Monday, September 23rd, 2019

When Michael and Tina Ruled the World
マイケルとティナが世界を動かした頃

アンディ・ウォーホルが取り巻きに囲まれ、ジョン・レノンが最後の晩餐を楽しみ、
デヴィッド・ボウイやジャン=ミシェル・バスキア、マドンナも常連だったレストラン、ミスター・チャウは
1980年代のニューヨーク・セレブの御用達だった。経営はマイケル&ティナ・チャウ。
世界を股に掛けたふたりの人生はまるで京劇のように波瀾万丈だった。
text stuart husband

 1980年代半ばのある夜、映画プロデューサーのブレット・ラトナーは、ニューヨークのミッドタウンへ中華料理を食べに出掛けた。
「座っていたら、すぐ隣にデヴィッド・ボウイが来たんだ。向かいの席にはジャン=ミシェル・バスキアにアンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、マドンナもいた。すぐに、世界中で一番お気に入りのレストランになったよ」
 この話を聞けば、ラトナーの訪れた店がどこだかわかる。常連のセレブがチキンサテやクルマエビに舌鼓を打つ店、“ミスター・チャウ”である。ウォーホルの58歳の誕生日パーティーを取り仕切ったのも、カリスマ的人気を誇ったこの店のオーナー夫妻だった。
 マイケル・チャウは、エルメスのビスポークスーツを一分のすきもなく着こなして、トレードマークのコルビジェ風メガネの奥から、アルマーニを着たウェイターたちが、シャンパンを注ぎ、魚の骨を丁寧に取る様子に目を光らせていた。
 妻のティナ(モデルとして活躍し、ヘルムート・ニュートンやセシル・ビートンといった写真家のミューズであった)はハーブ・リッツやカール・ラガーフェルドのような友人たちと、ファッション界のゴシップに花を咲かせていた。
 70年代に一世を風靡した“スタジオ54”のように、57番街のミスター・チャウも、ニューヨークのヒップな人々から、熱烈な支持を得ていた。

エルメスのスーツのように

 ウォーホルが週に何度も取り巻きと長テーブルに陣取り、自分では食べずに、料理を周囲に勧めていたのも、ジョン・レノンが最後の晩餐となった食事を取ったのも、この店だった。マイケルはレストランが成功した理由を語っている。
「どの街にも旬がある。20年代はベルリン、30年代はパリと上海、50年代はローマ、そして60年代はロンドンにすべてが集まった。70年代はロサンゼルス、80年代はニューヨーク。私たちはそのときどきの旬な街にいるんだ」
 確かにそうかもしれない。1979年にオープンした、ミスター・チャウの3店舗目にあたるニューヨーク店は、チャウ夫妻の最高傑作だった。ホワイトのガラスラッカー塗装を施した空間に、ジャコメッティのランプ、ラリックのガラス扉、リチャード・スミスの彫刻をあしらった高い天井、豪華客船ノルマンディーで使われていたアイスバケツ、ヨーゼフ・ホフマンの椅子などが設えられていた。
 ミスター・チャウを単なるレストランから美食の殿堂に進化させたのは、マイケルのこだわりだった。店という舞台を演出するのは、エルメスのスーツを仕立てるようなものだと彼は語っている。
「ディテールにこだわり、統一感を持たせれば、空間は有意義なものになる。ステッチのひとつひとつに意味があるんだ」

マイケル&ティナ・チャウ。ニューヨークのクリスティーズの外で(1979年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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