The Rakish ART ROOM Vol.16

マルク・シャガール《聖書の光景》

January 2022

古代イスラエルの英雄と、イエス・キリストのエルサレム入城。
「旧約聖書」と「新約聖書」の名場面が交差する……。
text setsuko kitani
cooperation mizoe art gallery

97歳まで生きたシャガールが93歳頃に描いた作品。すべてのイスラエルの王として冠を戴いたダヴィデがロバに乗り、自ら竪琴を奏でながらエルサレムに入城する場面を描く。ダヴィデの後方(画面右上)で人々が掲げているのは、モーセの十戒が刻まれた「契約の箱」。画面中央上には、現在もエルサレムにそびえるダヴィデの塔と古代からの城塞が、太陽の円形の中に描かれ、そこから天使が外界へダイブしている。《聖書の光景》1980年頃、キャンバスに油彩 109.9×125.1cm(60号)©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021, Chagall®

「ごく幼い頃からずっと私の心は聖書にとらわれていた。聖書はいつも詩のいちばん大きな源であるようにみえ、今でもそう思う。それ以来ずっと、生活と芸術の中に、その反映を探し求めてきた。聖書は自然がこだましているようであり、私が伝えようと試みてきた神秘である」

 1887年、旧ロシア帝国ヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)のユダヤ人地区に生まれ、以来、哀愁や神秘に覆われた故郷の村やユダヤの文化を描いてきたマルク・シャガール。彼が聖書の物語に取り組むのは、1930年、美術商アンブロワーズ・ヴォラールより、挿絵本『聖書』のためにエッチングの連作を依頼されてからのことといわれている。

 以後シャガールは、ユダヤ教の聖典でもある「旧約聖書」やキリストの磔刑図などを、自らの解釈を自由に加えながら、輝く光と色彩のなかに描き続けた。その成果は、1956年に出版された『聖書』の約100点にも及ぶ大判挿絵をはじめ、ニースの「国立マルク・シャガール聖書の言葉美術館」ほか世界中のミュージアムにおさめられているコレクション、また晩年になって手がけたステンドグラスの大作などにみることができよう。

《聖書の光景》は、97歳まで生きたシャガールが93歳頃に描いた作品で、「旧約聖書」の英雄ダヴィデが、古代イスラエルの王となり得意の竪琴を奏でながらエルサレムに入城するシーンを描いている。巨人ゴリアテを投石で倒したことで知られるダヴィデは、美術作品では紅顔の美少(青)年としてあらわされることが多く、特にミケランジェロの彫刻が有名だが、彼は37歳の時に全イスラエルを統一し、この国に繁栄をもたらした。

 どこかヴィテブスクの住人を思わせる群衆の熱狂的な歓迎を受けながら、ロバに乗って進むダヴィデ王。その姿は、エルサレムに入城した時のイエス・キリストを連想させる。磔刑へと続く一連の受難劇の始め、キリストは「旧約聖書」の預言通り、ユダヤの王メシアとして仔ロバに乗ってエルサレムに入城した。シャガールは、エルサレムに入るダヴィデとキリストの姿を、ダブル・イメージとして表現しているのだろう。

パリのアトリエで愛妻ベラを描くシャガール。その後ろにいるのは、当時8歳頃の娘、イダ。エキゾチックな美女ベラをモデルにシャガールが描いているのは、《二重肖像》。画面奥には、傑作《誕生日》が見える。1925年頃撮影。©Aflo

 画面の右上に描かれるのは、1981年の映画『インディ・ジョーンズ/レイダース失われたアーク《聖櫃》』でもお馴染みの「アーク=聖櫃」と呼ばれる「契約の箱」。中には、モーセの十戒が刻まれた石板が入っており、後にダヴィデは、これを信仰の証としてエルサレムに祀った。

 シャガールは挿絵を描く時でさえも、物語を説明的に描くことはしない画家だが、ここでも独自の解釈が加えられている。それが、ダヴィデの塔や古いエルサレムの城壁が映し出された太陽とおぼしき円形と、そこから下界に飛び込む天使の姿である。頭から勢いよくダイブしているこの天使は、神の祝福を人々に伝えるために天界から下りてきたと考えられ、画面に不思議な非現実感を与えている。

