Wednesday, July 8th, 2015

EMPIRE OF THE SONS

地球上で最も裕福な一族
―ロスチャイルド家の系譜―
19世紀初頭、ドイツ系ユダヤ人の銀行家が5人の息子をヨーロッパ各地の
金融の中心地に送り込み、家業を展開したときからすべては始まった。
それから7世代目の今も、ロスチャイルド家は地球上でもっとも裕福かつ有力な一族だ。
この一族をめぐる金、ダイヤモンド、戦争、ワイン、そして信仰と家族の物語をひもとく。
text james medd
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フランスにあるシャトー・ムートン・ロートシルトの航空写真。
この超一流シャトーを所有するのも、ロスチャイルド一族の分家だ。

もし私がお金持ちだったら
“ロスチャイルド”という名には、大君の器を思わせる響きがある。
 莫大な富を何代にもわたって受け継いでいく一族は、いくつか知られている。アメリカのロックフェラー家やゲッティ家がよい例だ。(ビル・ゲイツも近いうちに仲間入りするだろう)。
 だが、銀行家のロスチャイルド一族ほど世界中に進出し、途方もない成功を収めた存在はない。
 この一族をモチーフにした『もし私がお金持ちだったら』という歌は、いまや世界中にて広く知られている。これは『屋根の上のバイオリン弾き』というミュージカルの挿入歌だが、原作者ショーレム・アレイヘムの「もし私がロスチャイルド一族だったら」という独白からヒントを得ている。
 このユダヤ人作家が執筆活動をしていたのは19世紀末だが、ロスチャイルド家は常に成功を収めてきたため、過去2世紀のどの時点でも、同じセリフが通用しただろう。
 アレイヘムが書いたストーリーの主人公は、ユダヤ教のしきたりや家族の絆を守ろうと奮闘する父親だが、これはまさにロスチャイルド家の物語でもある。
 彼らは家長の統制力のもとで繁栄し、他の一族が衰退しても、血族結婚や信仰によって富を維持してきた。そのおかげでロスチャイルド一族は大胆で頭の切れるビジネスブレーンを代々輩出し、団結心や共通の価値観を武器に、世界有数の大富豪としての地位を築いてきた。

家紋に描かれた5本の矢  一族の隆盛は、18世紀のフランクフルトにあったゲットー(ユダヤ人居住区)から始まった。古いドイツ語で「赤い表札」を意味する「ロートシルト」(ロスチャイルドのドイツ語読み)という苗字が初めて使われたのは16世紀後末だが、歌の主人公にふさわしいのは、1744年生まれのマイアー・アムシェル・ロスチャイルドである。
 彼は父親が営んでいたローカルな両替商から金融業に転じ、5人の息子をヨーロッパ各地(フランクフルト、ナポリ、ウィーン、ロンドン、パリ)に送り込んで事業を拡大し始めた。同家の紋章(157ページ、右下)には5本の矢が描かれているが、この矢がこぶしでしっかりと握りしめられているところに大きな意味がある。
 ロスチャイルド家の兄弟は別の国にいても連絡を取り合い、父の言いつけを守った。マイアー・ロスチャイルドは息子たちに仕事面の協力のみならず、近親結婚も勧めた。4人の孫息子は従妹と結婚し、このしきたりは子孫が他の貴族や財閥と婚姻関係を結ぶようになった19世紀末まで続いた。オーストリアやドイツ、イタリア(ロスチャイルド家は、たちまちバチカン御用達の銀行家になった)で事業を順調に拡大する一方で、一族はパリやロンドンでも本領を発揮した。
 イギリスに送りこまれた三男のネイサン(1777~1836年)は1811年にN・M・ロスチャイルド&サンズを創業する。ナポレオン戦争では英国陸軍の資金調達に協力し、そこから長年語り継がれる伝説が生まれた。
 その伝説によれば、彼はヨーロッパ中に張り巡らせたロスチャイルド家の情報網によって、ワーテルローの戦いでウェリントン公が勝利したという情報を、イギリス政府より丸一日早くつかんでいたため、公債を買い占めて莫大な利益を上げたという。
 ロスチャイルド家の出資先は軍事活動だけではない。彼らは平時も活躍し、19世紀にヨーロッパで起こった産業革命にも、資金面で大きく貢献した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 03
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