Sunday, November 22nd, 2015

Top of the World

トップ・オブ・ザ・ワールド

by nick foulkes

毛皮のひざ掛けで防寒しつつ、サン・モリッツで日光浴をする“サン・モリッツの無冠の女王”ことフィオーナ・ティッセン=ボルネミッサ男爵夫人。

欧州で一番ファッショナブルな村 その後、暗澹とした空気に包まれた第2次世界大戦中、サン・モリッツは裕福な亡命者やスパイにとっての避難所となった。壮麗で、豪奢で、雪に覆われてはいるものの、ザ・パレスはさながら『カサブランカ』に登場するリックのバーのような役割を担ったのである。しかし、戦争が終結するやいなや、サン・モリッツはかつての華やかさを取り戻し始めた。

 1947年3月10日の『ライフ』誌は、戦火で破壊され、瓦礫に覆われたカンの町で残骸と化した大聖堂の写真を掲載する一方で、「戦前の優雅さを保ち続けるスイスのスキーリゾート」という見出しで、人生を謳歌する社交界の人々の写真を9ページにわたって掲載した。

「国際派の人々は、国を追われた王族も、知る人ぞ知るプリンスも、美女もそうでない人たちも、スポーツマンも銀行家も、冬期休暇を過ごすならサン・モリッツだと考えている」と記事は陽気に解説し、サン・モリッツを「ヨーロッパでもっともファッショナブルな村」と呼んだ。

 戦争の惨事によって疲弊したヨーロッパは、誰も経験したことがないほど寒い冬を、震えながら過ごしていた。しかし、それと時期を同じくして、権力の座から退けられた王族たちが、戦争を忘れてパーティで大はしゃぎしていたのだ。

 オーストリア最後の皇后の義姉、エジプト、ルーマニア、ヘッセン、その他もろもろからやってきたプリンスなど、参加者の顔ぶれは多彩だった。

 50年代初期になると、サン・モリッツは世界の社交界における冬の中心となった。楽園生活の中心となったのは、恐ろしいほどのスピードを味わえるクレスタラン(そりの一種)、スキークラブ、そしてチェーザ・ヴェリアだった。

 山小屋だったコルヴィリア・スキークラブは、1951年の改築により絶景を楽しめる美しいクラブハウス・レストランに生まれ変わっていた。またチェーザ・ヴェリアは、17世紀に建てられた農家だったが、20世紀の改築により、スキー後に立ち寄る“田舎風”レストランに進化していた。付近には、かつての牛小屋を利用したボウリング場まで設けられていた。そのすべての中心にあったのがザ・パレスだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 07
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