Thursday, May 30th, 2019

A SHOT AT THE BIG TIME
貴族のための最後のスポーツ

王室による保護、田舎の壮大な自然、ツイードたっぷりの装い……。 16世紀以降、銃を用いた遊猟は
英国貴族の領分であり続けてきた。だが、もしあなたが由緒ある地所で開かれる週末の遊猟会に招かれたなら、
うまく溶け込むためにはTHE RAKEの手引きが必要になるだろう。
text sophia money-coutts

 貴族と聞くとどんなスポーツを連想するだろう? ひょっとしたらキツネ狩り(ハンティング)だろうか? ただ、2004年にキツネ狩り禁止法が成立したため、近年は状況が変わった。今や、馬に乗った参加者たちが追いかけるのは、四輪バギーがつけた臭いの跡だ。キツネにとっては前よりフェアなやり方だが、赤いバギーがエンジン音を響かせる様子は、昔ほどロマンチックではない。
 ポロはどうだろう。確かにウィリアム王子もヘンリー王子もポロをするが、怪しげな新興実業家やガス王もプレイしている。以前ならクロッケーもよい答えだっただろう。だがそれも、ベッカム夫妻がオックスフォードシャーの自宅に、クロッケー場を造るまでの話だった。
 よって見たところ、上流階級の道楽として残っているスポーツはたったひとつ。銃を用いた遊猟(シューティング)だ。もしあなたが公爵であれば、まず間違いなく今でも広大かつ歴史ある遊猟地を所有しているはずだ。デヴォンにキジ、サセックスにヤマウズラ、ヨークシャーにライチョウの猟場という具合に。
 銃を用いた狩り出し猟のための英国最古の遊猟地は、ノーフォーク北部のホルカムにある。実は所有者は公爵ではなく伯爵(レスター伯)なのだが、ここは今でも英国屈指の遊猟地だ。並外れた猟鳥、丹念に手入れされた素晴らしい自然、そして伝統的な姿勢を守っている。
 ホルカムの勢子は、クックハットと呼ばれるボーラーハットを現在も着用している。クックハットの起源は枝から勢子の頭部を守るために1849年に注文され、ロック&コーのチーフハッターであったトマス・ボーラーが仕立てた帽子である。
 遊猟や勢子と聞いてもピンと来ない方のために、少しご説明したい。英国ではキジを主な対象としている。通常10人ほどの射手が獲物の隠れ場所の外に立ち並び、勢子が手を打ち鳴らしてキジを外へと“狩り出す”。そこでバンバンと発砲し、キジを空から撃ち落とすのだ。そして皆で次の猟場へと移動する。猟の合間には、イレブンジズ、昼食、午後のお茶の時間を設ける。実に大変な活動である。
 英国における銃を用いた遊猟は、16世紀に貴族のスポーツとして誕生した。キジを英国に持ち込んだのは、おそらく古代ローマ人だろう。当初はキジ肉が珍重され、宴に用いられていた。1465年のヨーク大司教の就任式には、200羽のキジが振る舞われた(これに加えて、12頭のネズミイルカとアザラシ、104羽のクジャク、400羽のハクチョウ、500頭の雄ジカ、2,000羽のガチョウ、4,000羽のマガモとコガモ、6頭のイノシシも供された)。
 今日私たちが知る形の狩り出し猟が始まったのは、二連銃と素早く装塡できる弾薬筒が発明されたヴィクトリア女王時代だ。“バーティー”ことエドワード7世のような王族の奨励により、貴族は遊猟に熱心に取り組むようになった。ただ、彼の腕前については疑問符が付く。1891年の遊猟会で、バーティーは近くでお喋りする女性ふたりに気を取られ、自分の狩猟ステッキを野ウサギと見間違えて撃ち、バラバラに破壊してしまった。
 その日はたまたま調子がよくなかったのかもしれない。1876年のサフォークでの遊猟会で、バーティーは友人のマハラージャ、ドゥリープ・シングとともに約6,000羽(うち4,500羽近くはキジ)を撃ったのだから。そのマハラージャは子供時代にシク王国の王座を失ったのち、サフォークにある地所に暮らすようになった人物である。彼はヴィクトリア女王の承認を得て、ヨーロッパの貴公子と同等の地位と特権を享受していた。
 マハラージャは射撃の名手であり、食前に846羽のヤマウズラを撃ったこともあった。また、ヨークシャーのマルグレイヴ城を借り、そこへゾウを持ち込むと、ライチョウ猟をする際の移動手段として用いた。さらに彼は猟の休憩時に一斉に鳴き声を上げられるようゾウたちを訓練し、城のスタッフにテーブルに食事を置くタイミングを知らせたという。

遊猟旅行中のウィンザー公(1936 年)。ソフトハットとツイードのジャケットに身を包んでいる。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 27
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