March 2015

RALPH LAUREN
THE AMERICAN DESIGNER

偉大なる、アメリカンヒーロー
―ラルフ・ローレンのすべて―

by wei koh

がんとの本当の闘いが始まる 自らの入院と手術という経験の後、ローレンは、がん、特に乳がんの治療と予防のための運動を開始した。この取り組みは、ラルフがニーナ・ハイドという女性と出会ったことがきっかけとなった。

「彼女はワシントン・ポスト紙のファッション・エディターでした。彼女はとても優しく、聡明な女性でした。ところがある日、通りで出会った彼女は、まるで別人のようで、私は何かがおかしいと直感しました。そこで『ニーナ、どうしたんだい?』と聞くと、彼女は『ラルフ、私、乳がんなの。だけど、最先端の治療ができる主治医もいるから、乗り越えられるチャンスはあるわ』と答えました。私は彼女を見つめ、『ニーナ、君のために、私は何ができる?』と尋ねると、彼女は『ファッション業界に問題を提議するというのはどうかしら?』と言ってくれました。私は、『わかった』と頷きました。こう言ったとき、私にはこの運動がうまくいけば、彼女を救えるかもしれないと思っていました。自分自身に“必ず成し遂げてみせる”と言い聞かせました」

 ローレンはアイデアを実行に移した。

「米国ファッションデザイナー協議会(CFDA)を通じて、乳がんの克服を目指すキャンペーンを始めたのです」

 その頃、ファッション業界には、がんに対する問題意識などなかった。ローレンは、ヴォーグのアナ・ウィンターやワシントン・ポストのキャサリン・グラハムなどの有名ジャーナリストに働きかけ、自ら旗ふり役を買って出た。業界の人々が、ひとつの運動のために力を合わせることなど、かつてないことだった。そして最終的に何千万ドルもの寄付を集めることに成功した。

 ラルフ・ローレンはこの功績によって、CFDA賞を受賞している。CFDAがこの種の賞を授与したのは、初めてのことだった。

 しかし、当のニーナ・ハイドは、闘病の末、亡くなってしまう。そこでローレンは1989年に、ジョージタウン大学に、彼女の名を冠した、ニーナ・ハイド乳がん研究センターを共同設立し、がん撲滅のために、更なる努力をすることを誓った。

“Ralph is an amazing man.
He is a man of very great means.
He didn’t start that way but that’s where he is right now. But he’s kept this common touch.
He’s a quiet man. But when he says something,
he says something that counts.”
-Dr. Harold Freeman

“ラルフは驚くべき人物です。彼は大きな富を手にしている。
けれど、最初からそうだったわけではなく、そこまで上り詰めたのです。その一方で、
彼には今でも庶民的な親しみやすさがある。また、彼は物静かな人ですが、
ひとたび口を開くと、大切なことに気づかせてくれます。”
――ハロルド・フリーマン医師
issue03_01_6

ラルフ・ローレンと、ラルフ・ローレンがん予防治療センターの創設者兼名誉会長、ハロルド・フリーマン医師。

ハーレムを、がんから救え! ラルフ・ローレンの闘いは続く。

「ハーレムで活躍する外科医、ハロルド・フリーマン医師に出会いました。ハーレムでは、治療を受ける機会に恵まれず、がんで死亡する人が多いと前から感じていました。人々は病院へ行くことや、慣れた環境から外へ出ることを恐れていたのです」

 フリーマン医師が1990年に発表した報告書の内容は、驚くべきものだった。なんとハーレムに暮らす黒人男性のがん生存率は、バングラデシュよりも低かったのだった。

 ハーレムとラルフ・ロ―レンのオフィスは、ともにニューヨークにあり、2マイルほどしか離れていない。しかしふたつの地点には極めて大きな隔たりがあった。ローレンは、この事実に驚愕した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 03
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11

Contents