August 2021

AMAZING GRACE

アメイジング グレース・ジョーンズ

グレイス・ビバリー・ジョーンズは、過去半世紀の間、大衆に驚きと興奮と困惑を与えてきた。
そして彼女は、今は70代になり、孫もいるが、いまだに唯一無二の存在であり、その伝説は続いている。
text nick scott

Grace Jones / グレイス・ジョーンズ1948年、ジャマイカ生まれ。65年にニューヨークへ移住し、モデルとして活躍。アンディ・ウォーホルと親交を深める。1980年代には、ミュージシャンとしても活躍、『プライベートライフ』(1980年)など、数々のヒットを飛ばす。また俳優としても『007美しき獲物たち』(1985年)をはじめ多くの映画に出演する。時代を先取りするセンスは、多くのアーティストに影響を与えた。

写真はスタジオ54でのパフォーマンス(1980年)。

 グレイス・ジョーンズはさまざまな文化と未来の象徴だった。彼女のスタイル、アイデンティティ、クリエイティビティは、時代の何十年も先を行っていた。国や性別、人種などの固定観念を超えて、音楽、ファッション、映画、そして自分自身の人生を舞台にして、絶え間ないパフォーマンスを展開してきた。1980年代を代表するアーティストで、時代を超越した先見性を持ち、オリジナリティあふれる作品で、“最先端”を人々に紹介してきた。グレイスはジャマイカで生まれた。地元の政治家であり、聖職者でもあったロバート・W・ジョーンズとマージョリーの三女だった。生まれ年は、1948年もしくは1952年ということになっている(どの説を信じるかによる)。ロバートの仕事のために、両親がアメリカ東海岸に引っ越すと、子供たちはマージョリーの母とその若い後夫のピアートに預けられることになった。ピアートには虐待癖があり、グレイスは彼のことが大嫌いだった。

 13歳の時、グレイスは兄弟と一緒にニューヨークのシラキュース地区に引っ越した。ティーンエイジャーになったグレイスは両親の宗教観に反発し、弟のクリスとゲイクラブに通うようになる。大学の演劇ツアーの一環としてフィラデルフィアに行き、ヒッピーのコミューンに入り、ムチを振り回すゴーゴーダンサーとして働き、LSDを服用し、一時はヌーディストとして生活していた。

 18歳の時にニューヨークに戻り、モデル・エージェンシーのウィルヘルミーナと契約し、本格的にファッションの世界に入った。1970年にパリに移り住んだ彼女は、あるエージェントから「パリで黒人モデルを売るのは、誰も買おうとしない古い車を売るようなものだ」といわれた。

 しかしグレイスは、それが間違いであることを証明した。彼女はイヴ・サンローランやケンゾーのランウェイ・モデルに採用され、エルやヴォーグの表紙を飾り、ファッション界を席巻した。ジェリー・ホールやジェシカ・ラングとルームシェアをしていた彼女は、ヨーロッパのディスコ文化の震源地であった“ル・セット”に出入りし、ジョルジオ・アルマーニやカール・ラガーフェルドと親交を深めた。

 ファッション界の“トーテム的存在”となったグレイスは、今度は音楽界に進出した。1977年にアイランド・レコードと契約を結び、エディット・ピアフの『ラ・ヴィ・アン・ローズ』を、クラブ・バージョンとしてカバーした。この曲はアンディ・ウォーホルが主宰するパーティを中心とした、ニューヨークのディスコ・シーンにとって完璧な一曲だった。

 グレイスはミュージック・シーンでも寵児となった。息子のパウロを妊娠した時には、ウォーホルとブロンディのデボラ・ハリーがスタジオ54でベビー・シャワーを開いた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 40
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