MAGIC MAN: OLIVER MESSEL
魔法の男:オリヴァー・メッセル
May 2025

Oliver Messel / オリヴァー・メッセル1904年、英国ロンドン生まれ。20世紀を代表する舞台美術家で、幻想的で優雅なデザインを特徴とした。ロイヤル・バレエ『眠れる森の美女』(1946年)や映画『去年の夏 突然に』(1959年)で高く評価され、アカデミー賞にノミネートされた。1966年以降はカリブ海に移住し、セレブリティのために数々の邸宅を設計した。1978年没。
ギネスブックとビールで有名なギネス家の末裔であるジョージア・ファンショーは初めてのカリブ旅行を振り返りこう言った。
「1974年、私たちはマスティーク島にむかっていました。その途中、バルバドスのオリヴァー・メッセルの家に一泊しました。美しい庭で、キャンドルライトの中で夕食を取りました。頭上の枝にはサルが走り回っていました。食事の後、オリヴァーが突然、草むらの中から姿を現しました。彼は消えたり現れたりを繰り返しながら、さまざまな仮面や頭飾りをつけてヤシの木の間で踊っていました。それはとてもワクワクするものでしたが、少し不気味でもありました……」
オリヴァー・メッセルが、まるで道化師のように振る舞っていたのは、まさに彼らしい。彼は何十年にもわたり、舞台演出の達人として名を馳せ、オペラやバレエの衣装やセットを数え切れないほど手がけた。
特に1946年に初演され、その後も何度も再演されたロイヤル・バレエの『眠れる森の美女』は有名だ。ブロードウェイやハリウッドの舞台美術も担当した。映画『去年の夏 突然に』(キャサリン・ヘップバーンとエリザベス・テイラー主演、1959年)ではアカデミー賞にもノミネートされた。
ジョージア・ファンショーが彼と出会った頃には、建築家としても才能を開花させており、カリブ海のマスティーク島を訪れるセレブリティのために豪華な邸宅を20棟ほども設計・建築していた。メッセルのかつてのアシスタント、トム・カールスはこう言っている。
「彼はどこからともなく何かを取り出して、それを何かに変える術を持っていました。彼は何でもつくり出せたんです」
メッセル自身もこう語っている。
「できるだけ多くの魔法を生み出すために、あらゆる手法を試しました」

ロンドンの有名な邸宅デヴォンシャー・ハウスにオープンする新しいレストランのために、壁のパネルにドローイングするメッセル(1934年)。
メッセルは1904年、ロンドンで生まれた。その家系は豊かな文化的背景を持っていた。ファミリーには、父親のレナード・メッセル中佐をはじめ銀行家が多かった。一方で、大叔父アルフレッド・メッセルはベルリンのペルガモン博物館で知られるドイツを代表する建築家であり、また、祖父のリンリー・サンボーンは、風刺雑誌『パンチ』の主任政治漫画家であった。
メッセルの母モードは、現在は博物館として保存されているケンジントンの邸宅で育ち、そこでアンティークの磁器や18世紀の家具に囲まれて過ごした。彼女の境遇は俳優ヘンリー・アーヴィングや、作家オスカー・ワイルドといった、著名人の膝の上で遊ぶほど恵まれていた。
サセックスにあるメッセル家の邸宅は、世界各地の旅行で集められた織物や絵画、扇子のコレクションで彩られており、芸術への深い愛が家全体を満たしていた。
メッセルは背が高く、陰気で、やや放蕩児的な魅力を持つハンサムな男で、気性の荒い性格でも知られていた。一方、彼の妹アンは、白いクロシェ帽とパールを身に着けた上流階級のフラッパーで、後に写真家スノードン卿(アンソニー・アームストロング=ジョーンズ)の母親となった。
この兄妹はすぐに、戦間期の社交界でスター的な存在となった。彼らの派手な生活は、後に小説家イーヴリン・ウォーによって『ブライト・ヤング・シングス』(1930年)として描かれた。

バレエ『眠れる森の美女』のために自らデザインしたコスチュームをチェックするメッセル(1960年)。
夢の世界の作り手 メッセルは、素材を自在に操る魔術師として頭角を現した。粘着紙とヒューズワイヤーでシャンデリアを作ったり、パイプクリーナーでヘッドドレスを作ったりした。
甥であるスノードン卿は、子供の頃にメッセルのロンドンの庭で「宝物」を探すよう言われた思い出を語っている。そこで彼は、メッセルがピアノ線をねじって作った鳥の巣を見つけた。巣の中には磁器で作られた「卵」まで収められていたという。
メッセルはイートン校に通った後、大学には進学せず、代わりにスレード美術学校で絵画を学んだ。1958年にBBCの番組『Desert Island Discs 』(無人島へ持っていきたい道具を披露する内容)に出演した際、メッセルが選んだ品は「絵画の道具」だったことからも、芸術への愛情がうかがえる。
しかし、彼が注目を集めたのは絵画ではなく、学生レビューのために制作した調度品や蠟製の仮面だった。この仮面は1925年にクラリッジ・ギャラリーで展示され、演劇プロデューサーのチャールズ・B・コクランの目に留まる。

メッセルとガラスに描いた肖像画(1928年)。
メッセルの仮面は、1925年のバレエ・リュスの公演『ゼフィールとフローラ』(ジョルジュ・ブラックがデザインを手がけた)のダンサーたちを飾った。またロンドン・パビリオンでの年次レビュー(歌、スケッチ、寸劇)では、衣装や背景のデザインを担当し、即興的なアイデアと完璧主義の両方で評判を得た。
「オリヴァーは予算を、ほとんど無視していました」と、トム・カールスは振り返っている。
「彼は素材に対して非常に細かいこだわりを持っていました。例えば『本物のシルクは使えません』と言われても、代わりに提案された質の低い素材には断固抵抗し、結局は必ず彼の要求が通るのでした」
THE RAKE JAPAN EDITION issue 62