Friday, September 13th, 2019

COMING TO AMERICA

ニューヨークの華麗なる亡命者たち

text nick foulkes

ネコ風のマスクを着けたフランク・シナトラとミア・ファロー。

 だがこれは、作家としての凋落の始まりでもあった。これ以降は一度も長編をものにできず、上流社会の裏側を描いた小説『叶えられた祈り』は未完に終わった。ジェットセッター時代のプルーストになるという壮大な野望は、ついに叶わなかったのだ。

“ディスコ”が大流行 新世代のジェットセッターは、生バンドではなく、録音された音楽に合わせてダンスに興じるという、ヨーロッパの最新の流行も持ち込んだ。ディスコである。

「プライベートジェットが着陸するやいなや、彼らは“ランテルディ”や“ル・クラブ”といったディスコに直行した」とウォーホルは語っている。

 この頃から「パリのダンスクラブがディスコと呼ばれ始めた」と彼は話しており、50年代初頭のパリにあった小さなナイトクラブ、タータンチェック柄の壁とレコードプレーヤーをしつらえた“ウィスキー・ア・ゴーゴー”がディスコの草分けだという。

 一方で、ディスコ発祥の地はパリではなく、ニューヨークだという者もいる。(ギギ・カッシーニとファッションデザイナーである兄のオレグ・カッシーニが始めた)“クラブ・テン”のフランス人、オリヴィエ・コクランが生みの親らしい。オレグはこう回想している。

「細長い部屋に大きな暖炉とダイニングエリアを備え、75人ほど収納できるスペース、それにキッチンもあった。キッチンを仕切るフランス人のコクランは、料理やワインのセンスが抜群でね。金曜の夜は、ボストンからニューヨークまではるばるやってきては、このクラブに集まってよく飲んだし、土曜にはディナーの後に、ダンスを楽しんだものさ」

 この新しい業態で頭角を現したコクランは、カッシーニ兄弟と共同で東55番街に“ル・クラブ”を出店。淡いブルーの外壁の奥には、ヨーロッパ貴族風の豪華で退廃的な空間が広がっていたが、限られた人しか入れない店だった。

 ウォーホルによれば、そこは「オリヴィエ・コクランが自身の友人――ベッドフォード公爵やジャンニ・アニェッリ、ノエル・カワード、レックス・ハリソン、ダグラス・フェアバンクス・ジュニアなど、世界を股にかける遊び人たち――のためにやっている店だった」という。

スワン”のひとりであるリー・ラジヴィルと踊るカポーティ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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