 1930年、画商のアンブロワーズ・ヴォラールから『聖書』の挿絵を依頼された翌年、シャガールは取材も兼ね、愛妻ベラと15歳になっていた娘のイダとともに、初めて聖地エルサレムを訪れた。

 シャガールの多くの作品にモデルとして登場するベラは、彼と同じヴィテブスク出身の女性である。ユダヤ人同士であっても、裕福な宝石商の娘と貧乏画家のカップルであったことから、周囲の反対を押し切っての結婚であったが、シャガールが妻を描いた数々の傑作が、ふたりの愛の絆の強さを物語っていよう。

「わたしたちの大地の上に足を踏み下ろした瞬間、わたしはユダヤ主義との、まっすぐで、強いつながりを感じた」

パリのアトリエで寄り添う、シャガールとベラ。1934年に撮影されたこの写真では、ふたりは幸せそうに見えるが、その前年には、マンハイムでシャガールの油彩画がナチスにより公衆の面前で燃やされるなど、確実に反ユダヤ主義が台頭していた。©Aflo

 ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」や「旧約聖書」に登場するラケルの墓なども見学した1931年のイスラエル旅行は、シャガール家にとって、ユダヤ人としてのアイデンティティを改めて確認するものとなったはずだ。だが、そんな精神の充足感とは裏腹に、現実世界ではホロコーストの危機が彼らに忍び寄っていた。

 ナチス・ドイツを率いるヒトラーが、ドイツ国首相となった1933年、マンハイムではシャガールの油彩画数点が公衆の面前で燃やされている。その後、シャガールはナチス・ドイツにより「退廃芸術家」の烙印を押され、彼の作品はドイツ中の美術館から撤去された。

 シャガール家は、1937年、家族でフランス国籍を取得していた。しかし、第二次世界大戦が勃発し、フランス政府も反ユダヤ主義を採択するに及んで、一家は国籍を剥奪されるかもしれないという問題に直面する。これによりフランスに踏みとどまっていた彼らは、1941年、約1400人ものユダヤ人を詰め込んだ小船に乗り、スペインからアメリカへ逃れたのだった。

 新天地では個展や仕事の依頼も殺到し、順風満帆の生活を送っていたシャガールだったが、3年後の1944年、最愛の妻ベラがウイルス性の感染症で急逝する。運ばれた病院がカトリック系で、ユダヤ教徒のベラが入院を拒否したとも、病院側がユダヤ人のベラの治療を拒否したとも言われ、現在も彼女が死に至った詳細は不明である。いずれにしても「ユダヤ人」であったことが、彼女の死因に大きく影響したことは確かだろう。

 シャガールが《聖書の光景》を描いたのは、それから約35年後のことである。本作を描きながら、シャガールはかつてベラやイダと行った、幸せなイスラエル旅行の日々を思い出すことはあったのだろうか? 聖書の物語と関係なく描かれた、ひと際輝くダヴィデの塔は、家族そろって見上げた思い出の塔だったのかもしれない。

マルク・シャガール / MARC CHAGALL (1887-1985)旧ロシア帝国ヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)のユダヤ人地区出身。1910年にパリに出て、エコール・ド・パリの画家として活躍した。その後、革命後のロシアで美術行政の要職についたが、再度パリへ。第二次世界大戦中はユダヤ人迫害から逃れてアメリカに渡り、戦後は南仏に定住した。故郷への追想や、ユダヤ特有のモチーフを、光溢れる豊かな色彩で表現した幻想的な画風で知られ、詩集や挿絵、ステンドグラスなども手がけた。代表作はパリ・オペラ座の天井画ほか多数。©Aflo

THE RAKE JAPAN EDITION issue 43

Contents

<本連載の過去記事は以下より>

今買える、世界の名画 Vol.01 マルク・シャガール

今買える、世界の名画 Vol.02 ワシリー・カンディンスキー

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