From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

逗子に住む、サーファー
大野貴幸さん

Wednesday, December 30th, 2020

大野貴幸さん

サントシャ代表

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

 長年にわたって輸入車やファッション・ブランドのPRに携わる大野貴幸さんのご登場です。私が初めてお会いしたのは、その昔、Car Exという雑誌の編集部に在籍しているときで、大野さんはジャガーのPR業務をご担当されていました。もう25年以上も前の話ですから、時の経つのは速いものですね。その後、ブリヂストン、ポルシェ、サーブ、パトリック、ハワイアナスなど、数え切れないほどのブランドを手掛けられてきました。

 しかし、私の中では、大野さんは、PRマンというよりは“サーファーの親玉”的存在です。1994年より逗子に住まわれており、四半世紀にわたってサーフィンを嗜まれ、あのへんのことなら誰よりもご存知です。彼のサポートでサーフィンを始めた人も多く、ファッション・雑誌業界のサーファーで、大野さんのことを知らない人は、いないのではないでしょうか?

「逗子に住もうと思ったのは、素晴らしい波の立つポイントを知ったからです。初めてその波に乗ったときは、“こんなにいい波には乗ったことがない”と感じました。最近はこのポイントにもサーファーが増えましたが、引っ越した当初は、良い波を独り占めできてラッキーでしたね。それに逗子はロケーションがいい。毎日素晴らしい景色に囲まれて暮らすことができます。どんな高級店での一杯よりも、逗子マリーナの堤防に座って飲む缶ビールは格別です」

 そのポイントはどこにあるのですか? と問うと、

「そういうことは、サーファーの間では、秘密にしておくものなんですよ(笑)」と。

 大野さんは、逗子の名物カフェ、surfersの“顔”としても活躍されています。海に突き出した岬の上にレストラン、SUPのレンタル&スクール、オリジナルグッズやサーフアートが買えるショップなどが併設されています。ライブも行われていて、これまで南佳孝さんやブレッド&バター、ゴロッパチなどの有名ミュージシャンが出演しました。イタリアン・ファッション・ブランドの合同パーティなども開かれたことがあります。

「もともとは逗子の街中でサーフアートギャラリーをやったり、逗子海岸でビーチハウスをやったりしていたのですが、規制が厳しくなり現在の場所へ移転しました。コンセプトは“大人のサーファーが遊べる場所”です。内外装は波乗りの仲間と一緒に、すべて手作りしたんですよ。来年には葉山に会員制のビーチクラブもオープンさせる予定です」

 大野さんたちが手作りした、岩肌に張り付いたツリーハウスのごときウッドデッキがあって、ここで海を見ながらビールを飲むのは最高の気分です。

 

 さて海とはまったく縁のなさそうな私ですが、実は今回の撮影場所である逗子マリーナには、中学生の頃からずっと通っており、いまだに憧れの場所です。相模湾を一望でき、江ノ島を挟んで、遠く富士山が霞む景色は、何度見てもため息が出ます。ロケ当日は雲ひとつない晴天に恵まれ、絵に描いたようなインディアンサマーでした。

   コートは、PATRICK BY TASUKI。ヒピハパのデザイナー、加賀清一さんが、パトリックのためにデザインしたものだそうです。

「これは10年ほど前に買ったものです。モチーフとなったのは、ファイヤーマン・コート。加賀さんはその道のプロが使う機能的な服を、ファッションとしてにアレンジするのが上手いんですよね」

 

 スエードのレザーシャツは、シェラック。デザイナー丸屋秀之さんが手掛けていた

日本のブランドです。

「実はこれはヤフオクで買ったんですよ。ヤフオクやメルカリには、いろいろなモノが積まれた昔のアメ横のショップの店内を、漁っているような感覚があって楽しいですね」

 あ、それわかります。

 

 デニムシャツは、ラングラー。

「これはアメリカ製のラングラーなんです。色が褪せる度に買い足すので、同じシャツを5枚以上持っています。これは5〜6年前に入手したものかな。お店ではなかなか売っていないので、専らネットで購入します」

 ジーンズは、リーバイス513 BEAMSというモデル。リーバイスとビームスのダブルネームです。

「これも10年くらい前に買ったものです。ダメージ加工されたものは嫌いで、必ず新品で買って、自分で履き込んでいきます。あとジーパンにベルトをするのも、なんとなくカッコ悪くてイヤですね。昔はジーパンをたくさん持っていたけど、シルエットが古くなり、みんな穿かなくなってしまった」

 

 サングラスは、イタリア製レイバンの2132。

「ニュー・ウェイファーラーというのかな。定番のウェイファーラーより、やや小振りなところが気に入っています。私は乱視なので度付きです」

 サングラスとメガネ、同じモデルを2つお持ちでした。

時計はアップルウォッチ。

「目が悪くなって、面倒くさいから」と。

アップルウォッチのデジタル表示はすごく大きいので、私もいずれコレにするでしょう。

 

