From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

やり手のテーラー、その躍進の秘密は?
五十嵐裕基さん

Sunday, September 25th, 2022

五十嵐裕基さん

レクトゥール代表取締役

 

 

text kentaro matsuo 

photogaphy tatsuya ozawa

 

 

 

 

 外苑東通りから鳥居坂へ入ってしばらく下ると、あたりは六本木の喧騒が嘘のように静まり返ります。坂沿いに広がる高級住宅地の一角に、瀟洒なヴィンテージ・マンションが佇んでいます。エントランスとロビーを抜けると、中庭へと通じるドアがあり、さらに進むと、今回の舞台となったスペースのガラス張りのエントランスが開いています。

 

 高い天井に大きく開いた天窓より、さんさんと陽光が降り注ぐ大空間には、北欧を中心としたヴィンテージ家具や、高級オーディオセットが並べられています。奥には大理石のカウンターを備えた、広大なオープンキッチンが控えています。まるで海外の大富豪の家へ招かれたようです。

 

 ここはTHOM’S ショールームと呼ばれる場所で、今回ご登場の五十嵐裕基さん率いるテーラー、レクトゥールのシークレット・サロンにもなっています。

 

「私が言うのもなんですが、素敵な場所でしょう? これはフィン・ユールのチーフテン・チェアのセカンドで、チーク材で出来ています。ハンス・J・ウェグナーのベアチェアや、モーエンス・コッホのキャビネットなど、すべて北欧から輸入したものです。このスピーカーは英国LINNの最高級ラインですよ。もちろん素晴らしい音がします。ほら、大きな音で聞いてみてください」

 

 ボリュームを捻ると、まるで目の前で生バンドが演奏しているようなハイファイ・サウンドが部屋中に響き渡りました。しかし私の頭のなかに響いていたのは、どうやってこれだけのサロンを造り上げることができたのか? という疑問の声でした。

 

 

 

 

「実はここはレクトゥールだけではなくて、数社でシェアしているのです。例えば家具はKAMADAという北欧ヴィンテージ家具専門の会社が輸入しているものですし、スピーカーはLINNジャパンが設置しています。それぞれの会社が、それぞれのショールームとして使っているのです。ジャック・マリー・マージュというLAのアイウエア・ブランドのコレクションも置いてありますよ。それに加えて、いろいろなブランドがパーティを開くこともあります」

 

 なるほど、そういうことでしたか。五十嵐さんは、大富豪の息子か何かで、テーラーは趣味でやっているのかと思いましたよ。これだけの空間でスーツを仕立ると、さぞや気分も上がることでしょう。

 

「スーツを作りに来て、家具を買って帰られるお客様もいらっしゃいます」

 

 

 

 

 かつてのレクトゥールは、知る人ぞ知る隠れ家テーラーとして、一部の人のみが通う店でした。しかし最近では、多くの著名人・会社経営者などが顧客リストに連なり、もはやメジャーの一角を成すところまで成長しています(その成功の秘密は後ほど……)。五十嵐さんは“やり手”の若手テーラーとして名を馳せているのです。

 

 そんな五十嵐さんは、小学校三年生の時からずっと神奈川県川崎市宮前区にお住まいだそうです。

 

「宮前平はもともと、東急電鉄が山を切り崩して造成した住宅地です。だからすべてが小高い丘の上にあって、風通しがいい。その影響からか、レクトゥール東京のお店はすべて“丘の上”がテーマなのです。現在ここの他に、広尾と神戸にお店がありますが、すべて空気が抜ける感じの場所を選んでいます」

 

 宮前平はファッション業界人に人気が高く、以前このブログにも出て頂いたセブンフォールドの加賀健二さんなどもお住まいだとか。

 

「先日は宮前平のスーパー銭湯で、偶然加賀さんに出会ってしまいました。お互いスッポンポンです(笑)」

 

 

 

 

 五十嵐さんは三人兄弟の長男で、次男は有名なトラウザーズ職人の五十嵐徹さんです。

 

「ふたつ下の弟とは昔から仲が良かった。今では弟というより、一職人として尊敬しています。体もデカいし、腕相撲なんてやったら、絶対勝てない(笑)」

 

