Thursday, June 20th, 2019

Through the looking glass
ロスチャイルド家のパーティへようこそ

ギー・ド・ロスチャイルド男爵は、金持ちは、金持ちらしく生きなければならない、
という考えを提唱し、それを「リシェス・オブリージュ」と呼んだ。
それを誰よりも体現したのが、妻のマリー・エレーヌのパーティだった。
text stuart husband

 1972年12月12日、ギー・エドゥアルド・アルフォンス・ポール・ド・ロスチャイルド男爵と、妻のマリー・エレーヌ・ド・ロスチャイルド男爵夫人は、パリ郊外ブリに所有する大邸宅、シャトー・ド・フェリエールにてパーティを開催した。
 ロスチャイルド一族の話である。当然、それは実に盛大なパーティだった。“ディネ・ド・テート・シュルレアリスト(シュールな頭の晩餐会)”と名付けられたそのパーティのドレスコードは、「ブラックタイ、ロングガウン、そしてシュールな被り物」というものだった。

金持ちは、金持ちらしく
 到着したゲストの目の前にそびえ立つ荘厳なシャトーは、ロンドンのクリスタルパレスの設計者、ジョセフ・パクストンが1859年に設計した建物だ。
 このシャトーがオレンジ色の動くサーチライトに照らされ、燃え上がっているように見えていた。建物の中では、マスコミに「パリのパーティ女王」と呼ばれたマリー・エレーヌの細部にまでこだわった演出が、150人のゲストを楽しませていた。
 会場は黒いリボンで、巨大なクモの巣のように飾られていた。メインの大階段には猫の仮装をした男たちが、さまざまなポーズで佇んでいた。皿の上には毛皮が載せられ、フォークの代わりに死んだ魚が置かれ、テーブルにはカメの剥製が飾られていた。デザートは、バラの花のベッドに横たわった、局部をバラで隠しただけの全裸女性で、等身大のそれは、実はすべて砂糖でできているのだった。
 オードリー・ヘップバーンは、マグリット風に鳥かごを被って登場した。エレーヌ・ロシャスは、蓄音機のホーンの先が人の手に変形した帽子を着用していた。ゲストはタペストリーで飾られたサロンへと案内され、ここで男爵夫妻と面会した。男爵は17世紀オランダの静物画(死んだキジや腐りかけのフルーツが描かれている)を3D化したような帽子を被り、一方の男爵夫人は牡鹿の被り物で頭部を覆っていた。それは立派な角を生やし、目からはペアシェイプのダイヤモンドの涙を流しているのだった。
 ゲストはこの光景を目にして、男爵のある言葉を思い出したに違いない。
「古いフランスのモットーに、ノブレス・オブリージュという言葉がある。高貴な人は、その名に恥じぬよう生きねばならない、という意味だ。ロスチャイルド家には、もうひとつモットーがある。リシェス・オブリージュだ。金持ちは、金持ちらしく生きなければならない、という意味だ」
 その点幸い男爵には、マリー・エレーヌという、大きな支えとなってくれる存在がいた。
「エキゾチックで、華やかで、極端で、情熱的な人」と、1982年の銀婚式記念日に、男爵は夫人を称賛している。
「彼女は生きることに驚くほど貪欲で、常にハイテンション。言葉ではいい表せない魅力がある。自由奔放でさまざまな顔を持ち、それはまるで絶え間なく変化を続ける海のようだ」
 マリー・エレーヌは、シャトー・ド・フェリエールと、パリの真ん中にある夫妻の邸宅の大改装を行った。17世紀に建てられたサン・ルイ島のランベール館のことである。
 改装にあたって、世界的な伊達男かつ遊び人、アレクシス・ド・レデ男爵と、超一流インテリアデザイナーのフランソワ・カトルーの助けを借りて、ミニマリズムとは正反対の、後に“ロスチャイルド風”として知られるようになったスーパー・ゴージャスなスタイルをつくり上げた。
 ナポレオン3世の美術品、オリエンタル風の装飾、オランダの寄木細工、インドネシアのテキスタイルなどがミックスされ、貴重なミニチュアや希少本、家族写真、植木や花々が所狭しと並んでいた。ここで男爵夫人は、数えきれないほどのパーティを開いた。
 ウィンザー公爵夫人、イヴ・サンローラン、ベルナール=アンリ・レヴィ、アンディ・ウォーホルなど、社交界、実業界、芸術界など、さまざまな世界のトップスターたちが集まり、交わった。彼女は語った。
「誰かを喜ばせたいなら、正反対の人々と出会わせればいいのよ」

ギー・ド・ロスチャイルド男爵(右)とマリー・エレーヌ・ド・ロスチャイルド(左)。1959年、自宅で開かれたパーティにて。

イヴ・サンローランと談笑するロスチャイルド男爵夫人。1973年、ロンシャン競馬場にて。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 15
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