April 2019

WILL&TESTAMENT

稀代の怪優ウィレム・デフォー

text tom chamberlin
photography michael schwartz
fashion direction jo grzeszczuk
Special thanks to The Carlyle Hotel, New York
issue10

コート¥130,000 Paul Smith
ジャケット、トラウザーズ、ニット すべて参考商品 all by Gieves & Hawkes

「僕は当時、先のことなんて考えていなかった。わかっていたのは、ウースター・グループの一員としてこのままいたいということ。グループは僕を育成し、さまざまなことを教えてくれたし、私生活と演劇をうまく両立しているメンバーに感服させられた。僕は常に大切な人たちがそばにいる仕事場に憧れてきた。その手本は紛れもなく、ともに働きながら子育てをしてくれた両親だろうね」

 1979年の映像には、20代半ばの若々しいデフォーがスポルディング・グレイと並んで写っている。デフォーの強烈な印象は、この年齢にして既に前面に出ており、舞台上の彼は水を得た魚のようだ。あの名優グレイが相手でも、彼は空間を意のままに操っている。別の短い映像では、デフォーともうひとりの男性、そしてひとりの女性が映っている。フラダンスの衣装を身に着け、歌いながら踊っているデフォーを注意して見ると、男性の付属器官が露出し、リズムに合わせて揺れていることがわかる。前衛的でないという評価は、彼らには当てはまらない。

 ウースター・グループに関する初期の評論には、好意的でないものもあった。そこで劇団は、評論家たちを公演に呼ばずに巡業に出るという大胆な措置を取った。デフォーは次のように話す。

「あれは重要だった。彼らは劇団についてよく書いていなかったし、どう書けばよいかもわかっていなかった。なのにその後、劇団が国外で一定の成功を収めると、公演の論評をしたいからぜひ見に行かせてくれと言うようになった。そして、僕たちの成功は自分のおかげだと言いたがったんだ。興味深い教訓になったよ」

映画スターへの道 デフォーはやがて、華々しい舞台俳優となるグレイとは異なり、映画俳優の道を歩むことになる。発端は、1982年の『ラブレス』でデフォーに初主演を任せる、キャスリン・ビグロー監督の訪問だった。

「舞台以外に興味がなかったわけではないんだけれど、当時は毎日劇場で働いていた。すると、キャスリンが僕らのやっている公演を観に来たんだ。彼女は非常に気に入ってくれて、映画への出演を依頼してくれた。僕は映画でもやりがいを感じたし、とても楽しかった。理解してくれる人を、映画業界にも見つけたから」

 デフォーはその後、相当多忙だったであろう数年間で、いくつもの役を演じた。『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984年)でのダイアン・レインとの共演や、ウィリアム・フリードキン監督の『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985年)への出演は有名だ。順風満帆な日々であったにも関わらず、デフォーが成功の上にあぐらをかくことは決してなかった。

「ある程度の不安は常に抱えているものだと思う。頭が半分でも回れば、不安を感じるはずだ。保証なんてないんだから」

本記事は2019年1月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 26

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