Thursday, April 18th, 2019

WILL&TESTAMENT
稀代の怪優ウィレム・デフォー

映画スターへの道

 デフォーはやがて、華々しい舞台俳優となるグレイとは異なり、映画俳優の道を歩むことになる。発端は、1982年の『ラブレス』でデフォーに初主演を任せる、キャスリン・ビグロー監督の訪問だった。
「舞台以外に興味がなかったわけではないんだけれど、当時は毎日劇場で働いていた。すると、キャスリンが僕らのやっている公演を観に来たんだ。彼女は非常に気に入ってくれて、映画への出演を依頼してくれた。僕は映画でもやりがいを感じたし、とても楽しかった。理解してくれる人を、映画業界にも見つけたから」
 デフォーはその後、相当多忙だったであろう数年間で、いくつもの役を演じた。『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984年)でのダイアン・レインとの共演や、ウィリアム・フリードキン監督の『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985年)への出演は有名だ。順風満帆な日々であったにも関わらず、デフォーが成功の上にあぐらをかくことは決してなかった。
「ある程度の不安は常に抱えているものだと思う。頭が半分でも回れば、不安を感じるはずだ。保証なんてないんだから」
 1986年、デフォーはオリバー・ストーン監督の『プラトーン』で、戦争映画の金字塔を打ち立てた。今でも多くの人々にとってのカルト的な作品だ。道徳上のジレンマ、人命の軽視、登場人物たちが垣間見せる人間味、そしてもちろん、デフォー演じるエリアス軍曹の死̶。それはデフォーがそれまで演じたどの役よりも、悲哀に満ちていた。血も涙もない軍人になることではなく、雄々しく理想主義的な姿勢を見せることで人々に感銘を与えたのだ。同作品はアカデミー作品賞を獲得し、世界的な成功を収めた。オリバー・ストーンはアカデミー監督賞を受賞。デフォーはアカデミー助演男優賞で初めてのノミネートとなった。
 意外なのは、この年に公開された出演作が『プラトーン』のみで、翌年もドキュメンタリー映画のナレーターの仕事のみだったことだ。一見、アカデミー賞が追い風にならなかったように見えるが、これはデフォーが今日と同じく、信念に基づいて出演作を選んでいる結果だ。
「ノミネートされてからはいろいろなオファーが来た。当時の僕は、まだ売り出し中の若手だったからね。でもそんなときだからこそ、しっかり出演作を選ぼうとした。だから、次を決めるまで1年近く待った。心のどこかで、ぴたりと合う作品が来るような気がしたから。そろそろ仕事に戻らなきゃと思うようになった頃、同じことを繰り返したいとは思わないものだけど、次の作品もまたベトナム戦争をモチーフにしたものだったんだ」
 その映画が『サイゴン』(1988年)だ。彼の背中を押し、役を引き受けさせたのは、脚本の素晴らしさだった。もちろん、自信と経験が増すにつれて、キャリアを細かく管理する能力も身についた。
 デフォーは商業的意義よりも歴史的意義として画期的な映画、『生きるために』(1989年)で主演を務めることになった。この作品は、アウシュビッツで自分と同じ被収容者を相手に命がけの試合をさせられた、ユダヤ系ギリシャ人ボクサーのサラモ・アラウチを描いている。残念なことに米国や欧州政治において反ユダヤ主義が再び蔓延しているように見える今日、この物語の恐ろしさについて再考するのは時宜にかなっているように思う。
「あれは重要な作品だった。撮影場所が演技に大きな影響を与えるから、ほとんどをアウシュビッツで撮影したんだ。とてつもない人生経験だった。実際にホロコーストを経験した人々に接したからね。当事者の物語は、どんなときも説得力がある。『プラトーン』でも同じようなことがあった。大勢のベトナム帰還兵と撮影をともにしたんだけど、オリバーは僕たちに、彼らの証言するとおりに演じるよう指示したんだ。だから撮影地はとても重要だ。誰かが歩いた道を歩くとき、その人は確かな拠り所となってくれる」

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『プラトーン』(1986年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 26
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