November 2015

Top of the World

トップ・オブ・ザ・ワールド

by nick foulkes
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ギュンター・ザックス(スキー場で女性の同伴者とともに)。

 そんな彼らを待っていたのは、アメリカのケチャップ業界に君臨するハインツ家の人々だった。彼らはまるで、昔の絶対君主が起床直後に行った接見会のように、レストランに運び込まれたベッドに横たわった状態で招待客に挨拶した。「あれはたまらなく愉快だった」と、当時のサン・モリッツで社交界の名士として知られたある人物は回想する。

「まだパパラッチもいない時代だったからね。2~3週間に一度は、誰かが盛大なパーティを開いた。それが決まって仮装パーティでね。あれは現実離れした散財と道楽の時間だった。マレーネ・ディートリッヒが来て歌った。有名女優たちの姿もあった。素敵な人柄のソラヤ王妃もいた(彼女の夫であるイラン国王はサン・モリッツの常連だった)。もしパパラッチがいたら無理だったろうね」

 別の滞在客は、「ザ・パレスはイタリアの貴族でごった返している」と興奮気味に記している。

「ギリシャの大物実業家、イングランドの名家出身の男女、スペインの紳士、チリの貴族。若者、老人、社交界に入ろうとする野心家、王座を約束された人物など、あらゆる人々が一堂に集まっている。ザ・パレスにいる彼らの唯一の共通点は、懐具合だ」

 この「社会的差異をなくす」という特徴こそ、サン・モリッツが新興富裕層に人気を博した理由だった。サン・モリッツで何度となく冬を過ごしたクラウス・フォン・ビューローは次のように解説する。「新興富裕層にとって、パリやロンドンのような主要都市で既成の体制に割り込むことはかなり難しいが、アルプスの高級ホテルなら話は別だ。ただし、2週間に1回はチェーザ・ヴェリアを借り切って、キャビア・パーティを開かなくちゃならないがね。パーティ会場はボウリング場でもいい。あそこでは億万長者たちが、10本のピンを目がけて球を投げるのに夢中になっているよ」(ボウリング場はこの時代に一大ブームとなった)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 07
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