The Rakish ART ROOM Vol.14

貴殿も世界の名画オーナーに!
坂本繁二郎

May 2021

text setsuko kitani
cooperation mizoe art gallery

《厩の母仔馬》42歳のときにフランスより帰国し、その後の人生を、ほぼ筑後の八女で過ごした坂本は、1930(昭和5)年、48歳頃から本格的に馬の絵を描き始めた。1930年代をほぼ馬の作品に費やしたといえるほど馬を描き続けた彼について、「よく飽きもせず馬ばかり描いていられるものだ」と言う者もあったが、坂本は「同じテーマを描き続けて内容が限りなく進展するようなら、むしろ画家としては誇り」と考えていた。馬の親子を描いた「母仔馬」も、1930年に馬の連作の最初の作品として描いて以来、坂本が何度も描いたテーマである。《厩の母仔馬》1939年、キャンバスに油彩 38.1×45.4cm(F8号)¥60,000,000(税込価格)
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 今でこそ馬の産地といえば北海道が群を抜いた存在となっているが、戦前には軍馬の一大生産地だった阿蘇や、駅馬の放牧地と知られた雲仙など、九州は馬の名産地として活況を呈していた。

 1924(大正13)年、約3年間のフランス留学を終え帰国した坂本繁二郎は、中央画壇での活躍を期待する周囲の声に応えることなく、家族の待つ故郷久留米に戻り、その後は八女に移って亡くなるまでここで制作した。この帰国後から10年以上にわたって坂本が夢中になったのが、馬を描くことである。

「馬の産地が近く見聞に便なのと面白いのとでつい馬斗り描くことになって居る」(「作家のことば」『美術』12巻10号、1937年10月)、「此頃は主として阿蘇山其他の牧場の写生を土台として描いています」(『みづゑ』(332号、1932年10月)などと書いているように、彼は久留米近郊や阿蘇や雲仙の放牧場に足繁く通っては、馬を描いた。「馬の坂本」と言われた彼のモチーフは、九州という土地と分かちがたく結びついていた。

 坂本と郷土との関係を語る際、もうひとつ欠かせないのが、株式会社ブリヂストンの創業者・石橋正二郎との関係である。20歳前後、坂本は久留米高等小学校で図画の代用教員をしていたことがあったが、このとき、彼から美術を習ったのが、11歳頃の石橋少年だった。

 それから20数年後、フランスから久留米に帰ってきた坂本は、かつての教え子で、いよいよ国産タイヤの会社を起こそうとしていた石橋に言うのである。

「同じ久留米出身の青木繁は日本が生んだ天才画家で多くの傑作を残しているのに、作品が散逸したままで惜しい。だから君が青木の作品を買い集めて、小さな美術館を建ててくれないか?」

 もともと洋画好きだった石橋は、坂本の意を受け、わずか10年あまりで青木繁の傑作《海の幸》を含めた代表作を数十点収集する。そしてこの青木作品の収集をきっかけに、石橋は日本近代絵画から西洋美術へとコレクションの幅を広げていき、やがて決して小さくはない日本を代表するブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館/東京)と旧石橋美術館(久留米)を設立した。質量ともに日本有数のコレクションを誇るアーティゾン美術館は、かつて青春をともにした青木繁に対する、坂本の特別な思いから生まれたといっても過言ではないのである。

本記事は2021年5月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 40

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Contents

<本連載の過去記事は以下より>

今買える、世界の名画 Vol.01 マルク・シャガール

今買える、世界の名画 Vol.02 ワシリー・カンディンスキー

今買える、世界の名画 Vol.03 モイーズ・キスリング

今買える、世界の名画 Vol.04 アンリ・マティス

今買える、世界の名画 Vol.05 パブロ・ピカソ

今買える、世界の名画 Vol.06 アルベルト・ジャコメッティ

今買える、世界の名画 Vol.07 クロード・モネ

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マルク・シャガール《聖書の光景》