May 2022

THE FIRST AND LAST GENTLEMAN

最初で最後のジェントルマン、エディンバラ公爵フィリップ殿下

text stuart husband

フランク・シナトラとエヴァ・ガードナーに話しかける姿。

 フィリップ殿下の血筋は、本人の心理面と同様、かなり複雑に入り組んでいる。1921年、ギリシャのコルフ島で、グリュックスブルク家のアンドレアス王子の一人息子として誕生。ギリシャの王位継承権は第6位だったが、実際にはこの一家は19世紀にギリシャ統治者として設置されたデンマーク王室の分枝だった。エリザベスと同じく、ヴィクトリア女王の玄孫にあたる。誕生の翌年、ギリシャのクーデターによって王家が倒されると、一家はパリに亡命した。フィリップ殿下の第一言語は英国人の乳母から教わった英語だったため、スコットランドのゴードンストウン校へ送られ、質素で厳格な生活の中すくすくと成長した。校長のクルト・ハーンは学生時代の殿下について、「快活で利発」「細かいことまでよく気がつき、非常に手先が器用」「些細な出来事からも大きな楽しみを引き出す能力がある」と評しており、それは数十年後も語り草となっている。

 1939年、フィリップ殿下はデヴォンのダートマスにある王立海軍兵学校をクラスの主席で卒業し、最優秀士官候補生を含む数々の褒賞を受けた。第二次世界大戦中は世界各地で任務に当たり、地中海では英国艦隊によるイタリアの小艦隊撃破を支援、東京湾では日本の降伏を見届けた。元グレナディア・ガーズ(近衛歩兵連隊)で殿下の侍従として長年仕えたリッチ・ハットンはこう語っている。

「殿下は超一流の軍人。海軍にものすごい情熱を注いでいました。軍に残っていたら元帥にまで上り詰めていたかもしれません。また、殿下は将軍と戦略を話し合うことと同じくらい、歩兵たちの日々の関心事にも興味を持っていました」

 フィリップ殿下がいつどこでエリザベス王女と出会ったのかは定かではないが、王女が13歳のときに王室のヨットでの食事に招かれたことや、休暇で海軍を離れていた頃にウィンザー城での滞在に招かれたことは一般的に知られている。その後、ある週末にバルモラル城でふたりの婚約が交わされるが、それは王女が父王に、あの颯爽とした若き海軍士官こそが「私が愛せるただひとりの男性」と告げたからだと言われている。ふたりの絆は長い年月をかけて強まったようだ。『タイムズ』紙の記事によれば、2021年1月に*サンドリンガムを訪れたある人が暖炉のそばで女王と座っていると、女王が突然立ち上がってこう言った。

「見て、フィリップがそこにいるわ。4頭立ての馬車をまた操っているのよ…… 雪の中で!」。その言葉には「この上ない愛情がこもっていた」という。

*サンドリンガム = 英国王室所有の別邸「サンドリンガム・ハウス」があり、クリスマスシーズンにエリザベス女王が家族と過ごす休暇地として使用されている。

戴冠式後、宮殿のバルコニーから手を振る。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 43
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