September 2019

COMING TO AMERICA

ニューヨークの華麗なる亡命者たち

text nick foulkes

ボールに到着した仮装カップル。

 スーレの采配と異国情緒あふれるヨーロピアンな雰囲気のおかげで、ル・パヴィリオンは、国際派のたまり場となった。彼は1950年代になると、広告業界と組んでラッキーストライクを宣伝するような有名人になっていた。

「ラッキーは他のタバコとは違う。この違いが好きなんだ。フランスには“好みは人それぞれ”という古いことわざがある。私はラッキーを吸うよ。メルシーボクー」

 スーレはニューヨーク・レストラン界の大物となり、ラ・コート・バスク(ル・パヴィリオンの廉価版)も出店した。

 “ル”や“ラ”で始まるレストランには女性は手袋と帽子を着用するというドレスコードがあった。そして、こうした美食の殿堂の上席を確保できる人々は、この厳しいルールに嬉々として従った。

 独自のルールを持つ店もあった。例えば、ランチタイムのル・パヴィリオンでは、テーブルの半数がヘンリー・フォード2世やウィンザー家、ミリセント・ハーストといった常連のためにリザーブされており、午後1時半を過ぎてもテーブルの“オーナー”が現れなかった場合だけ、一般客に開放したという。
 
ジェットセッターの時代 一流シェフの顧客、つまりジェットセッターたちも、ヨーロッパから続々とやってきた。ちなみに“ジェットセッター”という呼び名を生み出したのは、亡命ロシア貴族の御曹司で、ゴシップ・コラムニストとして知られたギギ・カッシーニである。

 ジェット旅客機が誕生したのは50年代だが、本格的なジェット時代は、ノンストップで大西洋を横断する定期便が就航した58年からだった。これによりロンドンやパリでランチを取り、ニューヨークでディナーやダンスを楽しむことが可能になった。アンディ・ウォーホルは、次のように回想している。

「ジェット機の直行便が就航したおかげで、14時間かかっていた頃はヨーロッパから年に1回来ていた人々が、今や年に3~4回と頻繁に来るようになった。ニューヨークにアパートメントを購入する人も増えてきた」

傘を差してボールに到着したモデルのペネロペ・ツリー。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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