 スリップオン・シューズは、パント・フォラドーロ。

「パント・フォラドーロはイタリアのブランドです。サーファーはヴァンズを履いている人が多いけど、ここの靴はとにかく歩きやすい。このへんを散歩するには、ぴったりなんです」

 実は私もまったく同じモデルを持っていますが、ピッティやミラコレに行くときは、必ずトランクに忍ばせます。ショーが終わったあと、履き替えて、街をぶらぶらするのです。一日中歩いても、ぜんぜん足が疲れないからです。

 

 一見何でもないような装いですが、どれも何年も着続けられてきたアイテムばかりで、すべてが体の一部のように自然です。逗子は都心から離れた土地ですが、決して“イナカ”ではありません。それは大野さんのような人がいるからですね。

 そんな大野さんが生まれたのは、東京のど真ん中、麹町です。

「ウチは戦前から麹町に住んでいて、今の文藝春秋の真向かいに家があって、子供の頃は文春ビルの中庭が遊び場でした。弁慶橋や清水谷公園あたりでもよく遊んだなぁ」

 小中と青山学院に通いますが、高校生のときにちょっぴりドロップアウト。

「赤坂や六本木などで遊び、いわゆるディスコブームにハマってしまいました。もう勉強どころではなくなってしまった(笑)。それから兄が渋谷のミウラ&サンズ(シップスの前身)でバイトしていたので、洋服屋通いも始まりました。当時、道玄坂の裏手はバラック街で、輸入品を扱っている店などもありました。私自身はアメ横のまるびしという店でバイトを始めました。その店にはデッドストックが倉庫にあり、シアサッカーのリーバイス646や、フリーマンのデザートブーツなどを扱っていました。1点物が多かったように記憶しています」

 その後もセレクトショップとの縁は続き、シップス、ビームス、オイスターなどでのバイト経験があるそうです。

 

 大野さんに転機が訪れたのは1979年でした。ハワイ・ロアカレッジに入学するためにハワイ留学されたのです。

「ハワイはメチャクチャ楽しかったですね。留学というより、完全に“遊学”でした(笑)。ここでサーフィンを覚えたのです。すぐに夢中になって、朝昼晩、毎日海に入っていました。そして初めて“サーファー”という人種に遭遇したのです。サーフィンを人生そのものとしている人たちです。普通の人は、社会人になったら仕事オンリーとなってしまいますが、サーファーたちは仕事以上にサーフィンを大切にしていて、そんな生き方にプライドを持っている。とてもカッコいいと思いました。彼らは私の人生観を変えました」

 当時のサーファーから教わったことは多かったといいます。そして荒っぽかった。

「海の上で、いきなりパンチされたこともあります。その頃はまだルールがよくわからず、知らないうち、女性にいわゆる“前乗り”をしてしまったのです。そうしたら近くにいた年長者にいきなりバチーンとやられました。でもそれはイジワルではなくて、厳しく指導してくれていたんですね。サーファーは、サーフィンというものに対して真剣でしたから。あ、もちろん今では、そんなことは起こらないですよ」

 

  その後、帰国されてから、製薬会社に務めたり、民藝を扱う店のバイヤーなどを経て、最終的にPRの道に進まれ、数々のブランドを成功に導いてきたのは、前述の通りです。

しかし、大野さんの本業は、やはり“サーファー”なのでしょう。大野さんに初めてお会いしたときから、他の人とは違う、不思議なリラックス感と余裕のオーラを感じていました。いつお会いしても笑顔を絶やさず、とても楽しそうなのです。それはサーファーという生き方がもたらす、人生の豊かさから生まれるものでしょう。

 

「湘南には、まだまだ昔のサーファーの雰囲気を持ち続けている、カッコいい人たちがたくさんいますよ。そういう意味でも、このへんは自分にとっていいところなのです」

 

  ところで・・、私は運動音痴でスポーツには興味がなく、ゴルフもテニスもスキーもやりたいと思ったことは一度もないのですが、サーフィンだけはずっと憧れています。もう7、8年も前ですが、材木座の海岸で大野さんにサーフィンを教えてもらったことがあり、教え方がよかったのか、なんと数回目にしてボードの上に立つことができました。私にとっては、それが最初で最後のサーフィンでしたが、その時の気持ちよさは、いまだに忘れられません。

 

  サーフィンというのは自然が相手で、一回一回すべて違う波に乗らなければなりません。それはまるで、次々とさまざまなことが起こる人生の縮図のようです。サーファーの人生は、他の人よりも濃密なのかも・・。

 大野さんのオーラは、そんなところから生まれているのかも知れませんね。