Tuesday, March 9th, 2021

THE CHASE OF THE THRILL

アルフォンソ・デ・ポルターゴの
速く、短い生涯

陸上でも氷上でも水上でも、握るものがハンドルか手綱かにかかわらず、スペインの貴族アルフォンソ・デ・ポルターゴは、いつもさらなるスピードを追い求めていた。
彼の短いながらもスリルに満ちた生涯とその凄惨な死を振り返る。
text nick scott

Alfonso De Portago / アルフォンソ・デ・ポルターゴ1928年生まれ。レーシング・ドライバー。スペイン有数の貴族にして大富豪。4ヶ国語に長け、スポーツは何でもこなした。レースにおける数々の戦績のほか、ボブスレーではオリンピック4位入賞、馬術ではグランドナショナルに2度出場を果たしている。1957年、イタリア、ミッレミリアのレース中、観客を巻き込む大事故を起こし死亡した。

1957年5月にイタリアで開催されたミッレミリアのスタート前のアルフォンソ・デ・ポルターゴ。この後、彼の乗るフェラーリのタイヤがバーストしてクラッシュし、彼と彼のコ・ドライバー、観客数名が死亡した。

 第13代メホラダ伯爵にして第11代ポルターゴ侯爵、マドリッド総督(第9代ポルターゴ侯爵)の孫であり、スペイン王(アルフォンソ13世)を名付け親に持つ“アルフォンソ・アントニオ・ビチェンテ・エドゥアルド・エンジェル・ブラス・フランシスコ・デ・ボルハ・カベサ・デ・ヴァカ・イ・レイトン”は、生まれながらの“ジェントルマン”だった。

 このスペインの貴族は生涯スピードを愛し、追求した。サーキットではフェラーリ860モンツァを駆り数々のレースを席巻。ボブスレーでは、1956年の冬季オリンピックで4位入賞。馬術ではエイントリーのグランドナショナルに2回出場。そしてポロ、ハイアライ、フェンシングを極める傍ら、スイミングもインターナショナル・レベルだった。

 たぶん“完璧な男”を体現するのに、彼よりふさわしい人物はいない。彼は生涯、物理の法則に挑戦し続けた。

 1928年ロンドンに生まれたアルフォンソは、冒険家の血を引いていた。彼の先祖のひとりは、探検家のアルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカである。彼は6年かけて新大陸を徒歩で横断した。父はマドリードのプエルタ・デ・ヒエロカントリークラブの社長(スペイン最高のゴルファーと言われていた)、母はアイルランド人の看護師だった。

キューバ・グランプリにて、俳優ゲイリー・クーパーと話すポルターゴ(1957年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 38
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