 まさにファッション一家と思いきや、大学での専攻は化学だったそうです。

 

「若い頃からファッションは大好きで、古着屋やH.P.フランスのセルジュ・トラヴァルなどでバイトをしていましたが、大学の専攻は化学を選びました。燃料電池自動車で使われる“水素吸蔵合金”というものの研究をしていたのですよ。研究で使う機械は一回スイッチを入れると決して止めることができないので、よく大学に泊まり込んでいました。卒業後は電子部品を扱う会社に就職しました」

 

 バリバリの理系ですね。しかしファッションへの思いは絶ち難く、24歳のときに会社を辞めてしまいます。

 

「やっぱりメンズのドレスを一生の仕事にしようと決めて、手当たり次第にセレクトショップの求人に応募しました。しかし、リーマンショックの直後だったので、社員としての就職は難しく、結局バイトとしてビームス ハウス 丸の内で働くことになりました。入ってから半年間は、ずっとバックヤードで、入荷商品の整理をしたり、お直しのアガリをチェックしたりしていました」

 

 ビームス丸の内で扱う服の量は膨大で、毎日トラックで届く洋服の山と、たったひとりで格闘していたそうです。

 

「どうしても店頭に立ちたかったので、ある日店長にお願いしたら、週に1回だけ店に出られることになりました。このチャンスを逃さないよう、どうしたら一度会ったお客様に、お得意様になってもらえるかを必死に考えました。メンズのアイテムというものは、必ずお直しが入ります。だからお客様の名前や電話番号などを知ることができます。まずはそれらを徹底的に頭に叩き込みました」

 

「店員にとっては、気持ち的なピークは売り上げが立ったときですが、お客様にとってのピークは、実際の商品を手に取ることができる納品のときだと気がつきました。そこでお引取りのときも、必ず自分でお相手をするようにしました。そしてもう一度ご注文を頂いたら、お直し伝票をお客様に書かせるのではなく、フルネームを暗記しておいて、私自身が書き入れるようにしました。するとお客様は自分のことを覚えておいてくれたと感激して、また私を呼んで下さるのです。お客様に呼ばれたら、誰も文句は言えません。そうやって店頭に出る回数を増やしていって、週に1〜2日ほど表に出られるようになったとき、ビームス全店の売り上げで、トップ30に入ることが出来ました」

 

 レクトゥール成功の秘密は、五十嵐さんの店員としてのガッツにあるのですね。ではもうひとつの秘密を明かす前に、ご本人の素晴らしい着こなしを拝見しましょう。

 

 

 

 

 スーツは、もちろんレクトゥールのMTM。

 

「パターンは、映画『キングスマン』(2014年)でコリン・ファースの衣装を担当したマーティン・ニコルズの愛弟子であった人が引いています。彼は日本人ですが、天才的パタンナーです。ウチのスーツはフロントのダーツが裾まで抜かれていて細腹(さいばら)がありません、背中は輪奈(わな)仕様といって背中心の縫い目が袋状になっています。つまり背中は一枚の布、前身も一枚の布なのです。難しい仕立てですが、着心地とシルエットの両立の為に必要でした。」

 

 

 

 

 シャツは、RYO IKEDA。

 

「シャツ職人の池田亮さんが作ったものです。首のアタリがソフトでいい。ウチのスーツは上り(のぼり)が高いので、それに合わせてシャツの後台襟は5cm、前台襟は3.5cmにしてもらっています。カフは個人的に長めが好きなので8.5cmでオーダーしています。レクトゥールでもオーダーを受け付けています」

 

 タイは、アット・ヴァンヌッチ。銭湯で出会った加賀さんのブランドですね。

 

「私が独立して、まず始めたのはネクタイの行商でした。その頃から扱っています。今では年間300本ほどお買い上げいただけるようになりました」

 

 チーフは、ムンガイ。正方形ではなく、丸型のタイプ。

 

 

 

 

 時計は、パテック フィリップの1974年製ヴィンテージ。

 

