April 2019

WILL&TESTAMENT

稀代の怪優ウィレム・デフォー

text tom chamberlin
photography michael schwartz
fashion direction jo grzeszczuk
Special thanks to The Carlyle Hotel, New York
issue10

ジャケット 参考商品 Giorgio Armani
ニット 参考商品 Gieves & Hawkes

 1986年、デフォーはオリバー・ストーン監督の『プラトーン』で、戦争映画の金字塔を打ち立てた。今でも多くの人々にとってのカルト的な作品だ。道徳上のジレンマ、人命の軽視、登場人物たちが垣間見せる人間味、そしてもちろん、デフォー演じるエリアス軍曹の死̶。それはデフォーがそれまで演じたどの役よりも、悲哀に満ちていた。血も涙もない軍人になることではなく、雄々しく理想主義的な姿勢を見せることで人々に感銘を与えたのだ。同作品はアカデミー作品賞を獲得し、世界的な成功を収めた。オリバー・ストーンはアカデミー監督賞を受賞。デフォーはアカデミー助演男優賞で初めてのノミネートとなった。

 意外なのは、この年に公開された出演作が『プラトーン』のみで、翌年もドキュメンタリー映画のナレーターの仕事のみだったことだ。一見、アカデミー賞が追い風にならなかったように見えるが、これはデフォーが今日と同じく、信念に基づいて出演作を選んでいる結果だ。

「ノミネートされてからはいろいろなオファーが来た。当時の僕は、まだ売り出し中の若手だったからね。でもそんなときだからこそ、しっかり出演作を選ぼうとした。だから、次を決めるまで1年近く待った。心のどこかで、ぴたりと合う作品が来るような気がしたから。そろそろ仕事に戻らなきゃと思うようになった頃、同じことを繰り返したいとは思わないものだけど、次の作品もまたベトナム戦争をモチーフにしたものだったんだ」

 その映画が『サイゴン』(1988年)だ。彼の背中を押し、役を引き受けさせたのは、脚本の素晴らしさだった。もちろん、自信と経験が増すにつれて、キャリアを細かく管理する能力も身についた。

 デフォーは商業的意義よりも歴史的意義として画期的な映画、『生きるために』(1989年)で主演を務めることになった。この作品は、アウシュビッツで自分と同じ被収容者を相手に命がけの試合をさせられた、ユダヤ系ギリシャ人ボクサーのサラモ・アラウチを描いている。残念なことに米国や欧州政治において反ユダヤ主義が再び蔓延しているように見える今日、この物語の恐ろしさについて再考するのは時宜にかなっているように思う。

「あれは重要な作品だった。撮影場所が演技に大きな影響を与えるから、ほとんどをアウシュビッツで撮影したんだ。とてつもない人生経験だった。実際にホロコーストを経験した人々に接したからね。当事者の物語は、どんなときも説得力がある。『プラトーン』でも同じようなことがあった。大勢のベトナム帰還兵と撮影をともにしたんだけど、オリバーは僕たちに、彼らの証言するとおりに演じるよう指示したんだ。だから撮影地はとても重要だ。誰かが歩いた道を歩くとき、その人は確かな拠り所となってくれる」

どんな役にもはまる理由 1990年代以降もデフォーは多才ぶりを発揮した。『ワイルド・アット・ハート』(1990年)では、歯の状態が悲惨で不快なキャラクターを演じ、『今そこにある危機』(1994年)ではCIA諜報員に扮し、『処刑人』(1999年)では洞察力に優れた捜査官役を務めた。『アメリカン・サイコ』(2000年)では、きざな探偵として無駄を削ぎ落とした演技をし、主演のクリスチャン・ベイルを巧みに際立たせた。そして同年の『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』で、2度目のアカデミー助演男優賞ノミネートを果たした。

 ほどなくしてデフォーは大役を獲得する。当時史上7位の興行収入を記録した『スパイダーマン』(2002年)は、トビー・マグワイアのキャリアに弾みをつけ、アクションシーンに無限の可能性をもたらすCG時代の幕を開いた。デフォーが演じたのは、スパイダーマンと敵対するグリーン・ゴブリンだ。愛する人を失い二重人格となった悪意を宿す実業家で、デフォーのシャープな顔立ちと凄みのある薄笑いがぴったりのはまり役だった。

本記事は2019年1月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 26

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