August 2020

THE LOVELIEST JOKE

ボンドのモデルとなった英国俳優

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『突撃爆撃隊』(1938年)のプレミア上映会で、エロール・フリン(中央左)、デヴィッド・ニーヴン(中央右)、オリヴィア・デ・ハヴィランド(右)。

応召した初のハリウッドスター この気ままな生活に突如水を差したのは、ニーヴンが「大陸をまたいだ愚行」と呼んだ事態だった。1939年にイギリスがドイツに対して宣戦布告した翌日、彼は軍に入隊すべく帰国したのだ。彼はこの選択をした最初のイギリス人ハリウッドスターであった。29歳だった彼は、空軍に入るには年齢が行き過ぎていると言われ、最終的にファントムという奇襲部隊で中佐に就任した。ディッチリー・パークでのディナーの席では、ウィンストン・チャーチルに出会っている。チャーチルは咳払いし、「将来有望なキャリアを断念して戦いに加わった君は立派だ。もしそうしていなければ、君の選択は見下げ果てたものになっていただろうね」と言った。また、当時海軍情報部にいたイアン・フレミングにもここで出会っている。ちなみにフレミングはその後、ニーヴンをジェームズ・ボンド役の第1候補に挙げる(ボンドを創作する際、彼をイメージして書いたともいわれている)のだが、彼がようやくボンドを演じたのは、成功を約束された『007 /カジノ・ロワイヤル』(1967年)でのことだった。

 ニーヴンはプリムラ・ロロという空軍婦人補助部隊員にも出会い、10日間という戦時中の慌ただしい交際期間を経て彼女と結婚した。ノルマンディー上陸作戦後、ニーヴンは借りた自転車に乗って解放されたパリのシャンゼリゼ通りを悠々と走り、群衆から拍手喝采を浴びたが、その後ライン川を渡ってドイツの荒れ果てた姿を目にすると、「勝ち誇った気持ちを微塵も持てなくなった」という。

 第二次世界大戦後にハリウッドに戻ったニーヴンは、自身の代表作となる映画に多数出演した。『天国への階段』(1946年)では、生と死の間をさまよう飛行兵を演じ、『悲しみよこんにちは』(1958年)ではプレイボーイに扮した。洗練された雰囲気は憂いまでも帯びるようになっていたが、それは戦時中の体験だけでなく、個人的な悲劇にも起因していた。1946年、妻プリムラがパーティーで階段から転落するという奇妙な事故に遭い、28歳で亡くなったのだ。しかし数年後、ニーヴンはスウェーデン人モデルのジョルディス・テスメデンと出会う。この出会いについて彼は、「フランス人は“coup de foudre(落雷、一目ぼれ)”と言うが、まさに言い得て妙だ」と記している。そしてまたしても10日間という交際期間を経て結婚した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 35
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