Sunday, November 22nd, 2015

Top of the World
トップ・オブ・ザ・ワールド

1960年代から70年代にかけて、黄金期にあったスイスのサン・モリッツは、国際派の
ジェット族にとって楽園のような冬のリゾート地だった。彼らの社交場となったのが、
親しみを込めて“ザ・パレス(宮殿)”とも呼ばれたバドルッツ・パレス・ホテルだった。
text nick foulkes

毎晩がパーティ サン・モリッツとホテル、ザ・パレスには、会員制クラブの雰囲気が漂っていた。国際派の人々が思うまま自由に生きられる感覚があった。サン・モリッツで起きたことは、サン・モリッツの中でしか知られることはなかった。
「ザ・パレスにはあの雰囲気のすべてがあったわ」と、ジャクリーン・ド・リブは懐かしむ。彼女は、年1回開催されるコルヴィリア・スキークラブのグラマーガール・コンテストで、1951年に優勝した女性だ。
「まるで皆が楽しめる内輪だけの大規模なパーティのようだった。下の階にはナイトクラブが、上の階にはバーがあり、上でも下でも音楽が鳴り響いていた。誰もが舞踏室やバー、グリルルーム、あるいはホテル全体で、プライベートなパーティを開いたものよ。ジャンニ・アニェッリ、アルトゥーロ・ロペス、アレクシス・ド・ルデ、テオ・ロッシなど、名士ぞろいだった。私たちはホテルをいっぱいにして、楽しい時間を過ごしたわ。クレイジーな振る舞いをしても、外部の人に知られることはなかったから。めかし込んだり、テーブルの上で踊ったりと何でもできたのよ」
 特に印象的だったあるパーティは、主催者の付き人の声とともに始まった(当時はまだ、アレクシス・ド・ルデ、アニェッリ家、ギー・ド・ロスチャイルドといった人々は、使用人を同伴して旅をする時代だった)。
 朝の6時半に、付き人はホテル内を巡って滞在客を起こし、チェーザ・ヴェリアで開かれるパーティに「そのままのお召し物でお越しください」と呼びかけた。まだベッドで眠っていた者たちは、パジャマやネグリジェ、ガウンでやってきた。一方、夜通しお祭り騒ぎをしていた人々はイブニングドレスを着たままだったし、スポーツ好きの男女はスキーウェアで参加した。
 そんな彼らを待っていたのは、アメリカのケチャップ業界に君臨するハインツ家の人々だった。彼らはまるで、昔の絶対君主が起床直後に行った接見会のように、レストランに運び込まれたベッドに横たわった状態で招待客に挨拶した。「あれはたまらなく愉快だった」と、当時のサン・モリッツで社交界の名士として知られたある人物は回想する。
「まだパパラッチもいない時代だったからね。2~3週間に一度は、誰かが盛大なパーティを開いた。それが決まって仮装パーティでね。あれは現実離れした散財と道楽の時間だった。マレーネ・ディートリッヒが来て歌った。有名女優たちの姿もあった。素敵な人柄のソラヤ王妃もいた(彼女の夫であるイラン国王はサン・モリッツの常連だった)。もしパパラッチがいたら無理だったろうね」
 別の滞在客は、「ザ・パレスはイタリアの貴族でごった返している」と興奮気味に記している。
「ギリシャの大物実業家、イングランドの名家出身の男女、スペインの紳士、チリの貴族。若者、老人、社交界に入ろうとする野心家、王座を約束された人物など、あらゆる人々が一堂に集まっている。ザ・パレスにいる彼らの唯一の共通点は、懐具合だ」
 この「社会的差異をなくす」という特徴こそ、サン・モリッツが新興富裕層に人気を博した理由だった。サン・モリッツで何度となく冬を過ごしたクラウス・フォン・ビューローは次のように解説する。「新興富裕層にとって、パリやロンドンのような主要都市で既成の体制に割り込むことはかなり難しいが、アルプスの高級ホテルなら話は別だ。ただし、2週間に1回はチェーザ・ヴェリアを借り切って、キャビア・パーティを開かなくちゃならないがね。パーティ会場はボウリング場でもいい。あそこでは億万長者たちが、10本のピンを目がけて球を投げるのに夢中になっているよ」(ボウリング場はこの時代に一大ブームとなった)

サン・モリッツの無冠の女王 ここでは、新しい世界秩序を代表する産業界の有力者らが、古い歴史を持つ貴族と対等の立場で付き合っていた。そんな中、生まれながらの男爵でありながら、ビジネスでも成功したハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッサは、新旧の両世界を体現する存在として、夫人とともにサン・モリッツに君臨した。
 当時のハイニは、フィオーナ・キャンベル=ウォルターを3番目の妻に迎えていた。元ファッションモデルである彼女は息を呑むほど美しく、プリンス・アルフォンソ・フォン・ホーエンローエをして「サン・モリッツの無冠の女王」といわしめた。
 その無冠の女王の御料馬車とも言うべき愛車が、コンバーチブル型のBMWだった。1966年2月、その愛車が1台のベントレーと激突して大破したとき、彼女は大いに機嫌を損ねた。ベントレーの所有者は、英国の名門貴族の御曹司で、プレイボーイとして鳴らしたリチャード・ロッテスリーだった。
 ほどなくして、ザ・パレスのナイトクラブを訪れていた彼女は、プリンス・アルフォンソ・フォン・ホーエンローエにばったり会った。その夜のことを、プリンスは数十年後にこう回想している。
「『私のこと、お好き?』と、じゃれつくように彼女は尋ねた。『敬愛しているとも』と私は答えた。『バーの隅に、3人のチンピラと一緒に座っている男がいるでしょう? あれが私の大切なBMWをメチャクチャにしたロッテスリー卿よ。借りを返してやりたいの。外に彼の大きなグレイのベントレーが止めてあるわ。何とかしてちょうだい!』
 そこで私は体格の良いスキーのインストラクターを2~3人伴って、上品なパールグレイのベントレーと対面した。新雪の中に駐車してあるベントレーは、ひときわ美しく見えた。私は車をエイヤと持ち上げ、ひっくり返した。ベントレーの屋根は雪に埋もれ、車輪は天を向いた。仕事を終えた私は、服に付いた雪を払い落としてクラブへ戻ると、フィオーナに行って見てくるよう促した」
 プリンス曰く、戻ってきた彼女は「まさに喜色満面だった」という。この悪戯はロンドンの各紙で大きく報じられ、ロッテスリーは物笑いの種になった。彼もイギリスの首都では大物かもしれないが、サン・モリッツでフィオーナ・ティッセンを怒らせれば、ただでは済まないということを知らしめた。

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全盛期のサン・モリッツの常連たち。上から順に:マイケル・オブ・ケント王子夫妻。/ダグラス・フェアバンクスとその息子。/ギュンター・ザックス(スキー場で女性の同伴者とともに)。/ヘリスキーの草分け、ジャンニ・アニェッリ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 07
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