 なんだか、私と似ていますねぇ。1960年代半ば、東京・多摩地区生まれというところも同じです。しかし、山木さんは生まれながらの御曹司・・

「当時のシグマは狛江市にあって、5階建てビルのうち1〜4階までが本社、そして5階が私たち家族の自宅でした。会社の上に住んでいたので、工場や製品倉庫が遊び場でした。現場の人がすもうをとって遊んでくれました(笑)」

 さぞやメカ好き少年だったと思いきや・・

「それが、そうでもなかったのです。カメラには、あまり興味がありませんでした。蕎麦屋の息子が、蕎麦が好きとは限らないのと一緒です。少年の頃は、父親の職業をあまりよく思わないものですし・・。父はカリスマでしたが、私は『俺について来い!』というタイプではなかった。正直、会社を継ぐのは嫌でした。しかしなにしろ会社の上に住んでいたので、会社のことはよくわかりました。そして高校生になる頃には、“他に継げる人はいない。やらなければいけないんだ”と思うようになりました」

 上智大学卒業後はアメリカ留学を計画していましたが・・

「父も最初は賛成してくれていたんですが、突然の反対に遭って断念しました。まぁ、創業者って、変わった人が多いんですよ(笑)。仕方がないので、そのまま大学院へ進みました」

 

 卒業後は、他社へは行かず、プロパーでシグマへ入社。

「よく2代目、3代目はまず同業他社へ行って、ある程度経験を積んでから、役員などで本社へ戻るパターンが多いのですが、私はそうはしませんでした。大学時代の恩師に、『新人から入ったほうがいい』と言われたからです。『現場の人と、一緒にキャリアを築いていくのが大切だから』ということでした」

 

 シグマのような大会社でも、当然浮き沈みはあります。

「父がエンジニアでしたので、まずは技術が大切ということで、機構設計の部署に配属されました。しかし1995年に1ドル78円という超円高が襲ってきて、純国産、輸出8割のシグマは深刻な経営危機に陥りました。このままでは倒産すらあり得るという事態でした。そこで経営管理を手伝うようになり、それからさまざまな部署の部長を歴任しました」

 

 そして2012年に代表取締役となったのは、前述の通りです。

「父が他界したことも、会社にとっては危機だったと思います。代取になってからは、デザインを変えろ、規格を変えろと無茶ばかり言ってきましたが、ありがたいことに皆ついてきてくれました。父が残してくれた、みんなで一致団結するという社風のおかげで、新米社長の無理難題に真面目に取り組んでくれたんです。世界最高を日本から、というのは終わりなきゴールのようなものですが、この道しかないと思っています」

 山木さんは、2代目ならではの穏やかさの中に、強い信念と卓越したセンスを感じさせる人でした。

 ところで・・、都心への帰り道、クルマの中ではカメラ談義に花が咲きました。メンバーは、今回山木さんを紹介してくれた長谷川喜美さん(ライター、ライカQ2を愛用するカメラ女子)、岡田ナツ子さん(プロカメラマン)、そして私・松尾(インタビュアー兼運転手)。そこで思ったのは、シグマfpはやたらと女子ウケがいいカメラだということです。

「今の時代、写真撮るだけなら携帯で十分。だから高級化は必然ですよね〜」

「なによりもデザインが大事。だってもうスペックとかって、あまり意味ないじゃない?」

そして結論としては、

「コンパクトでかわいい〜。もうそれだけで欲しい!」

ということでした。

 

 

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