March 2015

RALPH LAUREN
THE AMERICAN DESIGNER

偉大なる、アメリカンヒーロー
―ラルフ・ローレンのすべて―

by wei koh
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ワシントンのニーナ・ハイド乳がん研究センターでのラルフ・ローレンとダイアナ妃の姿。1996年にここで開催されたガライベントで、同センターが初めて授与するヒューマニタリアン賞が、ダイアナ妃からローレンに手渡された。

ダイアナ妃との思い出 ラルフ・ローレンは、ウィリアム王子の母であり、かつてロイヤル・マースデンの後援者であったダイアナ妃と、親しい間柄にあった。ローレンは言う。

「ダイアナ妃のことは、以前から存じ上げていました。人々への援助を惜しまないその人柄に、いつも感銘を覚えていたものです。初めてお会いしたのは、アメリカにおいてでした。彼女のために昼食会が開かれたときに、席が隣同士となったのです。彼女はとても素敵な人でした。シャイでありながら、同時にフレンドリーでもあった。最後には、すっかり打ち解けたので、ロンドンを訪問した際に、電話を差し上げていいかどうか、お尋ねしました。私が『ぜひ、またランチをご一緒したいのですが、どのような手続きを踏めばよいものかわかりません』と言うと、彼女は『きっと、何とかいたします』と答えてくれました」

 結局、彼らは、ロンドンのファイブスター・ホテル、ザ・コンノートで再会を果たす。

「ダイアナ妃はお付きの侍女を、私は長男のアンドリューを連れていました。そのときの私は、ジーンズにブレザーといういでたちでした。私のジーンズ姿を見た彼女は、『ジーンズでいい場所だとは知らなかったわ』と笑いました。私がふざけて、『私は、かなり特殊な職業の人間ですから』と言うと、彼女はさらにおかしそうにしていました。

 このときわかったのは、彼女が私のブランドの大ファンであるということです。そればかりか王子たちもラルフ ローレンの愛用者だったのです。その後、彼女から、がん治療への貢献に対して、ヒューマニタリアン賞を手渡されたことも印象に残っています。あれは素晴らしい経験でした」

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パリのエコール・デ・ボザールに感銘を受けたラルフ・ローレンは、同校の修復を約束した。特に力を入れているのが、中央に位置するアンフィテアトル・ドヌール(半円形講堂)を修復し、そこへ最新技術を導入して学生たちの教育を支援することだ。

パリ、アートの殿堂を次世代へ 2010年はラルフ・ローレンにとって、フランスにおける記念すべき年となった。ニコラ・サルコジ仏大統領から、名誉あるレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを授与されたからだ。ラルフ・ローレンは言う。

「かつてフランスには、ある種の気後れを感じていました。フランス語は話せないし、フランスでは、自分は無名だと思っていました。ですから、フランスでブランドを売り出す際も、独自のやり方でいこうと思いました。私たちは、サンジェルマン大通りに美しい館のようなブティックをオープンすると同時に、ルーヴル宮殿にある装飾芸術美術館で、自動車の展示会を開くという方法をとったのです」

 そして2013年、ラルフ・ローレンは、パリ国立高等美術学校=エコール・デ・ボザールの修復に協力することを発表し、光の都パリとの絆をいっそう深めた。エコール・デ・ボザールは、350年以上の歴史を持ち、モネ、ルノワールなど数々のアートの巨人を生み出した、欧州を代表する名門校である。

「外国人にとって、エコール・デ・ボザールが誇る有名な建築物の数々は、ほれぼれとするものばかりです。特に半円形の講堂、アンフィテアトル・ドヌールは素晴らしい場所で、初めて見たときはとても感激しました。しかし同時に、傷みが激しいとも思いました」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 03
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