March 2015

RALPH LAUREN
THE AMERICAN DESIGNER

偉大なる、アメリカンヒーロー
―ラルフ・ローレンのすべて―

by wei koh
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一流芸術家によるライブ映像 修復工事の目的は、エコール・デ・ボザールの古典様式を後世のために保存しつつ、21世紀に適した教育環境を整えることだ。アンフィテアトル・ドヌールは修復され、最新のAV技術が取り入れられる予定だ。

「ファッション界と美術界の若者たちを結びつけることが、私の希望でした。そこで彼らが学び続けられるよう支援するという方法を選んだのです。想像してみてください。世界屈指の芸術家による講義のライブ映像が、世界中の教室に向けて発信されるのです」

 支援を記念した祝賀会では、ファッション・ショーも開催された。同校の敷地内で行われたこのショーは、ラルフ・ローレンにとって、パリで開く初めてのショーとなった。

「その頃、偶然にも、パリでレディースのファッション・ショーを開くことを検討していました。しかし、ただショーを開くだけではなく、もっと意義のあるイベントにしたかった。そこでエコール・デ・ボザールの修復を約束するのに合わせて、ショーも行うことにしました。ショーは構内で開催され、その後の晩餐会は、他ならぬアンフィテアトルの中で開かれました。とても素晴らしい夜でした」

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アメリカの遺産を守るために ラルフ・ローレンが洋服を通じてアメリカン・ドリームを実現し、そのブランドを世界の隅々まで広めたことは周知の事実である。しかし、ローレンが米国独自のラグジュアリー観を生み出した初めての米国人になったということは、あまり強調されてこなかった。

「自分がアメリカらしいと思うものを表現することは、常に私のテーマでした。私はアメリカの風景や人々の暮らしが大好きです。しかし、私が子供だった頃は、アメリカの人々はいつもヨーロッパへ憧れていました。休暇が取れれば、皆リヴィエラへ行きたがったものです。ヨーロッパを旅し、ヨーロッパの商品を消費することがステイタスでした。アメリカはまるで劣等感を抱えているようだったのです」

 そんなローレンが、アメリカの工芸品や文化遺産に対し、常に敬意と危機感を抱いてきたのは自然なことだった。そしてヒラリー・クリントン前国務長官も、同じように考えていた。ヒラリーは自分の気持ちを、次のように語っている。

「専門家たちに話を聞くと、『我が国のもっとも重要な財産の一部は、きわめて危険な状態にある。なかでも星条旗の状態は深刻です』と言われたのです。それは悲しい事実でした」

 この星条旗は、かつて米英戦争の際に、イギリス軍の猛攻を耐え忍び、アメリカ勝利の礎となったマクヘンリー砦において、大国旗として掲げられていたものである。

 詩人フランシス・スコット・キーは、翻る旗を見て感動し、“ 星にきらめく旗”を著した。これが後に、アメリカ合衆国国歌となるのである。しかし、1912年にスミソニアン協会に寄付されたとき、この旗は、すでにぼろぼろになっていた。

「あれは、7月でした。所有している牧場で家族と過ごしていたとき、ホワイトハウスを訪れるよう依頼されたのです。私は、この訪問がとても意義深いものになると直感しました。そこで家族全員で、ワシントンへ向かいました。ビル・クリントン大統領には、お土産として、牧場のステーキを差し上げました。大統領は非常にフレンドリーな人物で、私のジーンズとカウボーイブーツをほめてくれました」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 03
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