Friday, September 13th, 2019

COMING TO AMERICA
ニューヨークの華麗なる亡命者たち

第二次世界大戦の勃発は、ニューヨークにとって決定的な瞬間だった。
フランス革命以来、これほど多くの人々がヨーロッパから移り住んで来たことはなかった。
裕福でチャレンジ精神にあふれた、華やかな亡命者たちのおかげで、
ニューヨークは世界的なカルチャーの中心地になったのだ。
text nick foulkes

 当時の状況を語らせたら、やはりP・G・ウッドハウスの右に出る者はいない。
「ニューヨークは最高の亡命先だった。誰もが良くしてくれたし、いろんなことが起きているようだった。私にはたっぷり金があったから、何もかもうまくいったんだ」
 彼が1919年に発表した『それゆけ、ジーヴス』では、主人公のバーティー・ウースターがニューヨークへの愛を語っているが、これはウッドハウス自身の思いである。
 およそ100年前、英国生まれのユーモア小説家は、ブロードウェイで脚本家としてヒットを飛ばしており、彼の舞台には観客が詰め掛けていた。そこで、ニューヨークが彼の遊び場になったのである。
 それまで旧世界にとってのニューヨークは、欧州の結婚市場に欠かせない女相続人たちの輸入元であり、貧困層の輸出先にすぎなかった。だがウッドハウスはニューヨークが気に入り、この街で暮らす英国人の代表格となった。
 もっとも、大勢のヨーロッパ人がウッドハウスの見解を実体験するまでには、さらに20年を要し、第二次世界大戦の勃発を待たなければならなかった。
 マイケル&アリアン・バターベリーは、ニューヨーク社交界に関する著作で「第二次世界大戦によって母国を追われた無数のヨーロッパ人がアメリカに亡命してきた」と述べている。
「フランス革命以来、才能豊かで裕福で教養のある亡命者が、この街にこれほど集まった時期はない。異国の地に芸術家、貴族、教師、銀行家といった名士たちが結集し、文明を再現した。彼らはニューヨークのステイタスを大いに高め、この街はカルチャーの中心地になった」

未来からやってきた街

 ふたつの世界大戦の間にはジャスエイジ、禁酒法時代、ウォール街の大暴落、そして世界恐慌があった。その一方で、ランドマークとなるふたつのタワー(クライスラー・ビルとエンパイア・ステート・ビル)が出現していた。
 ニューヨークはまさに未来そのもので、訪れる者を驚かせた。射撃やスキーの名手で、国王を名付け親に持ち、5カ国語を操る男、プリンス・アルフォンソ・フォン・ホーエンローエでさえ例外ではなく、殺伐とした戦時下のヨーロッパと、対照的な街の様子に圧倒されたという。
「何でも揃う店がひしめく五番街を歩くのは、天国に行くようなものだった」と彼から聞いたことがある。
 19世紀~20世紀初頭には、ヨーロッパの農民が窮乏生活や虐殺から逃れ、より良い暮らしを求めて渡ってきたが、今度は旧世界で彼らの領主であった支配階級がやってきた。貧しい人々が3等客室に乗り込んで大西洋を渡ってくる一方で、もっと華やかな亡命者たちがいたのである。
 若きアルフォンソ・フォン・ホーエンローエは、20歳そこそこでありながら、ビスポークスーツのポケットに入れた1万ドルを、ニューヨークの2大ナイトクラブ、“ストーク・クラブ”と“エル・モロッコ”でばらまいた。
 酒密売人あがりのシャーマン・ビリングスリーがオーナーを務めたストークのロゴは、シルクハットをかぶったコウノトリ(ストーク)。クラブにはルーズベルト家やケネディ家の面々からブロードウェイのスター、デビュタントまで、富や権力、美貌に恵まれた人々が集まった。
 一方、かつてジョン・ペローナの名でもぐり酒場を経営していた人物がオーナーのエル・モロッコは、52丁目にあり、一般大衆にも知られていた。特徴的な白と青のゼブラプリントをあしらったバンケットを背景に、社交界の有名人たちが写真に撮られていたからだ。
「女優のディートリヒはヨーロッパから帰ってくると必ず立ち寄ってくれました」と語るのは、エル・モロッコのマネージャーだったジェローム・ザーブ。
「彼女自身が語っていたように、戻ってきたことを世間に知らせるには、ここで写真を撮られるのが、一番手っ取り早かったのです」
 戦火が広がると、ヨーロッパでビジネスを展開していた創業者一族も、身の安全を求めてニューヨークの摩天楼に押し寄せた。例えば、ヴァン クリーフ&アーペルを創業したアーペル家(ユダヤ系)はパリからニューヨークに逃れ、五番街に支店を開いた。当初は亡命中の事業として始めたのかもしれないが、これが結果的に大成功し、一流ジュエラーとして揺るぎない地位を確立した。

トルーマン・カポーティが主催した伝説の仮面舞踏会“ブラック&ホワイト ボール”で踊る人々(ニューヨークのプラザホテルにて、1966年)

ストーク・クラブで食事するヘミングウェイ夫婦とクーパー夫婦(1950年頃)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
1 2 3 4 5

Contents