July 2019

WHEN TO PROVOKE IS TO LIVE

唾棄すべきもの、そしてフランスの宝

text stuart husband
issue10

ゲンズブールとジェーン・バーキン(1969年)。

 そんなわけで、作曲家ジョン・バリーとすでに離婚していた華奢なイギリス人女優兼歌手、バーキンとの出会いは、ゲンズブールにとっていささかホッとする出来事だった。初めての夜デートの後、ふたりはヴェネツィアのザ・グリッティ・パレスのスイートルームに泊まりに行き、たちまち離れがたい関係になった。「私はバルドーとはまるで対照的だった」とバーキンは述べた。「私に出会ったとき、セルジュは『ああ、君の体は俺が美術学校で描いていた体にそっくりだ』と言った。彼の好みは、大きな高い胸じゃなく、小さな下がった胸だったの。私はすでに子供を産んでいたから……。『少年の上半身と、少女の下半身を持つ女の子をいつも夢見ていた』と彼に言われたわ」

 バーキンは彼の装いもコーディネイトした。「ダブルブレステッドのウールのパルトーコートを、襟を立てて着せたわ。手袋のような靴を欲しがったから、レペットの白いバレエシューズを用意したら、靴下なしで履いていた。ジュエリーも買ってあげて、いつも3日分の無精ひげを生やしておくよう勧めたの」

 ゲンズブールはバーキンへ『ジュ・テーム』の再レコーディングを依頼した。「彼の希望は、私が聖歌隊の少年のように歌うことだった」とバーキンは回想した。「そしたら私が少しあえぎすぎてしまったの」

 世界各地での放送禁止や怒りの声が追い風となり、同曲は何十もの国で1位に上り詰めた(米国では、きわめて似つかわしい69位で止まった)。ゲンズブールは大いに喜び、免許もないのにレーシンググリーンのロールス・ロイス・シルバーゴーストを購入した(「運転と飲酒は両立できない。だから俺は後者を選んだんだ」というのが彼の言だった)。そしてリッツ パリのバーに出入りしては、色とりどりのリキュールを次々と制覇していった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 27
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