Sunday, November 22nd, 2015

Top of the World

トップ・オブ・ザ・ワールド

by nick foulkes

同ホテルで働く優雅な装いのウェーターたち。
PHOTO:BADRUTT’S PALACE HOTEL ARCHIVE.

「サン・モリッツとザ・パレスにとってとても幸運だったのは、ハンス・バドルッツの長男である若きアンドレア・バドルッツが商才豊かだったことだ」

 こう語るのは、戦前は幼い客としてザ・パレスを訪れ、戦後は青年として戻ってきたルディ・シェーンブルク伯爵だ。

「ホテル内で、彼は最高のスタイルを披露していた。午後7時半以降は、男性はタキシード、女性はロングドレスを着用するのがルールだったが、毎晩その時刻になると、彼は自らロビーに出ていた。非の打ち所がないほど完璧に仕立てられたタキシードに身を包んでいたよ」

アニェッリも常連だった ルディ伯爵は、ほとんどのヨーロッパ人滞在客と親しい間柄にあり、縁続きである場合すら少なくなかったが、新たなグループの存在にも気づいていた。「ギリシャの躍進が始まった頃だったから、サン・モリッツのあたりでもギリシ
ャ人を見かけるようになっていたんだ」

 野心に満ちたスタブロス・ニアルコス(ギリシアの実業家)も、1950年代の初頭には、サン・モリッツがお気に入りだった。ニアルコスはコルヴィリア・スキークラブに加入し、一流のスキーヤーになることを自らに課した。その熟達ぶりは目を見張るほどで、サン・モリッツでもっとも急なコースのひとつは、今でも“ニアルコス・ラン”と呼ばれているほどだ。最上流階級の仲間入りをしたかった彼は、スキーが必要なたしなみであることを理解していたのである。

 アニェッリも負けじとばかりに、トリノからサン・モリッツへ飛行機でやって来ては、その日のうちにとんぼ返りしていた。アニェッリは、スキーリフトに乗って貴重な時間を無駄にする代わりに、後にヘリスキーと呼ばれる、新しい楽しみ方を編み出した。

 マルベーリャ・クラブの創設者、プリンス・アルフォンソ・フォン・ホーエンローエは当時をこう追想した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 07
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