December 2022

THE MAN WITH THE GOLDEN PEN

黄金ペンを持つ男

作家イアン・フレミングは、007シリーズ、ジェームズ・ボンドを生み出した。果たして彼の人生は、ジェームズ・ボンドのようだったのだろうか?
text stuart husband

イアン・フレミング / Ian Fleming1908年、英国ロンドン・メイフェア生まれ。父バレンタイン・フレミングは弁護士・国会議員。兄ピーター・フレミングは著名な旅行作家。陸軍士官学校卒業後、銀行や商社での勤務を経てロイター通信に入社し、モスクワに赴任。1939年から英海軍情報部に勤務し、スパイ活動に従事した。退役後はジャマイカの別荘「ゴールデンアイ」に居住。1953年に、それまでの経験をもとに「ジェームズ・ボンド」第1作となる『カジノ・ロワイヤル』を発表。世界的人気シリーズへと発展した。1964年、死去(56歳)。

 生涯で4,000万部を売り上げ、歴史上最も収益性の高いシリーズを書いた作家は、いつも過小評価されてきた。ジェームズ・ボンドの生みの親であるイアン・フレミングは、常に「そうだ、しかし……」という反応を引き起こしてきた。

「そうだ、しかし……ル・カレこそが本物だった」

「そうだ、しかし……彼はまじめに取り上げるには、あまりにも放埒だった」(放埒者には文学が書けないとでもいうのか?)

 フレミング自身も、しばしば自分のことを卑下していた。彼は、最初のボンド小説『カジノ・ロワイヤル』を駄作だと評した。1963年のBBCラジオのインタビューでは、「私にはシェイクスピアのような作品は書けないし、野心もない」と語っている。

 裕福な銀行家のファミリーに生まれ、若い頃から贅沢な暮らしをしてきた彼は、あえて自分の出自や才能を隠そうとしていたのかもしれない。

 イアンの父親、バレンタイン・フレミング少佐は、成功した弁護士で、保守派の国会議員でもあったが、第一次大戦中の1917年、ソンムの戦いで戦死してしまった。この時、友人だったウィンストン・チャーチルは『タイムズ』紙に追悼文を寄せている。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 48
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