Saturday, November 5th, 2016

COSTUME DRAMA
謎の大富豪が主催した仮面舞踏会

1951年9月3日。モラルの欠如したそのパーティは歴史に残るものとなった。
ホストを務めたのは、ドン・カルロス・デ・ベイステギ。
巨万の富を使って戦争と犠牲という現実を寄せつけまいとした、評判高き審美眼を持つ男だった。
text nick foulkes

 どちらも世紀のパーティに違いないが、共通点はほとんど見当たらない。トルーマン・カポーティもドン・カルロス・デ・ベイステギも決して背が高い男ではなかったが、唯一類似点をあげるとすれば、せいぜいその高くない身長くらいだ。
 ニューヨークのプラザ・ホテルで開催されたトルーマンの「黒と白の舞踏会」は、小説家として早くから期待されていた彼が開いたパーティで、現代のセレブリティ・パーティの見本となった。一方、1951年にヴェネチアで開かれたベイステギの舞踏会は、全く様相の異なるもので、当時最高に審美眼のある彼が開いた異様なパーティだった。

莫大な金とセンスを持つ男

 カルロス・デ・ベイステギは国際的富豪の一人で、第二次世界大戦とジェット族時代の始まりに挟まれた数年間、ヨーロッパの上流生活を支配していた。こうした富豪たちは、20世紀半ばのヨーロッパに、金の潮流に乗って颯爽と入ってきた人たちである。中南米労働者のおかげで得た富をヨーロッパに持ち込み、粋に気前よく浪費したのだった。
 ベイステギはメキシコ人として生まれたが、その地に足を踏み入れたことは一度もなかった。彼の祖父母が1867年に皇帝マキシミリアンが処刑された後、メキシコの地を離れたからだ。彼は1895年にパリで生まれ、その後イギリスのイートン校で教育を受けた。異国情緒溢れる起源にさらに国際色を加えたのは、スペイン国王が彼の母にスペイン国籍を取るよう説得したという出来事だった。父はマドリード駐在のメキシコ大使だったが、スペインがメキシコを数百年前に発見したという理由から、根底では未だメキシコのことをスペイン領土であると考えていたことによる。ベイステギは、自分のことをフランスに住む英国人だと思い込んでいるメキシコ人だった。
 1920年代、彼はパリで噂の的だった。シャンゼリゼ通りにあるアパートメントは、モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジェによるもので、彫像や鏡、クリスタル製の燭台や骨董品、宝石が飾られた幻想的世界だった。しかしなにより訪問者が愕然としたのは、テラスだった。暖炉を備えた、オープンエアの応接間を作ったのだ。イギリスの写真家、セシル・ビートンは、驚きを隠せなかった。
「らせん階段の先にあるボタンを押すと、ガラスの壁が後退し、シャンゼリゼを見渡せるテラスが現れた。芝生のカーペットの上には、ルイ15世時代のロココ調家具が備わっていた。誰もこんなテラスを見たことがないだろう」
 現代なら、ベイステギはインテリアデザイナーやスタイリストと称されるだろう。ビートンは彼を「優れた模倣者」と称したが、それ以上の才能があったことは間違いない。絵を描くこともできたし、詩を書くこともできた。なにより溢れ出るほどの豊かなセンスがあった。そこに自己中心的な性格と裕福な富が加わり、彼の審美眼を形作ったのだ。1939年には、パリから1時間ほどのところにあるグルッセー城を購入したが、この城と比べれば、シャンゼリゼ通りの部屋は単なるお子様向けの作品に過ぎなかった。

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ラビア宮殿での、ゲストたちの記念写真。クレオパトラに扮したダイアナ・クーパーと、アントニウスに扮したカブロル男爵が写っている。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 08
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