June 2022

THE PRESIDENT THAT NEVER WAS

悲劇のJFKジュニア

もし彼が生きていたら、21世紀はどうなっていただろうか。
もちろんあり得ない話なのだが、ジョン・F・ケネディ・ジュニアがアメリカの救世主になるという想像は、今でも消えない。
text stuart husband

John Fitzgerald Kennedy, Jr. / ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア1960年、父が大統領に選出されてから2週間半後に生まれる。ブラウン大学卒業後、ニューヨーク大学ロースクールで法律学の学位を受け、その後ニューヨーク州地方検事補に。退任後の1995年には、ライフスタイル雑誌『George』を創刊。容姿端麗でありアメリカにおける若きプリンスとして常にメディアから注目されていたが、1999年7月、飛行機事故により38歳の若さでこの世を去った。

 少し前、陰謀論Qアノンの信奉者たちの間で話題となった噂があった。1999年に起きたジョン・F・ケネディ・ジュニアの飛行機事故による死は偽装されたもので、実は彼は生存しており、間もなく(2020年の)選挙でドナルド・トランプ政権の副大統領候補に指名される、というものだ。中には、Qアノン指導者はJFKジュニアだというものまであった。

 ワシントンのピザ屋に小児性愛と児童買春の拠点が存在し、「ディープ・ステート(闇の政府)」を運営している、といったような明らかなデマがまかり通る中、この噂だけは比較的もっともらしさを残していただけでなく、ある種アメリカに救世主の出現を切望する心理に入り込む要素があった。トランプの“陽”に対する“陰”の部分と言えるかもしれない。

 いずれにせよ、とてつもなくハンサムで悲劇を背負っていたJFKジュニアは、アメリカが抱いていた正真正銘の王位継承者のイメージに最も近かったし、当時彼はその役割を明確に求められていた。

 JFKジュニアが世間の注目を浴びながら育ったのは当然だった。父が1960年の大統領選挙で勝利した2週間半後に誕生し、1893年以降で初めてホワイトハウスに住んだ赤ん坊である。その後、彼は2枚の写真によって国民の記憶に強く残ることになる。1枚は、『ライフ』誌に掲載された、大統領執務室の机の下で遊ぶ幼いジョンと、それを優しく見つめる父の姿。もう1枚は彼の3歳の誕生日のもので、ワシントンのセント・マシュー大聖堂の外で父の棺に敬礼する姿である。新聞各社は彼を「ジョン・ジョン」という愛称で呼んだ。

1963年、故ジョン・F・ケネディ大統領の棺がワシントンのセント・マシュー大聖堂から運び出される際に、父の棺に敬礼するJFKジュニア。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 44
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