December 2019

POP ART

俳優マイケル・ヌーリー、アンダーソン&シェパードを試す

アメリカの俳優、マイケル・ヌーリーが、亡き父の遺した数々の思い出とともに聖地サヴィル・ロウへ赴く。
目的は、テーラーリング界の伝説的ハウスのひとつ、アンダーソン&シェパードでのビスポーク体験だ。
text michael nouri
photography luke carby & kim lang

Michael Nouri / マイケル・ヌーリー1945年、ワシントンDC出身。父親はイラク生まれ。83年『フラッシュダンス』のニック役で注目を浴びる。87年『ヒドゥン』主演、2004年にはスピルバーグ監督の『ターミナル』、2008~2013 年ドラマ『NCIS ~ネイビー犯罪捜査班』など、俳優としてのキャリアを重ねている。

アンダーソン&シェパードのビスポークのスリーピーススーツを身に着けた俳優マイケル・ヌーリー。生地はH.レッサー製トロピカル・ウール。ジャケットのピークド・ラペル、ウエストコートのショールカラーが特徴。アンダーソン&シェパード ハバダッシェリーにて。

 あれは1964年6月だった。高校を卒業したばかりの私は、夏の間はかろうじて持つであろう300ドルのトラベラーズチェックを携えて、初めての外国旅行先であるロンドンにいた。旅の仲間は愛用のギター、マーチンD-28だった。ボブ・ディランに憧れていた私は、さらなる路銀を稼いで夢を叶えようと、ギターを持って公園やストリートへ行っては演奏を披露していた。300ドルは、私が“Pop(おやじ)”と呼んだ父からの卒業祝いだった。

 ファッション、センス、優雅さにおいて非の打ちどころのない男だったおやじは、あらゆるビスポーク品を愛用した。彼のクローゼットは、単なる衣類の保管場所というより不思議の国だった。

 誰の干渉も受けないその私室には、パリ、ロンドン、ローマ、中東からやって来たベチバー、沈香、パチョリのうっとりするような、そしてエロティックな芳香が溢れていた。彼のスーツとその香りは同義語だった。まるでテーラーと調香師が力を合わせ、嗅覚と触覚を融合させたかのようだった。使われているハンガーはイタリア製のハンドメイドだった。何しろ特別なスーツだったのだから。

 そして多種多様でありながら、スーツには“ブランド・ラベルが見当たらない”という共通点があった。ブルックス ブラザーズの制服を着て育った私にとって、おやじのスーツは異国情緒と神秘に満ちた、異彩を放つ存在だった。

「スーツのラベルを見たいなら胸の内ポケットの中を見なきゃだめだぞ」というおやじの言葉に従って覗いてみると、中には確かに手縫いのラベルがあった。ラベルには、後ろに“ESQ(~殿)”の敬称が付いたおやじの名前、日付、テーラーの名前に加えて、魔法の王国サヴィル・ロウの名が入っていた。「いつの日か!」と私は心の中で唱えた。

H.レッサーの生地。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 29
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