Friday, May 10th, 2019

FOR ONE BRIEF SHINING MOMENT
ケネディが光り輝いた瞬間

お気に入りの歌詞
 またケネディ一家は、開かれたホワイトハウスを演出し、さまざまな文化との結びつきを深めようとした。招待された作家や芸術家、知識人には、チェロ奏者のパブロ・カザルスや詩人のロバート・フロスト、フランスの文化人アンドレ・マルローなどが名を連ねている。
 ケネディは母校である名門ハーバード大学の教授陣をブレーンに迎え、詩人や哲学者の言葉も演説によく引用した。こうして最高の顔ぶれを揃えたケネディ政権の輝かしいイメージは、ケネディの暗殺後、ジャクリーン・ケネディのコメントによってさらに美化された。セオドア・ホワイトによるライフ誌の有名なインタビューで、彼女は次のように回想している。
「ジャックは夜寝る前にレコードをかけるのが好きだったけれど、一番のお気に入りはこのレコードの最後に入っている曲だったの。“忘れてはならない、つかの間であっても、光り輝く瞬間があったことを、それを人々はキャメロットと呼んだ”という歌詞が大好きだったわ」
 これは、ブロードウェイのミュージカル『キャメロット』の挿入歌で、その歌詞は偶然にもハーバード大学でケネディの同窓生だったアラン・ジェイ・ラーナーが書いたものだ。ケネディ政権の時代をアーサー王伝説の理想郷に例えたジャッキーの言葉は、今でも語り継がれている。

異常性欲の一方で生涯病弱
 しかし、ケネディの輝かしいイメージに異を唱える者は後を絶たない。彼は優れた大統領だったが偉大な大統領ではない、と言う学者たちもいる。1982年に行われた歴史家たちによる投票では、対象となった大統領36人中13位だった。
 1960年の大統領選における不正を主張する者もいた。ケネディの父ジョセフはアメリカで最も裕福かつ冷酷な人物のひとりで、買収を行えるほどの立場にあったからだ。マフィアとの関係も疑われている。そしてもちろん、ケネディはシークレットサービスを悩ませるほどに女性関係も華やかで性欲が強かった。
 ちなみに、若々しくバイタリティに溢れたケネディのイメージ自体も、実は幻想である。彼は背中を支えるコルセットを身に着けており、さまざまな病気で入退院を繰り返し、その人生のほとんどを病院で過ごしていた。ジャクリーン・ケネディと姻戚関係にあり、ケネディ政権の顧問でもあったゴア・ヴィダルは昔から歯に衣着せぬ物言いで、1961年にはタイムズ誌の記事にこう書いている。
「ケネディは写真より老けて見える。体型はスレンダーだが、顔にはシワが多く、左右の目の色が違う。くすんだブルーの瞳には“興味をそそられる”が、ガートルード・スタインがヘミングウェイの瞳について述べたように“面白みがなく”、平坦な印象を与える。彼には、子供のようにずんぐりした指で神経質にテーブルを叩く癖があった。装いにはまったく隙がないが、縮れた白い胸毛が襟からのぞいていることもあった」
『JFK: Reckless Youth 』の著者、ナイジェル・ハミルトンはこうも書いている。
「ジャックは、有権者や女性をひとたび手に入れると、どこか空疎になり、征服を意義あるものや奥深いものに替えることができなかった」

“輝き”は伝説へ
 こうした批判があるにもかかわらず、ケネディが今でも愛されている理由は、慎重につくり上げられたイメージのみならず、「今を生きる」姿勢にある。彼は8年にわたる共和党政権下の不況を受けて、自らが大胆な改革者であることをアピールし、1961年にこう宣言した。
「私が選挙戦に臨む上で前提としたのはただひとつ。アメリカ人が母国の現状に不安を感じていること、合衆国を再び動かすための意志や力を持っているということだ」
 彼は1962年のキューバ・ミサイル危機で巧みな外交手腕を発揮し、公民権法案の礎を築いた。また、「我が国が10年以内に月面着陸すると決めたのは、この目標が私たちのエネルギーや技術の粋を結集し、評価する上で役立つから」と宣言してNASAの宇宙開発計画を熱心にサポートし、国家としての目的を追求した。
 ケネディが今でも伝説として語り継がれているのは、「彼がもし生きていたら」という想像を掻き立てるからだろう。彼が生きていたら、国や世界を変えていただろうか? 彼の最盛期はアメリカの最盛期でもあったため、ケネディの名を聞くと多くの人々が、政治が高い志のもとで社会の道徳問題を解決できたこの時代を懐かしむ。
 ダラスのシックス・フロア・ミュージアムの窓から見える今日の政治情勢は厳しさを増し、ますます排他的、好戦的になっている。ほんの束の間であれ、光り輝く瞬間があったケネディの“キャメロット”という名の政権時代は、その語源となった幻の都と同じように、もはや再建の叶わない理想郷なのかもしれない。

執務室で息子のジョンと。1963年。

1953年のケネディとジャッキー。マサチューセッツ州ハイアニス・ポートで。

ロバート・ケネディ、エドワード・ケネディと、ハイアニス・ポートで。1960年。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 26
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