July 2019

AMELIA EARHART : A SYMBOL OF NEW WOMANHOOD

新しい女性像のシンボル
アメリア・イアハート

text stuart husband

大西洋単独飛行によって当時のフーヴァー大統領よりナショナル・ジオグラフィック協会のゴールドメダルを授与されるイアハート。

 そんなジェンダーレスな姿勢が、イアハートはバイセクシャルではないかという憶測を呼んだ。結局これはバカバカしい噂話でしかなかったが。彼女が愛したとして知られる人々はすべて男性である。ユージーン・ヴィダルは彼女の恋人だったと目される人物で、オリンピック・アスリートで米航空通商局の重鎮、作家ゴア・ヴィダルの父親だった人物だ。

 彼女の夫であったジョージ・パルマー・パットナムは、出版社G.P.パットナム&サンズを率いた人物で、史上初めて“PR活動”をしたことで知られる。彼は“秘蔵っ子”であった妻イアハートの講演や出版契約、商品広告やメディア露出などのすべてを仕切って大儲けしていた。ライバルたちは彼を「まるでイアハートを操る催眠術師“スヴェンガーリ”のようだ」と評した。

 しかし彼女は誰の操り人形でもなかった。1931年、イアハートとパットナムの結婚式の当日、33歳の新婦は43歳の新郎にこんな手紙を送った。

「あなたには、もう一度、私が“結婚”というものに肯定的ではないことをお伝えするべきでしょう。この結婚において、私は決してあなたを中世的な倫理感で縛りつけたりしません。ですからあなたも私の自由を奪ったりしないでください。どんなに魅力的な檻でも、閉じ込められることには耐えられない。私は行きたいところへ行き、やりたいことをやりたいのです」

すべては空を飛ぶために イアハートはいつも大胆で奔放な気質だった。 彼女はミズーリ川を見下ろす崖の上のゴシック様式の邸宅で、1897年に生まれた。祖先はピューリタンの開拓者であった。 最初から、彼女は“父親っ子”だった。父親のエドウィン・イアハートは法律学校へ行くために働いており、親戚のうちのひとりが「お金の亡者」と軽蔑的に呼ぶ弁護士になった。 彼はアマチュア発明家であり、陽気な酔っぱらいでもあった。

 彼はアメリアに普通なら男の子のために用意されるようなものを買い与えた。野球のバットやフットボール、彼女がネズミを撃つために使った実弾入りの22口径のライフルなどだ。そして彼女を初めて航空ショーへ連れて行ったのも彼だった。それは引越し先のロサンゼルスにほど近い、南カリフォルニアの乾いた谷間だった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 29
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