November 2020

THERE WAS THE POPE AND THEN THERE WAS ENZO'

ローマ法王がいて
そしてエンツォがいた

エンツォ・フェラーリは、過剰なまでの情熱と途方もない意志力により、
カヴァリーノ・ランパンテ(跳ね馬)の伝説を築き上げ、カーレースの世界を永遠に塗り替えた。
text stuart husband

Enzo Ferrari / エンツォ・フェラーリ1898年、イタリア、モデナ生まれ。若い頃よりレーシング・ドライバーを志し、アルファロメオのドライバーとして活躍する。1947年にフェラーリ社を創設。黎明期のF1を中心にレース・トラックにおいて目覚ましい活躍を遂げる。同時に世界中のステイタス・シンボルとなる高性能な数々の市販車を送り出し、多くのセレブたちに愛された。愛称は“法王”、“コマンダー”。

 モデナにあるエンツォ・フェラーリ博物館には、伝説の自動車王が世界に向けて発表した、夢のマシンが一堂に会する。1948年式の166MMトゥーリング・スーペルレッジェーラもあれば、1968年式の365 GT 2+2もある。エンツォの名を冠する2002年のモデルは、華麗な緋色のシンボルカラーをまとい、コウモリの翼のようなドアを備えている。

 かつてフランソワーズ・サガンは、「ウイスキー、ギャンブル、フェラーリは家事よりよい」と口にした。ラッパーのグッチ・メインは「フェラーリのコンバーティブルを、俺の欲しいモノリストから消せ」と歌った。スポットライトを浴びる名車たちを見ていると、フェラーリが自動車オタクやミッレミリアの世界を超え、崇拝物となった理由がわかる。

 博物館において、ひときわ多くを物語るのは、パースペックス製ケースに入ったペルソールの黒いサングラス(型番2762)である。このサングラスとトレンチコートが、エンツォ・フェラーリのトレードマークだった。エンツォがこれをかけるようになったのは、愛息ディーノが筋ジストロフィーにより24歳で亡くなった1956年からだという。

 彼は常に謎めいた雰囲気を醸し出しており、冷淡で打算的で尊大であった。フェルッチオ・ランボルギーニは、私物のフェラーリの欠陥を指摘したことで、エンツォに「頭を冷やせ」と言われ、二度と話しかけてもらえなかった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 27
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