Thursday, August 15th, 2019

SPIRITUAL LEADER
バレンシアガの伝説

彼は3歳から裁縫を始め、12歳の頃にはサン・セバスティアンのテーラーで
カッティングの技を学んでいた。1972年に敬虔な生涯を終えたクリストバル・バレンシアガは、
生前「あらゆるデザイナーの師」として崇められる存在だった。
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 バレンシアガの2017年秋冬メンズウェアコレクションでは、デザイナーのデムナ・ヴァザリアが「セクシーなテーラーリングの復活」を宣言した。
 素肌にゆったりしたジャケットをまとい、スキニーパンツのウエストを恥骨のすぐ上までずらし、足元にハードなバイカーブーツを合わせたコーディネイトは、カジュアルフライデーよりも、スチームパンクな週末にふさわしいスタイルだった。
 この由緒あるクチュールメゾンの創始者が生きていたら、こうしたスタイルをどう思っただろうか? 推測するのは難しい。クリストバル・バレンシアガは長く輝かしい現役時代に、写真家セシル・ビートンから「ファッション界のピカソ」、クリスチャン・ディオールから「あらゆるデザイナーの師」と称賛されたほどの天才クチュリエでありながら、ほとんど表舞台に出てこなかったからだ。
「顧客の前に姿を見せることはめったになかったし、社交界にも顔を出さなかった」とビートンは述べている。一度だけタイムズ紙のインタビューに応じたことがあったが、そのときも苦心しながら「自分の仕事を人に説明するのは絶対に不可能」だと話している。
 1927年に撮影された唯一の公式写真では、愁いを帯びた様子のバレンシアガが長椅子に腰かけ、一分の隙もないソフトショルダーのダブルスーツに、ふんわりしたポケットチーフを合わせた見事な装いを披露している。ポケットから大きく飛び出したポケットチーフは、彼が手がけた作品のアヴァンギャルドなシルエットを連想させる。
 リッツにクチュール専用のスイートを借りておくほどバレンシアガの熱心な顧客のひとりだったクラウディア・ハード・ド・オズボーンはこう回想している。
「カットするときは神父のような気持ちになると彼は言っていたわ。すごくセクシーな神父ね」
 そのあたりは、セシル・ビートンが詳しく書いている。
「バレンシアガは黒髪で無表情な、中背・中年のスペイン人だ。まなざしは鋭く、かぎ鼻で、頭が鶏のように動く。生まれは貧しかったが、非の打ちどころのないセンスに恵まれ、すべてに完璧を求めている」

Cristóbal Balenciagaクリストバル・バレンシアガ
1895年、バスク生まれ。3歳より洋裁を始め、12歳のときには見習いとして働き始める早熟の天才だった。1915年に自らの店を開くが、スペイン内乱によってパリへ移転。37年に発表した初コレクションが大評判となり、一躍時代の寵児となる。クリスチャン・ディオールやココ・シャネルから尊敬され、「彼だけが本物のクチュリエ」と賞賛された。1972年逝去(写真はパリにて、1927年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 21
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