April 2019

WILL&TESTAMENT

稀代の怪優ウィレム・デフォー

text tom chamberlin
photography michael schwartz
fashion direction jo grzeszczuk
Special thanks to The Carlyle Hotel, New York
issue10

ジャケット、トラウザーズ Edward Sexton
シャツ¥23,000 Drake’s
タイ Fumagalli 1891 by The Rake
時計「UR-105 CT」自動巻き、Tiケース、53×39.5mm。
世界限定50本(日本未入荷)。¥8,150,000 Urwerk

「特に不幸でもなかったけれど、故郷には芸術家の育成に役立つものはなかったな。芸術家の知り合いも周りに誰もいなかった。社会慣習への順応と生産性を重視するのが当時の風潮だったから」

 父は医師、母は看護師だったこともあり、8人の子供たちは自然と大きな志を持つようになった。父の背中を追って高名な外科医になった兄もいるが、ウィレムは別の生き方を考えるようになった。

「兄弟全員、期待以上の成果を出そうと頑張った。でもあるとき、僕は他に興味があるのだと気づいて、もっと大きな外の世界に出たいと思うようになったんだ」

 彼のクリエイティブな一面が一気に開花したのは、ウィスコンシン大学に通っていた頃だった。それは映像の授業で、ジャーナリズム的な試みという形で現れた。彼の映像作品には、映画界における40年近くのキャリアを形成することになる、因習打破主義がにじみ出ていた。

「うーん、僕はあれをジャーナリズムだとは思わないけれど、技術手法としてはそうだったかもしれない。地域社会のはみ出し者に関する3本の短編映画として企画したんだけど、彼らが社会慣習に背く姿を描くため、町の多数派とは違う方法で自己表現するよう彼らを促したんだ。僕はまだすべての映像を編集し終えていなかったんだけれど、誰かが編集室に入り、その内容に衝撃を受けた。それで僕は退学になったんだ」

 デフォーはその後も芸術的な活動やコミュニティを求め続けた。次のステージとなったのが、ミルウォーキーを拠点とする「シアターX」だった。シアターXは、しばしば実験的といわれる劇団だがデフォーの見方は違う。

「自分たちで劇をつくっていたという意味では伝統的だったよ。そういわれたのはおそらく内容が原因。大胆な演出もしたしね。でも小さな集団なのにニューヨークへ進出したのは、かなり革命的だった」

熱狂した前衛劇団 ニューヨークは、さまざまなチャンスが転がる大きな文化的拠点だ。デフォーは劇団の巡業でニューヨークへ行ったときにチャンスを掴んだ。そして、1975年にエリザベス・レコンテ(*)らと、前衛劇団ウースター・グループを創設した。当時ニューヨークは経済的に非常に困難な時期だったが、創造性を育む土壌としては理想的だった。儲かる見込みは薄くても、友情に恵まれた環境は良好で、デフォーはついに自分の居場所を見つけた。

*エリザベス・レコンテ = その後、ウィレム・デフォーの長年のパートナーとなる舞台監督。1982年に息子を出産するが、結婚はせずに2004年に破局。

本記事は2019年1月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 26

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