November 2015

Top of the World

トップ・オブ・ザ・ワールド

by nick foulkes
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全盛期のサン・モリッツの常連たち。マイケル・オブ・ケント王子夫妻。

「ある年のハイシーズンなど、ジャンニは毎日私に電話をかけては、『明日の朝6時に滑ろう』と誘ったものだよ。彼はサメーダンに自分の飛行機で到着すると、ヘリに私を乗せて山の上まで直行するんだ。私たちは正午ごろまでスキーに興じた。あれは我が人生でもっとも美しいコースだったよ。スポーツマンであること、射撃、ポロ、スキー、水上スキーをたしなみ、クレスタランで滑ることは、ジェットセッターの一員である上での大切な要素だった。サン・モリッツのようなリゾート地に行く口実になったしね。コルヴィリア・スキークラブのフォトアルバムは、ニアルコスの写真であふれている。ジャンニ・アニェッリなどの仲間たちと、仮装服を着てふざけ回っている写真もあれば、タートルネックのセーターとスキーパンツを身に着けて、美しい女性たちに囲まれている写真もある。時には彼の奥様も一緒だよ」

 あるシーズン、ニアルコスは脚を骨折してしまったが、冬の楽しみと社交の機会を逃すわけにはいかないと、シーズンが終わるまでザ・パレスのワンフロアを借り切った。そして海抜6,000フィートの高地から、電話、電報、国際電報、急送便を駆使しながら、ホテルで自分の仕事を切り盛りしたという。

毎晩がパーティ サン・モリッツとホテル、ザ・パレスには、会員制クラブの雰囲気が漂っていた。国際派の人々が思うまま自由に生きられる感覚があった。サン・モリッツで起きたことは、サン・モリッツの中でしか知られることはなかった。

「ザ・パレスにはあの雰囲気のすべてがあったわ」と、ジャクリーン・ド・リブは懐かしむ。彼女は、年1回開催されるコルヴィリア・スキークラブのグラマーガール・コンテストで、1951年に優勝した女性だ。

「まるで皆が楽しめる内輪だけの大規模なパーティのようだった。下の階にはナイトクラブが、上の階にはバーがあり、上でも下でも音楽が鳴り響いていた。誰もが舞踏室やバー、グリルルーム、あるいはホテル全体で、プライベートなパーティを開いたものよ。ジャンニ・アニェッリ、アルトゥーロ・ロペス、アレクシス・ド・ルデ、テオ・ロッシなど、名士ぞろいだった。私たちはホテルをいっぱいにして、楽しい時間を過ごしたわ。クレイジーな振る舞いをしても、外部の人に知られることはなかったから。めかし込んだり、テーブルの上で踊ったりと何でもできたのよ」

 特に印象的だったあるパーティは、主催者の付き人の声とともに始まった(当時はまだ、アレクシス・ド・ルデ、アニェッリ家、ギー・ド・ロスチャイルドといった人々は、使用人を同伴して旅をする時代だった)。

 朝の6時半に、付き人はホテル内を巡って滞在客を起こし、チェーザ・ヴェリアで開かれるパーティに「そのままのお召し物でお越しください」と呼びかけた。まだベッドで眠っていた者たちは、パジャマやネグリジェ、ガウンでやってきた。一方、夜通しお祭り騒ぎをしていた人々はイブニングドレスを着たままだったし、スポーツ好きの男女はスキーウェアで参加した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 07
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