Thursday, June 20th, 2019

Through the looking glass
ロスチャイルド家のパーティへようこそ

“ロスチャイルド”の意味するもの
 ギー・ド・ロスチャイルド男爵は1909年生まれで、貸金業者として一族の礎を築いたマイアー・アムシェル・ロスチャイルドの玄孫に当たり、桁外れに裕福な家庭環境で育った。
 両親が所有していたリヴォリ通りとコンコルド広場の角地に立つ自宅は、かつてはタレーランが住んでおり、現在はアメリカ大使館として使われている。彼はフランス語よりも先に英語を話すようになった。母親からこう教え込まれていたという。
「イギリス貴族というのは、世の誰よりも素晴らしい」
 そのため男爵はゴルフが得意で、フランスのナショナルチームに所属するほどの腕前だった。
 第二次大戦中は兵役に就いたが、配属された貨物船が魚雷攻撃を受け沈没し、彼の乗ったゴムボートは、凍えるような寒さの中、大西洋を12時間もさまよった。ロンドンにたどり着き、従兄弟のジミーが口に含ませてくれたワインで意識を取り戻したが、そのときのワインは、もちろんラフィット・ロートシルトで、ヴィンテージは1895年だったという。
 その後は、とりわけ競馬に熱を入れるようになり、愛馬がパリ大賞典やサンクルー大賞典(いずれも欧州のG1級レース)で優勝したこともあった。
 競馬場は、ギーとマリー・エレーヌのふたりを結び付けた場所でもあった。ふたりの出会いは、シャンソン歌手エディット・ピアフのステージが開かれた、ドーヴィル競馬場でのフェスティバルだった。彼はこのとき、サラブレッドのブリーダーをしていたとある伯爵に、ラフィット2ケースを賞品として贈ったのだが、この伯爵が偶然にも、マリー・エレーヌのひとり目の夫だったのだ。
 ギー男爵は、この若き伯爵夫人にすっかり心を奪われた。ふたりの出会いの場面のBGMに、ピアフの名曲、『水に流して』の「私は後悔しない、もう過去のことはどうでもいいの……」という歌が流れていたとか、いないとか。

奔放な男爵夫人
 1927年ニューヨークに生まれた彼女の本名は、マリー・エレーヌ・ナイラ・ステファニー・ヨシナ・ヴァン・ツイレン・ヴァン・ニエベルト・ヴァン・デ・ハールという(驚くほどのヴァンの数だ)。
 母親はエジプト人で、その祖先はシリア移民。父親は、外交官でオランダ系ユダヤ人の実業家でもあった。父方の祖母が、国際的なモーターレースに初めて出場した女性としても知られるエレーヌ・ド・ロスチャイルド男爵夫人だったことから、ギー男爵とは遠い親戚に当たる。
 若き日のマリー・エレーヌは、母親譲りの自由奔放な性格だった。ニューヨークのメリーマウント・カレッジを卒業後、パリへ渡り、ニコライ伯爵と結婚した。
 出会った当時は、ギーも別の女性と婚姻関係にあったが、出会いから6年後の1957年、最終的にふたりは“民事婚”として結婚することとなる。
「私たちのダブル離婚のせいで、さまざまな騒動が巻き起こった」と、男爵は当時を振り返っている。
 この「騒動」とは、マリー・エレーヌが前の結婚を取り消し、彼女が信仰するカトリック以外の人間と再婚することについて、ローマ教皇の特免を受けなければならなかったこと。また男爵側としては、フランスのユダヤ人社会のトップの座を、捨てなければならなかったことを指す。大きな障壁を乗り越えたマリー・エレーヌは、夫の言葉を借りれば、「私以上にロスチャイルドらしい人間」になっていった。
「当時の私は、ロスチャイルド家の中で一番若かった」と、マリー・エレーヌは新婚当時を回顧する。
「いろいろ学びたくて、目を大きく見開いていた。好奇心の塊で、何でも見てみたい、やってみたいと思っていた」
 マリー・エレーヌは、自らのために大きな犠牲を払ってくれた夫を、社交界の寵児へと押し上げていく。
 彼らはまず、戦争中にドイツ人が占拠していたシャトー・ド・フェリエールの改装に取りかかった。1959年、有名な舞踏会の第1回が開催された。このとき、シャトーは白い綿モスリンで覆われ、ダイヤモンドがちりばめられた巨大なクモの巣や、湖の上に浮かぶガレオン船を思わせるような装飾がなされていた。
 そして、冒頭のシュルレアリストのパーティと並び、最も有名となったのが、1971年の“プルーストのためのパーティ”である。『失われた時を求めて』の著者プルーストの生誕100周年を記念して開かれた舞踏会で、350人ものゲストが招かれた。
 コンソメスープ、山盛りのロブスター、鴨のフォアグラ詰め、プルーンジャムなどのご馳走が振る舞われた。テーブルの上には蘭の花が飾られ、ダイニングルームにはヤシの木が配されていた。
 参加したゲストは小説の登場人物に扮し、その様子を有名写真家セシル・ビートンが撮影した。ウィンザー公爵夫人は大きな青い羽根付きの帽子を被り、その夜ビートンに「狂気のゴヤ」とやや辛口に評された。

1972年、権勢を誇った、シャトー・ド・フェリエールの正面部分。

ド・レデ男爵主催の仮装舞踏会に現れたロスチャイルド男爵夫妻。1969年、パリにて。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 15
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