Friday, March 6th, 2020

SISTERS OF PROVIDENCE

神の手に導かれた姉妹

特権を持って世間の注目を浴び、玉の輿に乗ったブーヴィエ姉妹の人生は、
現代へと続くセレブ文化の枠組みを定める存在となった。
text stuart husband
issue10

公演後にマンハッタンのアルヴィン劇場(現ニール・サイモン劇場)を去るリー・ラジウィルとジャクリーン・ケネディ(1970年)。

(左)Caroline Lee Bouvier Canfield Radziwill Ross / キャロライン・リー・ブーヴィエ・キャンフィールド・ラジヴィル・ロス
1933年生まれ。2度目となるスタニスラス・ラジウィルとの結婚生活でアリストテレス・オナシスと不倫関係になり結婚を考えたが、姉のジャッキーに奪われる形となった。姉以上の美しさでファッションアイコンとなり、多くの社交界に現れるソーシャライトとして活動した。

(右)Jacqueline Lee Bouvier Kennedy Onassis / ジャクリーン・リー・ブーヴィエ・ケネディ・オナシス
1929年生まれ。第35代アメリカ合衆国大統領となったジョン・F・ケネディ夫人として弱冠31歳でファーストレディに。夫ジョン、そして義弟のロバート・ケネディが暗殺されると、子供たちの安全に不安を抱え、出国を決意。1968年にアリストテレス・オナシスと再婚した。

父から学んだ男性との力関係 まるで富と権力を持つ男性を誘惑するよう訓練されていたかのようだった。ジャクリーン・リー・ブーヴィエ・ケネディ・オナシスと、キャロライン・リー・ブーヴィエ・キャンフィールド・ラジウィル・ロス。ふたりは米国内外の大衆を魅了した。彼女たちの手法は、セックステープやパパラッチの写真が氾濫する現代からみれば控えめだったが、それは彼女たちが生まれながらに持つ特性であった。

 ブーヴィエ家はフランス・カトリック系移民の第3世代だった。極めて階級意識の強い20年代のアメリカにおいて、一家は小売店主であった祖先を貴族の座に押し上げることが必要だと感じていた。

「姉妹がどうやってまんまとやり遂げたのかわからない」と語ったのは、ジャッキーとリーの親族で友人だった作家のゴア・ヴィダルだ。ふたりの母ジャネットは1942年にヴィダルの継父でスタンダード・オイルの相続人だったヒュー・D・オーキンクロスと再婚したのだ。「マスコミは、姉妹がどういうわけかプランタジネット家だとかチューダー家だという幻想を持ったが、ばかげていた。かなり卑しい生まれだったよ」。

 こうした作り話こそ、自分たちが特別な権威の化身であるかのような錯覚を姉妹にもたらした。ジャッキーとリーは、当初から社交界で「私たちはよそ者なの」と言って非凡な雰囲気をつくり上げていた。社交界の多数派に従うことなく、芸術家や社会のはみ出し者に対して親近感を与えることができたのだ。彼女たちは後にジョン・F・ケネディ、アリストテレス・オナシス、トルーマン・カポーティと密接なつながりを持つが、いずれも*ワスプとは到底呼べない男性だった。

*ワスプ(WASP)=White Anglo-Saxon Protestantの略語。アメリカ合衆国における白人エリート支配層の保守派を指す。

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当時の婚約者で、後にアメリカ合衆国大統領となるジョン・F・ケネディとヨットに乗るジャッキー(1953年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 31
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