WHEN TO PROVOKE IS TO LIVE
唾棄すべきもの、そしてフランスの宝
July 2019
“バンブー”の名で知られた3人目の妻、カロリーヌ・パウルスと(1990年)。
ゲンズブールは2度の心臓発作に見舞われた。1度目は1973年に起きた。バーキンは次のように語っている。「アメリカンホスピタルへ運ばれる最中に、彼は自分のエルメスの毛布を持っていくと言い張った。担架にあった毛布が気に入らなかったから。それと2カートンのジタンを急いで手に取っていたわ」
晩年の20年間も、彼は相変わらずセンセーショナルな存在だった。13歳の娘シャルロットと近親相姦を連想させる『レモン・インセスト』というデュエットをレコーディングしたり、テレビの生放送中に23歳のホイットニー・ヒューストンに対して「抱きたい」と発言したり……。
1991年、あと1カ月で63歳になるはずのゲンズブールが2度目の心臓発作でこの世を去ったときは、その死を嘆き悲しむ声で溢れかえった。当時のフランス大統領、フランソワ・ミッテランも「私たちのアポリネール……彼はポップスを芸術にまで高めた」と彼を称えた。
ゲンズブールが暮らした、パリ左岸地区のヴェルヌイユ通り5番地の2に立つ落書きだらけの小さな家は、彼が去ったときのまま残されている。黒いフェルト貼りの壁も、そこかしこに置かれた灰皿もそのままだ。カクテルシェーカーとグラスの置かれた黒いラッカー仕上げのカウンターも、玄関のクローゼットにしまわれたピンストライプのスーツも、鏡張りの寝室にあるミンクの毛皮をまとわせたベッドも当時のままだ。来場者は、彼のモットーを表す名曲『ラ・デカダンス』をスピーカーでいつでも再生できる。