The Rakish ART ROOM Vol.03
今買える、世界の名画 Vol.03
モイーズ・キスリング
July 2020
リュクサンブール公園近く、ジョゼフ・バラ街にあったパリのアトリエで、モデルを描くキスリング。このアトリエはモディリアーニやフジタ、スーティンなどの画家や画商、モデルのたまり場だった。©Aflo
「モンパルナスのプリンス」と「モンパルナスの女王」。ふたりの「キキ」は、1920年代、芸術の都パリにおいて、画家、モデルとして絶頂期にあったが、その後の人生は全く違った。1929年に起こった世界恐慌により「狂乱の時代」が幕を閉じるのと時を同じくして、キキはマン・レイとの同棲生活を解消した。その後は歌手の仕事もふるわず、自らのキャバレー経営も失敗。第二次世界大戦後、45歳のときには麻薬の密売で逮捕され、1953年、アルコールや薬物依存により52歳で亡くなった。
一方、ユダヤ人のキスリングは第二次世界大戦中に行った反ナチズムの抗議活動でナチス・ドイツから死刑宣告を受け、1941年にアメリカへ亡命。米国では、熱狂的なコレクターやハリウッドのセレブたちと華やかな社交を繰り広げる一方、フランスにとどまった芸術家やその家族の支援活動にも積極的に参加した。戦後、帰国したキスリングは、1953年4月、尿毒症の発作により、62年の人生を閉じる。南仏シャトー=ミュゼでの個展の最中という、栄光に包まれた最期であった。
モイーズ・キスリング / Moïse Kisling(1891-1953)エコール・ド・パリを代表する画家で仲間うちのあだ名は「キキ」。19歳のときに生まれ故郷のポーランドのクラクフからパリに出た彼は、ピカソ、モディリアーニ、パスキンらと交流しながら、自らのスタイルを追求。イタリアやフランドルの古典的な絵画を学んだ彼の作品は、洗練されたレアリスムと静謐なムード、輝く色彩によるメランコリックな画風で人気を博した。©Aflo
本記事は2019年7月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 29