August 2020

THE LOVELIEST JOKE

ボンドのモデルとなった英国俳優

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 ニーヴンはそれからも、『80日間世界一周』(1956年)や『ママは腕まくり』(1960年)をはじめとするヒット映画に恵まれた。しかし彼は、自分の持ち味である快活さが、生々しいリアリズムへと軸足を移しつつあるハリウッドに合わなくなっていることを感じていた。不発に終わった映画『寝室ものがたり』(1964年)でマーロン・ブランドと共演していた時期に、ニーヴンがブランドを「誰よりも忍び笑いする役者」と評したことは多くを物語っている。60年代初期、ニーヴンはふたりの養女も加わった家族でひっそりとヨーロッパに戻り、まずはスイスで暮らしたのち、南仏フェラ岬にある古くて巨大な屋敷に移り住んだのだった。

 ニーヴンは『ピンクの豹』(1963年)や『ナイル殺人事件』(1978年)といった映画に出演したが、その頃彼はトーク番組にも数多く出演した。「お役ご免になったケーリー・グラント」と名乗るのがお気に入りで、昔と変わらず眉をつり上げて自嘲気味に瞳を輝かせながら、自身の回顧録で取り上げた逸話の数々を大いに誇張しながら語ってみせた。

「デヴィッド・ニーヴンよりイギリス人らしい人物はいただろうか」。ニーヴンが1983年に筋萎縮性側索硬化症で亡くなったとき、新聞記者のひとりはこう問いかけた。塹壕(ざんごう)にいるときも、華やかなハリウッドにいるときも、攻撃に動じることのないイギリスの精神を体現したのはまさしくニーヴンである。答えは言うまでもなく、朗々たる「ノー」だ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 35
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