July 2019

WHEN TO PROVOKE IS TO LIVE

唾棄すべきもの、そしてフランスの宝

text stuart husband
issue10

『ジュ・ヴ・ゼーム』で共演したカトリーヌ・ドヌーヴと(1980年)。

 彼はハイ・カルチャーとロー・カルチャーを平気で組み合わせた。例えばショパンのエチュードのロマンチックな調べを、遠洋船やトラックの運転席や、その他もろもろの場所でセックスすることの喜びを表現する歌にアレンジした。

「彼はきっちりと税金を払う、潔癖でお堅い人だった。彼が真っ裸でいるところを見たことがなかった」とバーキンは言う。そのくせ彼の最も有名なヒット曲は、オルガスムを連想させ、BBCやバチカンが放送禁止にした『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』なのだ。彼はボードレール、バイロン、ジョニー・ロットン、スティーヴン・ソンドハイム、ベニー・ヒルが混ざり合ったような人だった。「俺は凡庸にはなれない」と言いながら、「俺はすべてに成功したが、人生には失敗した」などと言う人だった。

 ゲンズブールは、1928年にリュシアン・ギンズブルグという名でパリに生まれた。両親は1919年に帝政ロシアから逃れてきた。姉ジャクリーヌは「私たちは美を重んじる家で育てられました。絵画、音楽、文学、そして前衛芸術― 私たちはショパン、ストラヴィンスキー、ラヴェルを聴かされました」と語った。

 軍隊に入った20歳のときに喫煙と飲酒を始めた。除隊後、フランス芸術アカデミーに通ったが、結局は「画家の自由奔放な暮らし」を捨ててシンガーソングライターとなり、名前をロシア風のセルジュに変えた。

issue10

当時のセックスシンボル、ブリジット・バルドーとパリで(1960年頃)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 27
1 2 3 4 5

Contents