NEO TRADITIONAL GAZATTEER RAKISH TOKYO GUIDE vol.4
【YOHEI FUKUDA】ニッポンのビスポークシューズシーンの牽引役となった靴職人
December 2019
text yuko fujita
2階にあるショップにはサンプルがズラリ。
1999年、19歳で渡英し、かの地で6年間シューメイキングを学んだ福田洋平氏は、帰国後スタートしたキャリアのはじめから大変美しい靴を手がけてきたこともあって、彼の靴について語られるとき、比較対象は常に英国のビスポークシューメーカーだった。が、今となってはそうすることは望ましいことではない。
今日、福田氏は名実ともに東京のビスポークシューメーカーの顔となった。注目度においても、世界でトップクラスだろう。技術の向上だけを目指すのでなく、ブランディングにも注力し、日本の靴職人に対する世界のイメージを確実に上げていった彼の功績は計り知れない。
アジアにおけるクラシックブームもあって、各国の富裕層が日本のビスポークテーラー&シューメーカーを賑わせているが、ヨウヘイ フクダに関していえば、アジアのみにとどまらず、イギリスやフランスの顧客も数多い。彼らは東京の“ヨウヘイ”に靴を作ってもらうために、ロンドンではなく青山にある彼のショップ兼工房を訪れるのだ。
自宅で作業していた頃から取材をしてきたが、当時から福田氏はすべての心構えがプロフェッショナルだった。成功するべくして成功したといえよう。
客とのアポイントがある日は常にビスポークスーツを着用している。丁寧な接客、フィッティングやアドバイスどれひとつをとっても、経験からくる自信に満ちている。ビスポークに100%の正解はないが、彼なら限りなく理想に近い靴を作ってくれる、そんな期待を抱かせてくれる職人である。
踵からつま先に向かって内振りにツイストしたラストは、修業時代、数百足ものジョージ クレバリーのビスポークシューズをリペアしてきた経験から導き出されたものだ。シワが入りにくく疲れにくい構造が長所だが、何よりもその圧倒的に美しい佇まいに魅了されてしまう。
本記事は2017年5月24日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 16