May 2019

FOR ONE BRIEF SHINING MOMENT

ケネディが光り輝いた瞬間

ジョン・F・ケネディが1963年にダラスへ行かなければ、どうなっていただろうか?彼は世界を変えていただろうか?彼が生きていてくれたら、と私たちが思う限り、“キャメロット”の伝説は続くのだろう。
text stuart husband

John F. Kennedy / ジョン・F・ケネディ1917年、マサチューセッツ州ボストン生まれ。ハーバード大学卒業。第二次世界対戦では海軍士官として魚雷艇の艇長を務める。1946年、下院議員選挙に出馬し当選。1952年には上院議員に。1953年、ジャクリーン・ブービエと結婚。1961年に第35代アメリカ合衆国大統領に就任。在任中の1963年11月22日、テキサス州ダラスで暗殺された。

 つい先日、ダラスに出張した私はディーレイプラザに立ち寄り、世界的に有名な悲劇の舞台となった場所を目の当たりにした。そこにはジョン・F・ケネディに捧げられた慰霊碑のなかでも特に印象的なモニュメントもあった。旧テキサス教科書倉庫ビルに入っているシックス・フロア・ミュージアムもそのひとつだ。

 階段を上って角を曲がると、リー・ハーヴェイ・オズワルドがケネディ大統領の車列に向けてライフルを発射した窓がある。1963年11月22日の午後に起きたこの暗殺事件は世界に衝撃を与えた。このミュージアムには年間40万人もの人々が訪れている。「アメリカが誇る最も偉大な大統領」「彼がいなくてどんなに寂しいことか」「無情にも消された、希望の光」―メッセージブックに残されたこれらのコメントは、半世紀以上経った今でもケネディ神話が深く息づいている証である。

新世代のシンボル 彼がこれほど長きにわたって神格化されている理由は、書面上ではわからない。なにしろケネディ大統領の在任期間は3年足らず。就任した年は誰が見ても最悪だった。キューバのピッグス湾侵攻作戦は失敗に終わり、1961年のウィーン会談ではソビエト連邦の好戦的なニキータ・フルシチョフ首相に恥をかかされ、彼が提出した法案の多くは連邦議会の反対を受けて否決された。

 しかし、ケネディ神話の真髄は、法案を可決させるといった雑事よりも、アメリカが昔から大切にしてきた理想―目的、希望、活力、力強さ、勢い―を体現した彼の生きざまそのものにある。この点で、歴史は彼に味方したといえるのだ。

 71歳で当時最年長だったドワイト・D・アイゼンハワーの後を継いだ43歳のケネディは、アメリカ合衆国史上最も若くして選ばれた大統領であった。20世紀に生まれた初の大統領であり、第二次世界大戦でPTボート(魚雷艇)を指揮した経験もある彼は、新たな世代の台頭を告げるシンボルとなったのである。

 ケネディがテレビ時代の到来に合わせたタイミングで“新進気鋭”のイメージを打ち出したのも偶然ではない。交流会で語る姿を収めた古い映像を見れば、彼のカリスマ性や見事な演説力に感銘を受けるはずだ。ケネディ大統領の有名な就任演説には、記念碑に刻むために考えられたような名言が散りばめられていた(もちろんその多くが実際に刻まれた)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 26
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