「スイスのベイヤーという時計店が別注したものです。他にカルティエのクッサンという時計も持っていて、交互に着け替えています。どちらも六本木ヒルズのユナイテッドアローズの中に、ショップ・イン・ショップを構えるクロンヌというヴィンテージ時計店で買いました。ここは50〜100万円くらいの価格帯が中心で、つまり、どうしても購入を考えてしまいがちな値段なんですよ。これが1千万円だったら、さっさと諦められるのですが(笑)」

 

 ブレスレットは、ティファニー。小指のリングは、エルメス。どちらもヴィンテージです。

 

 

 

 

 シューズは、ジョンロブが毎年出すイヤーモデル。2020年のもの。

 

「ウィングチップのデザインですが、実はアッパーが一枚革で出来ているのです。スパイラル状にカットして、ぐるりとまわしてある。履き心地は、今まで履いたどのジョンロブよりもいいですね」

 

 

 

 

 小物にもこだわっていて、ペンはシルバー製のファーバーカステル、ライターはS.T.デュポン、メジャーはティファニー、ノートはオリジナル・ロゴ入りのスマイソンと隙がありません。

 

 コーディネイトのテーマは? との問いには、

 

「色を入れること」とのお答え。時計のパープルがアクセントなのですね、と返すと、

 

「実はこのシャツは、ごくごく薄いピンクなのです」

 

 そう言われて目を凝らすと、ホワイトだと思っていたシャツは、ほんのりピンクがかっています。

 

「それからモノトーンに見えるこのスーツも、本当はブラウンのピンヘッドなのです。グレイとホワイトだとパリッとしすぎてしまう。今は少し“フェイント”を入れたい気分なのです」

 

 達人ならではの上級ワザ。極薄ピンクのシャツ、新鮮です。

 

 

 

 

 さて、話をビームス時代に戻すと、結局ビームスには6年間在籍し、その後、正社員にも昇格されたそうです。

 

「企画や買い付け、新人研修なども任されるようになりました。初めてピッティに自腹で行って、西口(修平)さんとフィレンツェの街中を見て回ったのは楽しかったなぁ。今でもいい思い出です」

 

 しかし、その頃から、メンズ・アパレルというものに対して、疑問を抱くようにもなったのも事実だとか。

 

「去年はトロピカルだったのに、今年はアースカラー。こういったトレンドを追いかけるような売り方もいいのですが、もっとじっくりとお客様に対して向き合ってみたいと思い始めたのです。そこで独立を決意しました。まずはネクタイの行商から始め、スーツのMTMを手掛けました。店がなかったので1時間3000円のシェアオフィスを借りて、お客様をお呼びしましたが、鏡が小さすぎて全身が映らないこともありました(笑)。コネなし、金なし、モノなし……ないない尽くしでのスタートでした」

 

 そんな逆境を跳ね返しつつ、今のレクトゥールを築き上げてきた五十嵐さんの“根性”はたいしたものです。そんな精神を受け継いでほしいのと、販売員の待遇向上のため、この店ではちょっと変わったシステムを採用しています。

 

「ウチのスタッフは全員で13人いるのですが、そのうち8人がフリーランスなのです。シフトや勤務時間はなく、それぞれのスタッフは皆で共有するグーグルカレンダーを見て、それぞれのアポイントを入れます。だから自分が頑張らないと、お金は入りません。私は皆に当事者意識を持ってもらいたいのです。もちろん売り上げに応じて店からバックがあり、その率は他店の2倍以上です。だから会社にはお金は残りませんが、私はそれでいいと思っています」

 

 これがレクトゥール躍進のもうひとつの秘密ですね。販売員のパフォーマンス向上には、うってつけのシステムでしょう。その上で、五十嵐さんやパートナーが磨き抜いた販売スキルを皆で共有するためのミーティングなどは、頻繁に行っているそうです。

 

「しかし、売り上げだけを追求しているわけではありません。ウチはお客様と長い付き合いをしたいと思っているので、似合わないものは似合わないとハッキリ言います。そのために商品はMTM1本に絞っているのです。レジでお金をもらうのがゴールではなく、お客様がウチの服を着て出かけて行って、誰かに褒められるところがゴールです」

 

 いろいろな販売テクニックを教えて頂きましたが、いちばん大切なのは“真心”だということですね。五十嵐さんの服に対する情熱と真摯な姿勢に、心から感銘を受けた取材でした!